OSK日本歌劇団・トップスター楊琳主演「大阪ラプソディ」観劇感想


「大阪ラプソディ」観て参りました!

 楊琳様主演、そして・・・楊琳様と舞美りら様のトップスターコンビ退団前最後のミュージカル「大阪ラプソディ」。その2月9日ソワレと2月10日マチネを観て参りました。これからつらつらと感想を書くのですが、ひと言で総括せよと言われたら、ただただ「素晴らしかった」です。「楊様、舞美様の最後のミュージカルの出来がもし万が一にも微妙だったらどうしよう・・・」という不安を抱いていた観劇前の己を鼻で笑いたいくらいには、文句なしに名作と言える作品でした。そして何よりもこの「大阪ラプソディ」は、楊琳様にとても相応しい作品だったと思います。
 以下ではこの作品の何が良かったかということを各場面ごとに思いつくまま書いていきます。観劇も歌劇もジャズも全て素人ですので、誤った記載や知識、また身勝手な妄想が随所にあることと思いますがどうかご了承ください。また、出演者さまの敬称については書きやすさを重視して普段心の中で呼ばせていただいている敬称を使用しておりますので、その点もご了承いただければと思います。

各場面ごとの感想

第一部第一場「Mix Jazz Mix」

 X(旧Twitter)でどなたかおっしゃってましたが、この舞台は楊琳で始まり、楊琳で終わります。プログラムを見ましてもこの最初の場面の役名は「男(楊琳)」とわざわざ表記されています。つまりOSK日本歌劇団トップスター楊琳その人が、「『道頓堀ジャズ誕生100周年』とはこういうことなんですよ」と私たち客に語って聞かせてくれるのが、この「大阪ラプソディ」という作品・・・そういう趣向です。粋ですよねえ、北林佐和子先生は。
 楊琳様の登場シーンで私が印象的だったのは、2回観させていただいて2回とも、彼女が登場すると客席の空気がとても暖かくなるのを感じたことです。楊琳様は自然体な男役を目指されている方で、実際にそれを体現されており、纏う空気が本当に素直で正直な方です。そんな彼女の登場を喜ぶ客席の空気もまた、気負わず朗らかなものを感じました。
 場面タイトルであり、主題歌の曲名でもある「Mix Jazz Mix」。その意味するところを、楊琳様がお洒落に歌い踊りながら説明してくれます。「ジャズって黒人発祥の音楽ですよね」くらいの浅い知識しか無い私に、「ジャズとは抑圧された黒人文化に自由な白人文化が混ざる、つまりミックスすることで進化を遂げた音楽なのだ」ということを教えてくれます。
 それにしてもこの主題歌である「Mix Jazz Mix」は良い曲ですね。「春のおどり」の第二部主題歌とかに使われても全然良いなと思います。

第一部第二場「昭和初期・劇場」

 ここでいきなり「ビロードの夢」が流れてくるのが嬉しいサプライズすぎて初回観劇時は普通にそれだけで泣きました。
 レビューシーンで京我りく君が舞美りら様と組んでいるのが大変良いです。舞美様は本当に踊りの名手ですから、若手男役様はできることなら全員一度は舞美様と組んで踊るべきだと個人的には思っています。この場面でリフトがあるのですが、リフトは持ち上げる側よりも持ち上げられる側の技量が必要とされるので、踊りの名人である舞美様をリフトできるのはそれだけで京我りく君の経験値がグンと伸びたことだろうと思います。お姉さまの胸を借りて成長する若手男役様という構図に私は弱いんだ・・・。

