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24.05.12

ふと懐かしい記憶を思い出したから忘れないうちに書いておこうと思った

小学校低学年の頃、体調が悪くて早退した日があった
家に帰るには保護者の迎えが必要だったけど、両親は共働きだから私を迎えに来れるはずもなく。県外に住んでるおばあちゃんがその日たまたま私の家に泊まりに来てたから、おばあちゃんが迎えに来てくれることになった。

もう8~9年前のことだからか、はたまた高熱だったからか記憶はすごく曖昧なんだけど、その日はおんぶしてもらいながら帰ったことだけは鮮明に覚えてる。
小2?の体重なんて20kgくらいは余裕であるよね?しかもおばあちゃんは足腰が強いわけでもないのにおぶってくれて。
学校から家までの距離だって近いとはいえない距離だし、地形的に坂も多かったのに......
すごく申し訳ないと思うのと同時にすごく嬉しかったな。大事にされてるって感覚があって。

今考えると自分っておばあちゃんっ子だったんだろうな。母は厳しいし(まぁ優しいことの方が多かったけど)、父とは話さなかったし。何より両親が不仲だったのが辛かった。
私が1人でお風呂に入ってる時、リビングで2人がお互いに不平不満を言い合っているのが聞こえる度に心が疲弊していった。

でもおばあちゃんはいっつも優しいし、エスパーなのかなってくらい私の好きな物も嫌いな物も全部わかってくれてた。おばあちゃんといる時は自然と笑顔になれた。

サムネの画像、ゼリービーンズなんだけどみんな知ってるよね?私これが大好きで、ちっちゃい頃毎日食べてた!(今も好きだけど)

おばあちゃんは県外に住んでたから、会う機会があんまり無くて。だからか分からないけど、会う度にゼリービーンズくれたし、たくさん可愛がってくれた。大きい袋にゼリービーンズ10個詰めて渡してくれたこともあるくらい、笑

本当に懐かしい
でも、本当に大好きだったけど小4のときに亡くなって......
おばあちゃんが死んだって聞いたとき、生まれて初めてお母さんの泣いた顔を見た。すごく驚いたから今でも覚えてる。当時の私は「死ぬ」ってことが理解できてなくて、周りの大人がなんで泣いてるか分からなかった。
でもお葬式で、おばあちゃんと生前に仲良くしてた人に「(煉)ちゃんも悲しいねぇ、もうばあばと話せないんだもんねぇ......」って言われてやっと「死ぬ」ことがどういうことなのか分かって、その時に初めて泣いた。

こんなしんみりした話を書き連ねる予定はなかったけど、何故かふと思い出したので......
母の日だからなのかな?そうだとしたらなんかいいよね、語彙力ないけど笑

ここまで読んでくれた心優しい方、ありがとうございます!!🫶
良い一日になりますようにーー(*´ー`*)

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