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シン・ゴンゾサマ伝承記 宮崎市下北方町に伝わる疫病祓いの神様

ーその男、身なり甚だ見窄(みすぼ)らしい。ー

誰の記憶にも留まらない遠い昔の冬の日の話だ。富める者も、貧しき者にも平等に温もりを注いだ太陽が西の杉山につるべを落とすように消えていった。東側の丘陵の麓から宵闇が忍び込む。私は生きるための作業を機械的にこなした。寒い冬にできる事なんて限られている。家族を飢えさせない為に僅かばかりの種を大事に育てていた。今日を振り返る。竈門から女房がヒエを炊(かし)ぐ香りが漂ってきた。

「さぁ、ゆうげにしようか」

私がそう言うと同時に土間の戸口をコツコツと力無く叩く音がする。はて、こんな時間に誰が我が家を尋ねるだろうか。訝(いぶか)しながらも村の者に不幸が出たのかとも思い戸を開ける。夕闇を纏いながら、今にも倒れそうなやつれ果てた男がよろめき立っている。その男、身なり甚だ見窄らしい。眼の奥の光は消え失せるほど力がないのにギョロリとした眼の形が幾分私の身体を身構えさせた。まるで怪我をして羽根を毟り取られた鴉のようだった。

「私は衆生救済のために諸国をまわる行者の者です。蓄えも尽き、この寒さで足を進めることも敵わない。迷惑はおかけしませぬ故、一晩泊めてはくださらぬだろうか…」

男はそう言うと土間にへたへたと座り込んでしまった。私は困ってしまった。この付近では盗賊も珍しくはない。ましてや、村では見ない顔のものだ。女房や子ども達に、もしもがあっていけない。しかし倒れ込んだ者を外に追い出すのも憚られる。対応をあぐねていると、女房が「どうぞお上がりください。見た通り貧しい家で大したおもてなしは出来そうにもありませんが…」と言い、男を迎え入れるよう私の袖を引き促した。女房のその言葉は、行者だけではなく、善悪に逡巡する私の心まで救ってくれたような心持ちがした。

囲炉裏を囲み、ヒエの粥を啜りながら、男は此処に辿り着くまでの話をした。一度志したら後戻りは許されず、中途断念するときは切腹するしかない回峰行の話。断食、断水、断眠、断臥の上、10万回の真言を唱える御堂入りの話。天空をかける星々の煌めき。諳んじる真言を聞き揺れる名もなき花々。そして今日、我が家を訪ねる前の出来事。

どうやら、男は我が家に辿り着く前に、数軒の家を尋ねたらしい。その訪ねた家々は、どれも村では裕福な豪家の一族であった。だが、いずれの一族も男を門前払いしたようだった。

「卑しい身なりだった。追い払われるのはしょうがない事だ。」男の言葉には妬みも嫉みもなかった。清々しいその思いを聞いたとき、私は同じ対応をしようとしたことを内心で酷く恥じた。私も同じ事をしようとしていたのだ…。私は女房に感謝した。男を迎え入れなかったら私は良心の呵責に苛まれたであろう。男は一通り話をすると私の子供達と遊び始めた。私の子供達は何故かその男によく懐いた。

鳥が鳴く。また衆生を照らす太陽が東の丘陵の麓から上り始めた。男は先を急がなければならないらしい。恭(うやうや)しく昨夜の礼をいうと去り際に「やがてこの村には恐ろしい疫病が流行るであろう。先ずは味覚が失われ、酷い倦怠感の上に窒息をおこす病のようだ。そうなる前に戸口に八つ手とニンニクの葉を貼るとよいだろう。」と言い残した。

「あなたの名は…」

「名も名乗らず申し訳なかった。さぞ私は怪しいものであっただろう。」そう言って男は笑うと私の名はスサノウと言って。丘陵を下っていった。驚いたことに曲がり角を曲がるときに一陣の風が吹いたかと思うと消えるように男はいなくなった。男の足跡はなかった。

それから暫くすると男の予言の通りに疫病が隣村から流行りだした。その勢いは凄まじく私の村に蔓延するのも時間はかからなかった。私は男の言いつけ通りに戸口に八つ手とニンニクの葉を貼り、家族とともに身を寄せた。村の者も老人は死に絶えるか若い者であっても罹患すれば酷い後遺症が残った。豪家はさらに酷く、一族皆が死に絶えたが我が家だけは死者どころか罹患するものもおらず難を免れた。

私は恐ろしくなった。あの男の予言が的中したのだ。そしてあの夜に男を追い返していたらどうなっていただろうか。思い返せば去り際にあの男がスサノウと言ったが、まさか須佐之男命だったのではないか。神様を我が家に招いていたのか。女房に男の名とこの話をすると泣きながら有難い事だと嗚咽した。私はこの出来事と男の話を生き残った村の者に話したが男の姿を知るものは我が家を除いて一人もいなかった。



宮崎市街地を一望できる丘陵の下北方地区に古くから伝わる「ゴンゾサマ」の伝承に創作を加え書いてみました。※史実と異なる部分もあります。

この下北方地区のゴンゾサマ伝承は風土記に登場する蘇民将来の話を下敷きに生まれたものと考えられています。ゴンゾサマは牛頭天王(ゴズテンノウ)の化身と言われており、口頭伝承によりゴンズサマがゴンゾサマと言い換えられたようです。牛頭天王は仏教の神様ですが日本の神道文化と出会い(神仏習合)須佐之男命と同義に扱われるようになりました。現在の下北方地区の各家庭の戸口には八つ手、ニンニクの葉の代わりにゴンゾサマのお姿の版画護符が貼られているのを見ることができます。なおゴンゾサマの版画護符を刷ること出来るのは貧者の末裔と言われる一族だけに許されており、その製法は⑴和紙を二つ折りにする。⑵版木に墨を塗り先程の和紙をのせる。⑶椿の葉でこする。⑷自然乾燥する。⑸これを1110回、一枚づつ作成する。途方もない手間隙をかけて作成され、これは下北方自治会世帯に配られる非売品の護符というわけで大変希少なものです。尚、宮崎神宮で販売されているゴンゾサマは下北方地区で配布されるゴンゾサマとは姿形が違っていて、これは本来の版画護符とは全くの別物かと思われます。

須佐之男命といえば先日、水曜日のダウンタウンで過去に天災に見舞われたことのない岐阜県加茂郡七宗町の御祭神が須佐之男命だとか、東北大震災の折には須佐之男命を祀る神社までは津波は到達しなかったなど霊験あらたかな神として話題になりました。

下北方地区は市街地までのアクセスが容易でありながら自然を多く残す環境かつ小高い丘陵地で、震災以降、高台移住を希望するもの達の間で土地需要が高まり急激に地価が上昇しました。広く衆生救済を願ったゴンゾサマの意向とは裏腹に、下北方地区は奇しくも富裕層しか住むことができない地域になりつつあります。ゴンゾサマが今の状況をどのような思いで見ていらっしゃるかは分かり兼ねますが私が生まれ育った地区のご当地の神様が未だ収束の見えないコロナ禍を切り裂いて下さることを祈念し、今回、下北方に伝わるゴンゾサマの伝承を皆様にお伝えすることにした次第です。


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