第一部第三場「ダンスホール」

 この第三場は見どころ多すぎますよね。まず華月奏さんと楊琳様の掛け合いが楽しくて粋です。客席降りしながら「春のおどり」のチラシをトップスター自らが配りながら掛け合いするって、どんだけサービス精神旺盛なんだ、OSK。この場面で私が思い出したのは、まだ悠浦あやと様が在団されていた頃の「春のおどり」のアフタートークで、「今後の目標」みたいなトークテーマだったと思うんですけど(うろ覚えです)、楊琳様は「臨機応変な対応ができるように頭が良くなりたい」みたいなことをおっしゃってたんですよね(曖昧な記憶)。それで今回、楽しそうにチラシを配りながら時に華月さんをいい感じにいじったりしているアドリブ力抜群な楊様を見て、この方は本当に有言実行の方だなあ・・・としみじみ感動した次第です。
 そしてダンスホールに場所が移動して、なんと言っても真織ひなちゃん演じる女給さんが良い味を出している。動きが秀逸です。ちょっと不器用でがさつで(ごめんね)、でも可愛くて元気で憎めない、そんな女給さんを見事に演じています。
 続いて京我りく君演じる苦労人こと飯田五郎君の登場。第二場のレビューシーンとは別人という設定ですが、ちゃんと別人に替わっているから素晴らしい。苦労が似合う三枚目の雰囲気が見事に醸し出されています。さっきまであんなにキラキラ格好良く踊ってたのにねえ・・・素晴らしいねえ。
 しかしそういう可愛い楽しい雰囲気を一瞬にしてアダルティな雰囲気に塗り替える、華月奏さん演じる織田雅道と、舞美りら様演じる三笠桜子のタンゴですよ。このシーンを一回目に観た時には私は「おいおいおい、桜子ちゃんが嫌がってるじゃねえか。やっちまってください、服部先生!」という気持ちで観ていたのですが、二回目観るともうダメですね。「あぁ・・・雅道・・・桜子・・・二人が幸せになる道はないんか・・・」と手に汗握ってしまいます。雅道が桜子の手を取って強引にターンするところも、初見時は桜子は嫌がっているのだと思ったんですが、違うんですよね。雅道の愛(激重)が嬉しくて、でも受け入れられないことへの苦悩で彼女は苦しみ翻弄されているんですよ・・・こんなん泣いてまう。私はこのシーンで桜子の手首に口づける雅道が好きすぎてどうにかなりそうです。こんな強引でわがままで、「桜子は私のものだ!」と全身で周りにアピールしているくせに、口づけは手首にしかできない歪んだ不器用な男・・・それが織田雅道。確実に北林佐和子先生の好みが詰まっとる。

第一部第四場「大大阪」

 みんな大好き「大大阪」シーン!「この大阪ラプソディで一番好きな場面はどこですか?」と聞かれたら断然この第四場!舞美りら様演じる桜子のチャーミングなこと。これまで第二場では劇団員として美しく隙の無い姿を、第三場では苦悩する大人な女性の姿を見せてきた桜子が、このシーンではじつに自然体で楽しくお茶目な姿を披露してくれている。きっとこの桜子こそ、彼女の素顔なのだろうと見る者に思わせる。だからねえ・・・初見時観たとき勘違いしましたよね。「おっ、服部先生と桜子、ええ感じやん」って。でもこれって桜子はあれなんですよ(どれだ)。異性として意識していないからこその気安さなんですよ。第三場で雅道と桜子が見せた湿って淀んだ空気と比べて、ここの良太郎と桜子の乾いた清涼な空気はなんとも対比的です。
 私はこのシーンの楊琳様こと服部良太郎が大好きですね。優しくて、穏やかで、前向きで、力強い。こんな人に話を聞いてもらえたなら、桜子みたいになんでも苦悩を打ち明けてしまうだろうな。服部良太郎、まじ人たらし。
 そしてこの「大阪ラプソディ」のテーマの一つである「ブレイクスルー」の登場です。「ブレイクスルー」とは、調べたところ「革新」「刷新」という意味らしいです。「今までの自分をガラガラって崩して進化すること」だと服部先生は言っています。まさに第一場で楊琳様から語られたジャズの誕生ですね。ジャズ=ブレイクスルーなわけです。

第一部第五場「戦争の影」

 前の場面で桜子に実質振られてしまったのだが、それでも彼女との触れ合いから得た音楽を必死に楽しそうに書き残そうとしている服部良太郎。これがまさに服部良太郎という人物の本質だと思うので、私はこの短いシーンがとても好きです。そして横浜出身の楊様の可愛らしい大阪弁が聞けるのも嬉しいポイントですね。
 さて、ここから日本は一気に戦争へと進んでいくわけですが、その表現がじつに見事でした。「戦争の影・ないない尽くし」この曲が大変素晴らしいですね。曲調自体はそこまで悲壮感はなく、なんならちょっと河内節みたいな音頭を感じます(歌詞は焦燥感たっぷりですが)。しかしこの曲が進むにつれどんどん戦争も進んでいき、世の人々が理不尽な時代への困惑・焦り・怒りを募らせていく熱演が皆さま大変素晴らしかったです。
 そして軍服を着た織田雅道の登場ですね。「作れ作れ作れ」と激しく服部を責め立てる言い方ですが、不器用な彼なりの不器用な励ましなのでしょう。本当に不器用な男です。
 飯田五郎君に赤紙が来たり、女性たちまで「戦え」と叫びながら銃口を構える真似をする大変辛いシーン。服部良太郎の、周囲に感化されて握った己の拳を信じられないものでも見るような目で見る表情が秀逸です。このシーンでは雅道以外の登場人物たちが、まだ戦前と変わらぬ服装だというのも注目点かと思っています。普通に日常を過ごしていた市井の人々が、いかにして戦争の渦に否応なしに巻き込まれていったかを、服装を変えないことで表現されているのだと思います。そして舞台袖に退場していく娘役さんたちの顔からは表情が消え、戦争という時代においては個人というものが失われ集団化されていくのだということを感じさせられます。とても辛く悲しいシーンですが、演出も振り付けも演者様も、全てが素晴らしかったと思います。

