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ピンクリボンポスターショック

ほんの幼い頃、母だったのか祖母だったのか、そしてスーパーだったのかデパートだったのかももう思い出せないくらい昔だが、私にも福引きの記憶がある。「福引き」、その言葉自体にもうノスタルジーを感じる。
何か買い物をして、レシートの他に小さなツヤツヤの紙切れをもらう。紙には朱色の濃淡を精一杯活かして、一色刷りだけど派手派手しく「○○大抽選会!抽選券:1階カウンター」などと書いてあり、何かとっても良いことが起こる予感がする。
カウンターにいくと、目がチカチカするような真っ赤なサテンの法被を着たお姉さんが待っている。傍らには是非鳴らしてほしいと願わずにいられない錆びたベル。
そして正面に、ガラポンが堂々と鎮座している。
大きくて艶の剥げた八角形の木箱。
抽選券を渡し、「ゆっくり回してね」という優しいお姉さんの声に従い、おそるおそるハンドルを握る。思っていたより重く強い抵抗にドギマギしながらゆっくり一周。
玉同士がガチャガチャ擦れ合う音。そして聞き逃しそうなほど儚いカタン…という音とともに、小さな真っ白い玉が吐き出される。
「こちら粗品のティッシュでーす!!」
粗品には釣り合わないテンションで渡されるポケットティッシュを手に、母もしくは祖母の苦笑を見上げる。
───「福引き」はそんな、おぼろげで、優しくて、情けなくて、あたたかな記憶である。


昨日、およそ20年振りにそんな福引きの象徴ともいえる木箱、「ガラポン」を目にした。
ただしその八角形は温かな木の色ではなく、ピンク色だった。
それは、「まさか、私が」というコピーとともに、ピンクリボンのポスターのデザイン大賞としてそこにあった。
Twitterでそのポスターを憤りの言葉と共に紹介している方がいたのである。

ググッと、込み上げるものを感じた。
がん検診を啓発するポスターやCMの、「早期発見」という言葉に胸がチクッとすることはよくある。でも早期発見が大事なのは事実であるし、この感情は患者ならではのものとして甘んじて受け入れていた。
だがこの表現はそれとはまったく別の感情を呼び起こした。怒り。それも、甘んじて受け入れることはできない怒りである。

乳がんに罹った私たちは、ハズレたの?アタッたの??
幼い日の福引きを思い出す。
わくわく……どきどき……あー、残念!!
がんの罹患は、決してそんなライトな運試しではない。
第一、本当に癌が発見されるのには、異常が発見されてからずっと「癌かも…」という腸を引きずり出されそうな恐怖を抱えながら、重たい心と体を何とか…しかも何度も病院に運びそれまで目にしたこともなかった恐ろしい機械を使って調べに調べるという過程がある。
そんな地獄のような日々の先に言い渡される本当の地獄の始まりが、癌だ。
あー、残念!!それで済めばどんなにいいか。

私自身、検査から告知までの日々は思い出すのが一番苦しい記憶である。
まだ生後3ヶ月の息子を抱え、大人なのに、親なのに、子供のようにびーびー泣きじゃくりながら世話をした。子供の世話以外は何もする気になれず、息子の笑顔を見るたび「私はこの子の記憶にすら残らないかもしれない」と吐き気がするほどの悲しみが込み上げ、ついには一人では息子の面倒を見られなくなり実家に帰ることになった。
3週間で4キロ痩せた。
「癌がわかる」とはそういうことなのだ。

