唐沢俊一さん死去で思い出したオタク時代。9月30日の日記

昨夜は21:15に寝ようとするも眠れずマイスリー2錠も追加。22時半過ぎにやっと眠れる。夜にがっつり系を食べたせいで眠れなかったのだろう。やっぱり夜にがっつり系を食べるのはやめよう。4時に目が覚め眠れなくなり起きる。

コーヒーを飲んでピアノを弾く。ハノンのアルペジオ三和音♭系。スタッカート練習する。ツェルニー40番20曲目。『フランス組曲』第3番2曲目。メンテ曲のメンテ。『悲愴第ニ楽章』一度通して苦手箇所練習。『ノクターン8番』何度か通しながら苦手箇所練習。『悪魔的暗示』最初に録音。3分53秒。ミス3箇所。超ゆっくり練習する。1時間50分弾く。

ピアノが終わるとRomiが起きる。「朝だよ、おはよう。中野区は今日、曇りみたいだよ。今日もいい日でありますように」とのこと。1時間だけ寝て8時に起きる。

ご飯を炊き、小松菜と厚揚げの味噌汁を作って朝ご飯。NHKオンデマンドで『光る君へ』を観る。中宮の提案で、源氏物語を冊子にして帝に献上することに。そのために美しい紙が用意され、数人がかりで紙に物語を写し、糸で綴じて33帖の冊子にまとめられた。手作りなのだけどしっかりした美しい冊子。今で言うと本が出版されるみたいな感じ?まひろにとっては名誉なこと。中宮の指南役をしっかり務めるまひろだが、いつしか天狗になっていたのか、里帰りすると実家を「みすぼらしい」と感じてしまう。さらには、酒に酔って内裏での自慢話を次々とし、ほかの皆を戸惑わせてしまう。なんかいつもの冷静なまひろらしくなかったが、まひろもまた人間だったということか。自ら書いた物語が認められ、美しい冊子になって帝に献上されたのだ。そりゃあ舞い上がるわな。

副業の原稿を書き上げ、納品した。今回のは専門知識が必要な内容で、自分なりに調べて書いたものの間違いがないか不安だったので、先方にもその旨伝えてしっかり確認していただくことにした。先方も「あまりにも専門的すぎる内容でしたね。確認します」と返してくれた。請求書も送る。今月はこれ1本だが、来月は5本もある。

仕事は編集2本、リライト3本。お昼はパルのチャーハン。NHKオンデマンドで『おむすび』第一話を観る。微妙。とりあえず第一週は様子を見るか。

唐沢俊一さんが亡くなった。66歳、心臓発作だったという。唐沢さんはトンデモ本とかで有名な人で、昔はテレビに出たりもして活躍していたが、近年は活動していなかったようだ。それどころかXを見ると、身内にも絶縁されていたり、かなり問題のある人だったようだ。亡くなってからもあれこれ言われるって、ちょっと宅八郎を彷彿させる。敵の多い人だったのだろう。

唐沢さんとソルボンヌK子さんの共著『森由岐子の世界』は、私のバイブルだ。森由岐子というのは貸本時代に活躍したホラー漫画家で、私の子供のころにひばり書房や立風書房からホラー漫画を出していた。私は子供のころから森由岐子の大ファンで、書店を探し回って漫画を買い求めた。大人になって東京に出てきて、引っ越しを何度もしても、森由岐子の漫画だけは捨てられない。ほかのホラー漫画のほとんどは処分してしまったのだけど。森由岐子の漫画は、全部で37冊持っている。子供のころから持っていてボロボロになっているが、宝物だ。実際、メルカリとかに出せば高価で売れるはずだ。もちろん手放す気はないが。

森由岐子の面白さを最初に言語化したのが唐沢さんだった。森由岐子は、じつはトンデモ本だったのである。『森由岐子の世界』を読んで、森由岐子の新たな読み方ができ、私は膝を打った。すっかり感動した私は、森由岐子についての原稿を書き、当時購読していた通販でしか売ってないマニア雑誌に投稿した。その雑誌は読者の投稿だけで成り立っている雑誌で、私の原稿は採用されて掲載された。結構反響があった。その一つが、唐沢さん本人からのものだった。唐沢さんは私に、森由岐子が今は筆名を変え、ホラーではなくレディコミで書いていることを教えてくれた。私はすぐに書店へ行ってレディコミを読みまくり、すっかりタッチは変わっているけれどこの人が森由岐子で間違いないという人を見つけたのだった。

唐沢さんの死によってその雑誌のことを思い出した。その雑誌は今も捨てずに持っている。「自殺」とか「同性愛」とか「近親相姦」とかのタブーを扱っていた。私が高校生ぐらいのときはそれらは「耽美」なものとされていた。その雑誌には文通欄があり、私はそこで同じセクシャリティの人を探したりした。何人もの女の人と知り合って文通した。ネットもない時代、田舎の高校生が同じセクシャリティの人と知り合うのはそういう方法しかなかった。

私はいわゆるオタクで、暗い高校生だった。文芸部に所属していたものの、先輩たちの不興を買って退部にされてしまい、漫画研究会の部長になった。友人たちを漫研に入れ、やりたい放題にやっていた。私を変人扱いする田舎が嫌で、東京に行きたくて仕方なかった。東京の人とたくさん文通をした。東京出身の人にはこういう気持ちはわからないだろう。東京出身の人は本当に恵まれている。

東京に出てくると、さっそく二丁目デビューした。同じセクシャリティの人にたくさん会えたし、高校時代に読んでいた件の雑誌を読んでいたという人にも出会えた。東京にはすべてがあった。しかし、田舎で特別だったはずの私は「この東京ではただの女に過ぎず、掌で転がすはずが知らぬ間に転がされていた」。

また長くなってしまった。今日も定時で上がって早めに寝よう。

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