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第十九話 欧米列強占拠

 さて、今回はビルマ編マンダレーからバガンへと向かう船の中から。
 
 乗船した船は日本のフェリーのようなもの。荷物も人も沢山積む。
アジア特有の、茶色に濁った大きな河を行く。

空は入道雲?積乱雲?モクモクと力強い夏の雲が広がる。真っ青な空の色と対照的なのが何とも言えない。
途中、手漕ぎの船や格好も中世から変わらぬであろう物、途中に見える家も簡素な造りでとても現代とは思えない。この辺りはきっと開国したとは言え、全く海外からの情報など入る余地も無いような場所。
きっと彼ら彼女達のお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、もっと遥か昔、500年も1000年も変わらぬ暮らしを続けてきたのだろう。
原始のアジアの光景そのものでした。

この途中で降りたい。あるがままの姿のこの国を見たい。
ここまでのルートは完全に軍事政権にコントロールされた地域。この外に本来のこの国の姿見があるはずなのだが…。
そんな思いを他所に船は上流へ、上流へと進む。
 
 さて、この船、二階の日差しよけのない甲板は現地の人達専用。
下の屋根のある部分、ここの半分が外国人用と現地用で分れる。ちなみに広さは縦15m横10mくらいでしょうか(ちょっとあいまいな記憶です)。
この半分のスペースに外国人用には、ビーチなどでみる横になれる椅子のようなものが、景色が見える方向に縦に並ぶ。数は人数分の15個弱くらいでしょうか。
そこに日本人は僕を含めて三人。それで残りの半分は現地の人達が床で沢山座っている。人数としては20人強。

そして現地側のその数は、次第に増えてくる。真ん中を区切るパーテーションを境に、全く世界が違う。
僕はこの状況が非常に居心地が悪く感じる。

確かに払っている金額が天地ほどの差なのだが、一緒に乗船している欧米人とは違い僕は植民地支配や階級社会に慣れていない。

そして、そんな事が苦手な僕には、これが非常にきつい。
限界を感じた僕は一緒に乗船した一人の日本人と共に「現地側」に移動する。
出家したばかりの小坊主。地元の子供。赤ちゃんを抱えるお母さん。どこかへ行くお父さん達。
「ああ、やっぱり、ここが居心地が良い。」

 僕にとってのアジアは友人達の国で、隣人のようなもの。どうしても、上下関係などは作れない。
色々な食べ物をもらう。逆に僕は日本のお菓子をあげる。
僕は旅に日本の駄菓子やら、なにやら沢山持っていきます。しかしこれが長期組には説教の対象になる。長く旅するなら、荷物は最小限だよといつも言われていました。

しかしそんな言葉にめげず、毎回、日本のお菓子、アメ、音楽、色々持って旅してました。まあ、これが旅の間、何かに変わったり(交換して)、あげてしまったりとなるのですが。
まあ、それが一つの楽しみなのです。
 
色々な日本のアメをあげたのですが、子供達には大人気!しかしひとつだけ駄目なものがあった。

それは、「小梅ちゃん」。
これだけはすごい顔をしてました。
「出していい?出していい?」泣き顔で子供達が聞く。河に吐き出す。
やっぱり「すっぱい」ものは、腐ったものとかと感じるのかな?ちょっと残念。
でも、わざわざ聞くところは可愛かったです。
 
 しばらくして、途中の村の船着場に到着。するとまた人も膨れ上がる。売り子も沢山乗り込んでくる。外国人スペースの隙間と比べるとすごい違い。
彼らはみな音楽を聴いたりしながら、景色を眺め優雅に過ごす。
「これは。。」僕はもうひとりの日本人と話し、「少しずつ、バレないように領土を広げる作戦」を計画しました。
現地の人は不安そうに見ている。大丈夫!
1/2から3/5くらいになったって分りゃしない。
少しづつ広げられるアジア側の領土。

 そんな事をしながら過ごしていると、売り子の女のコが一人、食べ物を売りにきました。歳は17、8歳くらいでしょうか。
驚く程に可愛い!
かなりの美人さんでした。

ビルマ語の分らない僕、そして英語の分らない彼女。
しかし、周りの人々の通訳もあり、色々と話す。
「これはいくらで、これはいくら。これはおいしいですよ。」
と彼女。
「あなたの名前は?彼氏はいるの?」
と僕。

しかし残念な事に彼女、すでに結婚して子供もいるのでした。
マジか…。お母さんか。

僕よりも若いはずなのに、しっかりしてるもんなー。
残念。
 
 そんなやり取りはしていると、欧米列強側から一人の男性が。
「自分達はちゃんとした金額を払っているのだから、売り子なんて自由にさせるな、邪魔をするな」
と怒りだしたのです。
売り子が自分達の領土側に来たのが頭にきたようです。
 
すると、もう数人の旅行者達も同様の意見を言う。

「分った、分った。君達のところへは行かないようにするよ。でも、僕ら(もう一人の日本人と僕)は彼らとコミュニケーションを取りたいから、パーテーションはここで」と、僕らの席(上座の二つ)と隣(上座から三番目)の日本人の席の間に先程のパーテーションを置いたのでした。気がつけば最初は半々だったスペースが、今や完全に7割以上までアジア側のスペースとして掌握したのでした。
もう人も座ってしまっているし、こっちのものかな。
 
 そんなこんなをしながら、船は確実にバガンへ向けて進むのでした。

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