そして癌がわかったそのとき、その人の人生は変わる。
治療が過酷なのは言うまでもない。思うように動かない身体。髪が抜け変わっていく見た目。それでも日常は続く。健康な人に混ざりながら、自分はそうではないと心をキュッと絞られながら自分と家族との「日常」に必死で食らいつく。
そしてどんなに前向きに治療をしても、「来年には死ぬかもしれない」という恐怖は現実として常にある。被害妄想なんかじゃなく。いわゆる「早期発見」だとしても再発転移の可能性は残念ながらゼロではない。
私自身、癌になって人生や性格が変わってしまったと感じる。
この人となら、と思って結婚したはずの夫とも何度も喧嘩した。離婚した方がいいのではないかと思ったこともあるし、思われたこともあるだろう。
息子の成長も手放しで喜べなくなった。息子の記憶に残るまでは生きたいと思いつつ、息子に初めて靴を履かせたり、息子の好きな色がわかったり、そんな息子との思い出が増えるのがつらい。いつか来るかもしれない「早すぎる別れ」を想像しない日はない。
そして癌罹患をきっかけに22年来の友人と喧嘩別れをし、そのまま友人は昨年9月に自らこの世を去った。
気が狂わない方がおかしい日々をこの一年過ごしてきた。これからも、きっと。
分け入っても分け入っても……そんな山頭火の句が思い出される。でも、そこは「青い山」ではない。光のささない闇だ。

癌がきっかけで得たものもあるのかもしれない。
私自身は、同じ癌を患う人たちとTwitterを通して交流する中で、いくつもの貴重な出会いを得た。
抗がん剤治療で髪が抜けたことで、今まではやったことがなかったウィッグやカラコンを使ったオシャレが趣味になった。
でも、これらの「得たもの」を全て失ったとしても、癌がなかったことになった方がよっぽどいい。何を得ても癌が辛いことに変わりはない。

こういう、癌患者の現実を知ってくれている団体がピンクリボンフェスティバルを催していると思っていた。味方し、応援してくれる団体が我々患者には付いていると。
しかしそれは思い込みだったのかもしれない。

ガラポンをモチーフとした大賞作品以外にも、我々の心を抉る作品は数多く見受けられた。
「コピーにある『親孝行』という文字に涙が出た」という呟きにどうしようもない切なさと憤りを感じた。
癌がわかった頃、母がいないのを見計らって叔母に絞り出した私自身の言葉を思い出した。
「息子が生まれて、息子に何かあったらどうしようって常に思ってるから、自分が癌になんかなってお母さんに申し訳ない……!」
涙でむせながら話す私に、叔母は努めて明るく
「そんなこと思わなくていいよ!」
と言ってくれた。声は笑っていたが、その顔にどんな表情が浮かんでいるのかは怖くて見られなかった。
そんな、今でも動悸がするほど苦しい記憶がよみがえった。

ただ、腹が立ったな、で終わらすことができなくて思いを綴った。だってあまりにたくさんの人の、ポスターのデザインに泣かされピンクリボンに失望したという声を見てしまったから。みんなの声を代弁したいなんておこがましいことは考えていない。ただ、
「私もこのデザインを見て泣きました」
そんな言葉を目にするたびに悔しくて仕方なかった。
なんで。私たちずっと、何度も、散々癌に泣かされてきたはずなのに。
書き消されたくない思いばかりだった。

乳がん検診は大切だと思う。40歳になったらといわず、20代から考えてほしい。実際私は29で罹患したとき、すぐに元教え子たちのクラスLINEに報告した。
「私みたいに20代でもなるよ!みんなもできるだけ検診に行ってね!エコーでね!」
という言葉を添えた。
検診は励行してほしい。でもそこにユーモアはいるか?患者を傷付けてまでユニークな発想を求めるべきなのか?
私たちは思ってる以上に癌に対して無力で、「見つける」それしかできない。だからそれだけはやろう。
私だったらそう語りかけたい。

あのピンクのガラポンを、できればもう目にしたくはないし、誰にも見てほしくない。
私の知人があのポスターを見たら、「そうか、彼女はガラポンにアタッたのだ」と思うだろう。
それが夫や母だったらと思うといたたまれない。必要のないところで不意打ちのように、これ以上私の癌によって彼らを傷付けたくない。
どうか私たちを、望まないガラポンの当選者にしないでほしい。


※画像はピンクのお気に入りのものを撮っただけで記事内容とは関係ありません。

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