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人見知り

写真はボタンの花(たぶん)。ボタンの花言葉は「人見知り」らしい。

私はかなりシャイで人見知りだ。これは子供の頃からずっと変わらない。でもシャイだ、というと信じてもらえないことも多い。

特に会社の同僚には嘘でしょ、と言われることが多い。仕事中の私はそれこそ仕事モードになっているから、いかに効率よく最大限のアウトプットを出すかを考えて行動している。大きな会社になればなるほど、ひとりでできることは限られているからチームワークが大切になってくる。それを本能的に私は理解しているから、会社での私はかなり社交的だ。関わりのある全てのチームから頼れる人を見つけてはコネクションを作って、せっせと日常的にコミュニケーションを取っている。そうするといつの間にか「友達」が増えて、自然と私のところに色々な情報が集まるようになる。私のそういう姿しか知らないと、確かにどこにも人見知りの要素が見あたらないと思われてもしょうがないかもしれない。

でも社交的に振る舞うのはひとつのスキルだ。私は決して人嫌いなわけではないから、フレンドリーに振る舞う方法は知っている。この場では社交的になる、と決めてフレンドリーな人格を演じれば社交的な人間になれるのだ。仕事ではそうした方がメリットが大きいのでそういう振る舞いをしているだけだ。

素の私はかなりシャイで、基本的に知らない人とはいっさいしゃべりたくない。お店で店員に話しかけられたりするのも嫌で、他にお客さんがいないお店にはあまり入りたくない。商品を見ていて店員が近づいてくると慌てて逃げたりする。社会人になりたての頃は、会社でチームごとに固定電話が置いてあって、それが鳴ると若い人が出るのが暗黙の了解になっていた。これが私にはかなり苦痛だった。というより、電話に出ることができなかった。鳴ったら受話器を取って、会社名を言って、相手の用件を聞く、という風に書くといかにも簡単なことのように思えるけれど、実際には電話が鳴ると私の体は固まってしまって、出よう、と思っても手が動かせなかった。電話のむこうにいる全く知らない人と言葉を交わすことが私には恐怖だったのだ。ミーティングなどで5人以上の前で話すのは今でも苦手で信じられないくらい緊張する。でもそれも表面上はわからないみたいで、普通に落ち着いて話しているように見えるらしくて、緊張して何を話したか覚えていない、と言うと驚かれる。

大人になってもこの状態だから、子供の頃はもっとひどかった。でも私が苦手なのは知らない人だけで、知り合いと交流するのは何も問題がない。むしろ私はしゃべることが昔から好きだから、友達が相手だといくらでも話せるし、社交的にする方法は特に苦労もなく自然と身につけた気がする。だからよく誤解されるのだ。

私にとっての境界線があって、それより内側は友達、外側は他人でその線を境に私の態度が180度変わる、といえばわかりやすいだろうか。私から見たらその境界線はかなり明確で、自分の行動にも一貫性があると思っているのだけれど、周りからみたらよくわからない人間に見えるのかもしれない。

まあ、誰になんと言われようと私はシャイだし、無理にそれを変えようとも思わない。そして、似たような人間はだいたい見ればわかる。そう、同じ匂いのする人間はけっこうあちこちにいるものだ。




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