令和5年もいろいろありましたね

 令和5年もあと6時間を切ったところで慌ててこの記事を書いています.今さら「年が変わる」ことに大した意義を見出す必要があるのかどうか,ぼくにはよくわかりませんが,それでもみんなで揃って「年が変わったことにする」という行為そのものには意味があるように感じています.

 最近のぼくは何事にも「絶対的な価値」みたいなものをどんどん感じなくなっていて,代わりに「人々が皆で何かを取り決めて実行する」ということ自体に意義を見出すようになりました.何度か言ったように今年ぼくは厄年で,厄年というもの自体には正直なところ大した意味はないと思っていますが,「厄年を迎えるからみんなで一緒に厄を払おうぜ」と集まった旧い友人たちの顔を眺めていたら「こうして集まること自体に意義があったんだなあ」と痛感したのです.とりわけ,そのなかの誰とも行ったこともないのに,打ち上げでカラオケに行って「同じ時代を生きて同じ歌を聴いてきたんだな」と知ったときはぐっとくるものがありました.

 数学日誌でも「龍孫江の群論道具箱」を仮にスタートし,少しずつ「時間は短く,内容はゆっくりと」に移行しつつあります.これは個人的な持続可能性を模索すると同時に,ぼく自身の将来的な目標に照準を合わせてのことです.つまり,本ではなくYouTubeでしかできないことを考えたときに「とても本では収めきれない細かいことをゆったりと拾っていく」という方向性があるのかなあと思っています.この変化に伴ってぼくの負担は増えている面も減っている面もあり,そのうち最適化されるでしょう.

ということで,令和5年を締めくくるにあたっての雑感でした.本当は今年あったこととか振り返れたらいいんでしょうが,まだこれからしなければならないことも多く,これにて失礼いたします.令和6年も龍孫江と数学日誌をどうぞご贔屓に.よいお年をお迎えくださいませ.

Twitter数学系bot「可換環論bot」中の人。こちらでは数学テキスト集『数学日誌in note』と雑記帳『畏れながら申し上げます』の2本立てです。