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コミュニケーション

私は昔からテニスをしていて、プロテニスプレーヤーの動向もけっこう追っている。最近、大坂なおみがフレンチオープンを棄権してその理由をSNSに投稿した。その内容を読んで少し思ったことなどを書いてみようと思う。

私の一連の思考のトリガーになったのはこの辺かな。"anyone that knows me knows I'm introverted", "I am not a natural public speaker and get huge waves of anxiety before I speak to the world's media. I get really nervous and find it stressful to always try to engage and give you the best answers I can."

この説明には共感しかなかった。私もかなり強いintrovertだ。日本語で言うとかなりの人見知り、と言えばわかりやすいだろうか。知らない人や大勢の前で話さなきゃいけないときはかなり緊張するし、言いたいことは言えないし何を言ったか覚えていないこともある。でも普段の私を知っている友人にこれを言っても信じてもらえない。

Introvertであることとコミュニケーション能力は別の問題だ。内向的か外向的かというのは私からしたら内面の問題で、必ずしも外から見てわかる話ではないと思う。ある社会的状況に置かれたときにどう感じるかの分類であって、それを素直に態度に出す人もいれば対人スキルを駆使して隠す人もいるので他人が外から見ても判断できないことも多い。

それに対してコミュニケーション能力は人に対してどう接して交流を図るかのスキルであるから、内心は居心地が悪くてもそのスキルを駆使して愛想よく振る舞うことが可能だ。私の例で言うと、コミュニケーション能力は平均以上にあるからどんな状況でもその気になれば社交的な態度を取ることができる。でもそれをやるとたいてい強いストレスを感じるし多大な疲労感が後に残る。

こんなことを考えながら近所を歩いていたら、たまたますれ違ったおじいさんに話しかけられた。そこの道は蜂がいるから気をつけて、と教えてくれた。ありがとうございます、と笑顔でこたえて先を急いだ。何気ないやりとりだけど、最近都会では知らない人とのこういったコミュニケーションは皆無に近いから少し驚きを感じた。もしかしたら皆コロナのせいでこもりがちで、生身の人間とのコミュニケーションに飢えてるのかな、と勝手に深読みした。

よく思うのは、日本でも地方に行くと人がよりフレンドリーで、東京と違って道を歩いていても知らない人に話しかけられることが多い。石垣では散歩してたおばあさんにどこから来たの?と聞かれてそこからしばらく話し込んだ。石垣の小学生たちはみんな私とすれ違うときに、こんにちは!と元気よく挨拶してくれた。学校で、挨拶しましょう、と教えられているのだろうか。東京では知らない人には話しかけないように、とおそらく教えられているから石垣の小学生は私にとって新鮮だった。

地方の方が時間的にも気持ち的にも余裕があって、治安もいいから警戒心も薄くて結果的に人がフレンドリーなのかもしれない。理由はなんであれ、そういう環境で育った方がコミュニケーション能力は発達するだろうなぁと思う。最近の若者にコミュニケーション障害が多いのはこういうのも原因のひとつになっている気がしてならない。

私の場合は幼い頃に言葉も文化も全く違う環境にいきなり放り込まれたから、相手の言っていることや考えていることの真意を理解するのは自分自身の保身とサバイバルに関わる重大な課題だった。だから必要にせまられて効果的なコミュニケーション能力を身につけたというのが実際のところだ。

大坂なおみのことばをきっかけにここまでいろんな考えが浮かんできたわけだけど、だいたい私の頭の中いつもこんな感じだ。ひとつのことばや出来事をきっかけに連想ゲームが始まり、すごい勢いでいろんな考えや思い出が蘇る。それが私の日常。



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