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最終話 税金とは何なのか

これまでの記事で書いてきた通り、理論的には国はほぼ無限に国債を発行できる。そうなると当然にように起こってくる議論は「税金を支払わなくていいのではないか」という疑問である。

今までのnoteを読んでいただいた方であれば気付いた人がいると思うが、これまでのnoteの内容はほとんどがMMT(現代貨幣理論)によっている。他の経済理論ではすっきりと理解できなかったことがMMTによって明快に説明されている。ただし、実は私はMMT理論の中で税金の役割に関してはあまり納得していない。

MMT理論は税金の役割を「国が貨幣の回収を行うことで」貨幣の流通を促すという考えである。個人的にはこの考えにはなるほど、と納得した。税金が財源ではない、と言う考えは私も同じである。国債を税金で回収するという考えは誤りである。ただ、歴史的に考えると税金は流通を促す以上のものがあるのではないか、と私は考える。

そもそも国家の力とは?

一つ思考実験をしてみたい。古代エジプトのピラミッド建設について考えてみる。この際、エジプトのファラオはどのくらいの費用を投じれば5年以内にピラミッドを建設できるだろうか?こう考えるとピラミッドの建設にはどのくらいの人員とどのくらいのテクノロジーを動員できるか、が重要でありお金そのものの問題ではない、と感じるだろう。国家の力とは国家予算ではなく国家の生産力である。生産力以上の貨幣は意味をもたない。

次にギリシャの例を挙げると、もともと貨幣は奴隷の保釈金として使われていた。「お金を貯めれば強制労働をしなくて済みますよ」というわけだ。そしてお金を貯めるということは、積極的に交易を行ったり、物を作ったりすることで達成できるので、上の言葉を言い換えれば「国に富をもたらしてくれるのであれば強制労働をしなくて済みますよ」と言えるかもしれない。

貨幣について金属主義という考えがある。貨幣の価値は金属自体の価値に由来するという考えであり、アリストテレスが提唱したと言われている。MMTの考えでは金属主義は誤りであり、貨幣は負債の記録(表券主義)である。だが、私はアリストテレスはあえて表券主義が正しいと知りながら、確信犯的に金属主義を提唱したのではないか、と思っている。アリストテレスはプラトンの弟子であり、プラトンはもともと表券主義なので、アリストテレスが表券主義を知らなかったわけはなくよく熟知していたはずである。ほぼ放蕩の人生を辿ったプラトンと違い、アリストテレスはアレクサンダー大王の教育係である。国家を強くするために、貨幣経済の促進するために、貨幣の力を神格化させようとして金属主義を打ち出したのではないか?素朴な市民感情として表券主義よりも金属主義のほうがありがたみがあり、貨幣に価値を感じるというのは大いにありうることである。

次に江戸時代の例を見てみる。本多正信の有名な言葉の一つに「百姓は生かさず殺さず」というものがある。この言葉は巷でいわれているほど百姓の搾取を推奨するものではないが、百姓が豊かになりすぎることをマイナスに考えているのは間違いない。参勤交代もそうだが、江戸幕府は賦役を化し、貯蓄しにくい状況を作ることで勤労を促しているフシがある。端的に言えば豊かになりすぎると人は怠惰になるというわけだ。

こう考えると、国家が貨幣を流通させてきたそのものの目的は国家の生産力の増大である。そして、税金は貨幣の流通を促すという側面があるのは間違いないが、それだけでなく、国家を強化するために、国民をコントロールし国家秩序の維持をになっている役割があることに気づく。

貨幣制度は心理学である

ここまで考えると、果たして「税金は払う必要はありません」「国債はいくらでも発行しても問題ありません(正確には供給力の許す限り)」という世の中になった時に、国民の心理にどのような変化が起こり、今の社会秩序がどうなっていくのか、これは全く予測不可能の難しい問題だ。

実は専門家や政治家の中で財政破綻を信じている人など、ほとんどいないのではないだろうか?なぜなら、丁寧に考えていけば財政破綻が起こらない理由は理論的には大して難しくないからだ。それにもかかわらず、政治家が在世破綻の危機を煽っているのは、国の生産力を落とさないためには、寝た子を起こさずに、国民がひいこらひいこらいいながら無言で働いている方が都合が良いからだ。「国民は生かさぬよう殺さぬよう」なわけだ。

追記(2021/1/28)

ここまでで経済の記事は一旦終わろうと思ったのだが、この記事を書いた直後に、非常に興味深い発言が財務大臣からあったので、次回はその会見について書く。財政破綻論は、国民を勤労に駆り立てるための印象操作として利用されていることがよくわかる。

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