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|おしらせ――東洋美術学校を退職いたします|

おしらせです。この3月をもって東洋美術学校を退職いたします。
2009年4月からまる11年の勤務となりました。なお最終出勤日は3月12日となり、今後の出勤予定はありません。お世話になりましたみなさまに、かさねて感謝もうしあげます。

本来であれば各所ご挨拶にあがるべきところ、感染症下の影響をふまえ、この場での報告となりましたこと、恐縮でございます。
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2021年3月12日は東洋美術学校の卒業式の日。最終出勤日としてはややできすぎていた感もあります。教員最後の日となると、本来は最終講義などおこなうものなのかもしれませんが、式典会場整理と荷物の搬出でばたばたとした最後となりました。

2009年4月。光環境デザインをまなび大学を卒業、そこから一年間のインターバルへて配属されたのはヴィジュアル・コミュニケーション・デザインの部署。当時、素人ながらこの学校の特異性だと認識したのはタイポグラフィ。立場上、ここはどうにか掴んでおかないと……とのおもいもあり、仕事あけはタイポグラフィ・スクールを受講。11年前は体力がありました。

東洋美術学校では、それなりにながい時間をすごしたこともあり、ここでおこなった仕事は授業はもちろん、産学連携業務、非常勤講師のオーガナイズにリクルート、在校生管理業務、課外活動管理、各種委員会などなど。膨大な数にのぼります。なかでももっともおおきなものは講師陣、そしてスタッフとともに、デザインの教育プログラムを設計し、それを実践したことかもしれません。これについては、2019年3月にFONTPLUS DAYにて「デザイン教育のデザイン」と題してまとめて発表することもでき、ありがたいものでした(講演録はnote記事としてまとめています

たまたまなのか、こうしてまとめを発表した2019年3月前後から、さまざま状況が変化し、なかなか自分自身が納得できる仕事・成果にいたらない状態がつづき、おそらくいまの職場で、自分の能力ではもうこれ以上、貢献することはできない、そんなおもいが漠とながらうかぶようになりました。そのいっぽうで、ありがたいことに着任当初、目的としていたレヴェルのデザインができる在校生がでてきたこと、ほかの学科における、こうしたデザイン系プログラムを展開できるようになったことなど、良質な面でのおわりの節目が顕在化したことも、その理由です。

おもえば新卒、最初の職場となった東洋美術学校。畑ちがいの素人新人が、得難い仕事に恵まれ、ここまで続けてこられたことは、これまで出会いに恵まれたことにほかなりません。あらためまして、感謝御礼もうしあげます。講師のみなさま、在校生にはこうして離れること、恐縮ばかりです。至らずもうしわけありません。

今後はひとまず休暇……としたいところですが、現在の住まいの取り壊しがきまり、しばらくは転職・転居でばたばたすることとなりそうです。いろいろと落ち着いたら報告いたします。
ありがとうございました。

中村将大
15 March 2021
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写真は本年度の東洋美術学校 コミュニケーション・デザイン専攻の卒業制作図録。感染症下の開校となった本年度。卒業式は大幅に規模を縮小。卒業制作展もまた例年どおりの盛会とはいいがたいものでしたから、自身が担当するコミュニケーション・デザイン専攻では卒業制作図録を作成することにしました。

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