急所に手を伸ばすために

 8月になりました.梅雨も明け,暑い夏がいよいよやってくるようです.その一方で,新型コロナウイルスの脅威もまだまだ予断を許しません.どうぞ皆様,一層体調に留意なさるよう願っております.

 さて,先月末に頂いた質問がまだお答えできていません.

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 独学・独習者にとって,このご質問はなかなか厳しい壁かもしれません.おそらく数学専攻の学生ならば,演習やセミナーなどでの厳しいコーチングによって自然にこれらの態度が身につくのだと思います.

 だとすると,答えは自分で自分をコーチングするしかなさそうです.徹底的に自分を律して,

・定義に従って一分の隙もなく解答案を書き下してください,そして
.自分の解答案を読み返し,不明瞭な点はないか,一切誤魔化すことなく問い質してください

 ここで,本当に大切なのは「自分が明らかと思っている事柄は本当に正しいのか?」と問い詰めることです.特に使い慣れない概念や定理を使っているときには注意が必要です.つまり,

全く隙がない(と思う)解答を書き,その上で
その解答にある油断や隙を見つけて問い質せ

というわけです.これはなかなか難しいですが,これをきちんと続けられればはっきりと理解は深まることでしょう.

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 似ているようで少し違う話なのですが,最近「どうすれば急所を捉える力が鍛えられるのか?」という問いについて考えています.

 実は最近,とある方に頼まれて演習問題の解答案の添削を始めました.書いてこられた解答案を読んで,論理的なギャップや気になる点(蛇足など)を指摘したり,別の方法や定理の使い方を紹介したりしています.

 この答案の書き方,ひいては問題の考え方というのは,なかなかどうして個人差が出るもののようです.少し難しめの問題になるとより顕著で,いろいろな解き方が考えられる分だけ,その人の手持ち道具の充実度や物の見方などに依存して解答が出てくるのだろうと思います.

 一例を挙げましょう.例えば「これこれの部分群が正規であることを証明せよ」と言われれば,定義に従って共役作用を考えるのは一手です.しかし,場合によりけりではあるものの,これしかない印象はありません.今のぼくであれば,まず「それが核となるような群準同型はないかな」と考え,適当な群の作用を通して対称群への群準同型を作ったりします.件の部分群が核として出てきたら一丁上がりです.

 つまり今のぼくは「正規部分群とは群準同型の核である」という主張をひとつの急所だと考えているのです.この観点から考えてみて,うまく進まないようなら共役作用を考える,そんな順番です.

 そろそろ「急所」の意味がはっきりしてきました.今ぼくが述べている「急所」とは,それを押さえることで議論がすっきり回る観点とでも定義できましょう.そして,多くのプロはこの急所を押さえる力が強いのです.

 この急所が見えないと,間違いではないけれどもすっきりしない(その筋の方言では「エレガントでない」という)解答を書くことになります.繰り返しますが成否の問題ではありません.正しいことは最低条件として,よりきれいな解法を求めて急所を探しているのです.

 これを独学で身に着けられるのか,正直なところよくわかりません.努力で習得できるとしても,十代から二十代前半までと,三十路以降ではそのための方法論は違うようにも感じられます.二十代前半までなら大量の問題を解く物量作戦でも身に着けられそうですが,三十の声を聴いたら各々の問題からエキスをじっくり吸い尽くすように取り組む方が早いように思うのです.

 前者が「これが急所だ」と体に覚えさせる方法論だとすれば,後者は「急所である理由」を理詰めで体感させているとも言えましょう.

 最初から最後までまとまりませんが,数学の学び方について,今ぼくはそんなことを思っています.

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