僕らが生きる今日は
Today,which you have spent idly,is the tomorrow of somebody who died yesterday and was desperate to live.
僕らは今、コロナウイルスを通して常に恐怖に晒されている。東京では今日も感染者数を更新した。
世界のニュースから見るとほんのわずかな数字に見えるかもしれないけど、「人」を想像するとリアルになる。
去年から僕は自分の主戦場をアメリカにするため、結構な頻度で行き来をした。
ニューヨークだ。
初めて降り立った時のNYの匂い、空の色、出会った人たち。今でも思い出せる。
街を歩けば「その靴どこで買ったの?」とか「おれのCDめっちゃいいから聞いてくれよ!」とか他人だけど一瞬するコミュニケーションに楽しさがあった。
カフェでコーヒーを頼んで待ってる間のくだらない雑談とか、ホテルのルームメイドのおばちゃんがする息子の愚痴とか、たくさんの「今」があった。
今年も1月半ばから2月半ばまで、会社設立に向けた動きやプレゼン、それから空いた時間は現地で勉強するためにニューヨークにいた。
冬のNYはとても寒くて、街はいつもの通り、全てが早かった。
毎日歩いたタイムズスクエア
合間でロサンゼルスにも行って、多くの人と交流できた渡米だった。
毎日勉強したNYPL(ニューヨーク図書館)
そんなアメリカは今、ウイルスによる感染者数は30万人を超え、死者は8400人。最大の感染地は僕が過ごしたニューヨークだ。
1日1000人のペースで死者が増えていて、「今後の2週間が、もっとも厳しい状態になるだろう」と、トランプ大統領が今日会見した。
僕がいた2月頃は、「ちょっとコロナが世界で流行りはじめてるから気をつけて〜、でもそれよりもインフルエンザにマジで気をつけて!」みたいな感じだったと思う。
僕が帰国してから、少しずつ、アジア人が地下鉄で殴られた、とか感染者が数名でた、とかニュースになり始めたな〜と思っていたらその数は日に日に爆発的に増えて行き、一気に街が変わってしまった。
たくさんの人が夢を見て、たくさんの人が夢をもらったあのブロードウェイも、僕が毎日勉強しに行っていたNY図書館も、飲食店も、美術館もすべて閉まってしまった。
毎日、youtubeとかtwitterとかfacebookとかのSNSを通じて、世界中の当事者たちが注意喚起や現状報告をしている。
毎日すぐ隣で、1000人の人がいなくなっていく感覚は想像じゃはかりしれない。
もしかしたらその1000人の中には、朝毎日行ったスタバで会話していた黒人のおばちゃんがいるかもしれないし、僕に「I like your jacket」っていってくれたあいつもいるかもしれない。
僕が一瞬でも会話して、目と目を合わせた誰かにはもう今日は来ていないかもしれない。
「100日後に死ぬワニ」が話題になった。
作品は多くの読者に「死」に対する価値観を提供し、形はどうあれ何かを考えるきっかけになった。
コロナウイルスにかかって重症化してしまう患者の中には、自分がかかったことすらわからずに命を落とす人もいるという。
突然の別れにさよならも言えずに涙を流した人はたくさんいるだろう。
ロックダウンや営業自粛で、収入がなくなってしまう人の中には僕もそうであったように自分で自分の命の終わりを考えてしまう人もいるだろう。
僕らは今日、誰かが行きたかった明日を生きている。
「誰か」は、昨日道ですれ違った「誰か」かもしれないしいつか会うかもしれない「誰か」かもしれない。
東日本大震災の時、福島出身だった僕はその「誰か」がたくさんいた。
僕はその誰かが生きるはずだった今日を生きている。
目標や夢があって死ぬほど生きたかったかもしれない。
そんなたくさんの思いが浮遊しているのが今日だ。
悲しいニュースもたくさんあるけど、みんながハッピーなニュースを届けようとしてる。
今を精一杯生きよう。
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