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テレビは不思議な存在だった。 懐かしいCMや番組は記憶に残り、今のネットコンテンツが印象に残らないのは何故か。

近年、インターネットに推され気味で存在感が薄くなっているテレビ。あえて「見ていない」と言うことが情強と思わせる風潮もあるが、テレビは情報ツールという枠を超えた存在だったのではないだろうか。

なぜ古いテレビCMは記憶に残るのか

 Youtubeなどにある「懐かCM」というジャンルは大変な人気だそうだ。リアルタイムでは邪魔とも言える存在ではあるが、ある程度の時間が経過すると妙な望郷感を漂わせるのが何とも言えない。

 テレビCMは商品のプロモーションだけでなく、タイアップした楽曲とセットで人気になる傾向があり、今でも人気の広瀬香美さんはスキーウェアで知られるアルペンのCMを通じて「冬の女王」という肩書を得ている。

アルペンのCMに一番反応するのは30代後半から40代ぐらいだろうか。 CMの放映が始まったことで冬の訪れを感じ、全品半額のCMを見て春の到来を感じていた。妙な話だが、無機質なブラウン管から季節を感じた。

また、山下達郎さんの「クリスマスイブ」でXmasのを感じ、独り身の侘しさと新年の到来を感じたものである。

今から30年近く前の作品だが、今でも根強いファンがいる。

 近年のCMが昔の物ほど記憶に残らないのはクオリティーよりも、受け手の環境にあると思う。YoutubeやNetflixの広告は一人で見ることが多く、つまりテレビCMのように面ではなく個で受けるので広まりにくい。

また、CMのバージョンアップも以前に比べて速く、覚えた頃には新しい物に代わるなど馴染みが薄い。  時代の流れとも言えるが、多くのコンテンツが高速で消化されている現状が良いのかどうかは分からない。

情報の流れがあまりに高速である現代ではCMなどのコンテンツは記憶に残るものでは無く、一過性で即消費&忘却される物なのだろう。その点からすれば、思い出とリンクさせられるCMや曲があるのは幸せとも言える。

テレビが廃れたのは多様性の時代だからか?

 現在は地上波のテレビやBS・CS、インターネットを利用したSNSや動画サイト、Netflixなど多種多様な媒体があるので、仮に10人集まったとしても同じ物を観たり使用しているとは限らないほど選択肢がある。

以前は視聴率40%のドラマなどがたくさんあったが、これは作品の良し悪しではなく生活の中に娯楽が少なく、選択肢が乏しかったという背景もあるだろう。これはテレビだけでなくCDの売上にも通じるかもしれない。

 そもそもテレビの役割は情報や娯楽の提供に留まらず、家庭の中で祖父母から孫に至る幅広い世代間を繋ぐ潤滑油のような面もあった。核家族化の拡大によってその必要が薄まり、家庭の中でも「個」が増えて来ている。

 コロナ禍において「どうぶつの森」や「鬼滅の刃」が流行ったが、これは作品のデキもさることながら、ステイホームによって孤立化が進んだ人々が繋がりを求め、流行っていた作品に飛び付いた側面もあったと思う。

本来であればその役割を果たすべきテレビなどオールドメディアは恐怖心や不安を煽る内容ばかりに終始し、様々な不祥事もあって衰退する勢いは増し続け、現在も離れて行った視聴者と信頼を回復するに至っていない。

 同じオールドメディアである週刊誌「週刊文春」は良くも悪くも気を吐いて存在感を示している。雑誌に出来てテレビに出来ない訳はない。社会的公器としての力を自覚し、本来のあるべき姿を取り戻して欲しいと願う。


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