アートってなんだ

久しぶりにアートについて考える機会があった。
少しまとまりがないかもだけども、考えた事や感じた事をざっとまとめて書き出してみる。

まず、そもそも何がアートなのか。。。

個人的な見解は、
・人が表現した行為
・人が表現したモノ
であればアートという表現をしてもいい。
という見解。

表現者がアートと言ってしまえばアート。
その表現をアートと言ってもいいし、なんなら言わなくてもいい。
表現したモノは美しくてもいいし汚くてもいい。
創り出す行為でもいいし破壊する行為でもいい。
表現者が、「これはアート。」と感じれる自由度があるのはとても心地良いものだ。

あと実は皆アートに飢えてたりもする。
挟んでみたい。
引きずってみたい。
挿し込んでみたい。
割ってみたい。
鳴らしてみたい。
包んでみたい。
そう、○○してみたい。という欲は実は誰にでもある欲求で、その行為自体が非日常的な行為な場合、それを急に行うと周りがビックリしたり、?になったり、怯えたり、怒ったりするのを経験として知ってるので普段やらないだけなのだ。
でも、やってもいいという環境を作ってみると、実はみんなすんごいアーティストになったりもする。
実はみんな秘めたる【やってみたい】を持ってたりする。
承認してくれる人がいるだけでみんな直ぐにでもアーティストになれるものなのだ。

子どもにアートと触れる機会って重要だなと前々から感じていて、それが何故なのかを考えてみた。
答えとしてはアートは教育に物凄く通ずるからだ。
アートは内容によっては他者を不快にする場合もある。リスクを負う場合もある。なんなら怪我をしてしまう場合もある。
表現する事自体は自由なのだが、表現する際に他者がいる場合は自由でなくなる。
他者がいて不快な事を強行するとそれは自分勝手になってしまう。
そこで必要なのが他者とのコミュニケーション。
自分のやりたい事を伝え、相談し、折り合いを付ける。
表現の最中も、表現し終わってからも、不快にならないように考えなければいけないので、状況の認知力や判断力が必要になる。
これらは経験しないと得られない力だったりする。
アートは表現するモノや事によってはたくさんの事を考えたり、技術を要したり、配慮したりしないといけないが故に多くの経験や知識を得られる教育の機会としてとても重要な時間なのだ。

学校教育と言うシステムの中でアートと言うのは凄く相性が悪いのだけども、今のこの失敗しにくいご時世を考えるとアートは実はとても大切な教育の一つなのかもしれない。
そういった背景を考えると子どもがアートに触れる機会は平等にあるべきだ。

結論。
子どもから大人まで、いつの時代にも、社会が平和であるために人類にはアートが必要なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?