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セルフ考古学|はじめて上京した日の追憶

9月はどうしてもノスタルジックな気分になる。通常、季節は徐々にうつろいゆくものだけど、夏から秋にかけてだけは、舞台の幕間のようにシーンが一気に切り替わる。8月末日までが夏。9月になるともう秋という具合。それは、自分自身の誕生日が8月の終わりにあることも影響しているだろう。とりわけ今年の8月最終週は台風の影響で雨がつづき、あけて9月、ひさびさの晴れ間はすっかり秋めいていた。

それから、自分にとってはじめて上京したのが9月だったことが、なによりおおきい。高校三年生のとき2001年のこと。目的は大学の見学。いま振り返ると信じられない話だけど、僕が育った街には美大進学の情報などはまったくなくて。福岡天神の大型書店まで電車で一時間かけてむかい、そこでようやく手にした『美術手帖』なんかをみて、目当ての大学を知るような具合だった。

大学に勤める今となっては、こうしてオープンキャンパスもいかず、雑誌情報や美術大学進学予備校での口伝くらいのものと、それから大学としてぼんやりしたシーズンである9月に事務局だけ立ち寄って進路を決めるというのは、なんとも無謀にもおもえる。とはいえ、福岡の端で生まれ育った自分にしてみれば、そうして実際に足を踏み入れるだけでも、ずいぶんと大きなことだったのはまちがいない。その後、二浪したんだけど。

さすがに23年も前のこと。だんだんと当日のスケジュールや道程が曖昧になってきている。武蔵野美術大学と多摩美術大学を巡って、日をまたいで東京芸術大学をみたはず。とはいえ、芸大はなにかの関係で入校できなかった。そのくらい曖昧な下調べだった。宿泊はなぜか横浜。

前情報がなかったせいだろう。父が押さえてくれたホテルは伊勢佐木町のあたり。界隈でもとくに治安のよろしくない場所だった。猥雑に煌くネオン街に立ち、とても落ち込んだのを覚えている。

とはいえ翌日、空港にむかう前、みじかいながらも渋谷から表参道、青山をめぐることができて、すっかり機嫌はもどった。若いうちはわかりやすい。渋谷から表参道までは地下鉄で移動、とまでは調べはついていたけれど、どこも潜る階段がない。駅員に尋ねると、階段を登るように指示された。銀座線渋谷駅は地上階。首都圏で暮らしていると当然の常識も、まったくわからなかった。

表参道駅を降りる。コム・デ・ギャルソンを経て、建設中のプラダ青山をながめ、ジル・サンダーで長袖のカットソーを買った。すぐ下にブルーノート東京があることにも興奮した。それから向かいにあったIDEEで柳宗理のプロダクトに触れられたことも嬉しかった。嶋田洋書でフィリップ・スタルクの作品集を手にして、羽田にむかった。

先日の木曜日のこと。ふと思い立って、おなじルートで渋谷から表参道、青山を巡ることにした。ああして拙いながらも巡った数年後には、所属ゼミ主催のキャンドルイベントを表参道で運営していたわけだから、まぁまぁよくやったともおもう。そんなことを考えながら、青山にたどりついたところで、村上春樹と遭遇する(!)実在するんだ。このあたりには、もうジル・サンダーもIDEEも、嶋田洋書もない。ブルーノート東京だけが健在か。その隣にあるウーフ東京店で夏詰みのダージリンをもとめる。

帰宅後。しばらくして、まだこの遊びを続けてみたくなった。昨年のこと、たまたま伊勢佐木町をうろついていると、当時、宿泊したホテルと、父に連れられて入った居酒屋をみつけたのだった。夕飯がてら出かける。道中、SNSをみると、かつて担当した学生たちが活躍する情報が、いつくも目にはいる。23年前は想像もできなかった時間が過ぎている。

時を感じさせないほど、この居酒屋はそのままだった。凍らせたグラスに注がれたサッポロビール、お通しがおでんであることも、まったくかわらない。隣席にはあやしげな関係の男女。店の向かいには風俗店とラブホテル。大学見学の高校生がステイするにはハードコアなエリアである。

居酒屋をでてからワンブロックほど歩けば、よく訪ねるバーがあることに気づく。こんなにも近くだったのか。ふらりおじゃまする。

不思議なもので、はじめて東京にでて、そのとき宿泊した周辺。いまはそこに暮らしている。セルフ考古学。たのしい一日だった。


9 September 2023
中村将大

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