第一部第六場「軍国レビュー」

 舞美りら様の熱演シーンですね。「異国に咲く」を歌う桜子の背中が、とても投げやりな感情に満ちています。彼女の反戦の想いと、しかし舞台に立ち歌うためには己を捻じ曲げなければならないことの矛盾に苛まれる苦悩が、痛いほど伝わってきます。
 私はこのシーンで出征する飯田五郎君の口元に刻まれた微笑を見て涙腺が崩壊しました。行きたいはずがないのに、笑えるはずがないのに笑っている。あの時代、きっと誰もがそうだった。そんな青年の姿を見事に演じきってくれました。
 そして桜子の「ブレイクスルー」、崩壊シーンですね。「いや、崩壊ってそういう意味やないねん桜子」というアホ丸出しの突っ込みでも入れないと、このシーンは辛くてとても見てられません。このあと織田雅道が中国大陸に渡っていることを考えると、ここで桜子が壊れた引き金は織田雅道の出征じゃないでしょうか。「愛する人を戦地に送り出す歌を歌うくらいなら、自ら崩壊を選ぶ」ということなのではないかなあ。雅道の愛から逃げるために少女歌劇の世界に飛び込み舞台に立ち続けた桜子だけど、最後は雅道への愛を選んで舞台を降りた。「命を賭けていいのは、愛だけ」と言い切った桜子の目は、真っすぐに雅道を見ています。私はここで「ああ、この二人は純愛なんだ」と確信し再び涙腺を崩壊させました。
 桜子が舞台に立ち続けるために軍国主義的な歌を作ってきた良太郎ですが、ここで桜子が舞台から降りたことで彼は梯子を外され一人になります(つらぁ・・・)。

第二部第七場「上海(回想)」

 最初この場面を観たときに私は誠に失礼ながら「果たしてこの場面は必要なのだろうか?蘇州夜曲と夜来香を出したいがために無理やりねじ込んだ場面だろうか」などと浅いことを考えたりしました。地面に頭をこすりつけて謝罪いたします。
 この「大阪ラプソディ」のテーマがブレイクスルーであることを知ったうえで二回目を観たときに、このシーンは服部良太郎がいかに崩壊していったかを表現するために必要なシーンだったのだと思い直しました。
 第六場で桜子を失い、良太郎にとっては「愛のために」曲を作っていたその大義名分も失った。その代わりみたいに登場するのが、琴海沙羅ちゃん演じるリン・シャンランです。彼女は軍国主義のために中国人と偽ってまで歌ったり演じたりできる女性です。桜子とはあまりに対比的ですね。リン・シャンランのために機械的に曲を作り続ける服部良太郎は、もうかつての服部良太郎ではない。彼もまた、戦争に巻き込まれたその他大勢の人と同じように自我を喪失しています。
 それにしても!(無理やり明るく言ってみる)琴海沙羅ちゃん歌上手すぎか!楊琳様が喋りだすと琴海沙羅ちゃんの歌声はバックミュージックみたいに小さくなるのですが、小さい声で歌うのってめちゃくちゃ難しんですよ。リン・シャンラン役、本当にお見事でした!今後もっと琴海沙羅ちゃんが歌っているところを見たいものです。
 【追記】ちなみになんですが、ここのプログラム表記が「男(楊琳)」となっていることがずっと解せませんでした。「服部良太郎」でいいじゃないか、と思っていたのですが、私なりの答えを「総括」の「服部良太郎とは何者なのか」で記載しています。

第二部第八場「服部宅」

 この場面はなんと言っても桜乃ひとみちゃん演じる服部久代ちゃんが素晴らしい。初舞台生だと・・・?信じられん・・・!と誰もがなったことでしょう。可愛くてよく通る声に、自身も戦争で傷ついているにも関わらず兄を思いやる健気な妹の演技がまったく嫌味でないです。
 傷つき心を病んでしまった服部良太郎の演技がまた秀逸でした。楊琳様は自然体な男役を目指されている方だと既に書きましたが、彼女の演技もまた自然体の極みです。舞台に居るのは「傷ついた服部良太郎の演技をしている楊琳」ではなく、「傷ついた服部良太郎」なのです。もはやそこに居ます。

第二部第九場「大阪ラプソディ①」

 私は最初にこの場面を観たときに、舞美りら様演じる桜子の登場からずっと身震いが止まりませんでした。桜子の実体のない夢遊のような顔つき、口調、振る舞い。舞美りら様の演技の真骨頂を見た気がします。
 そしてここで観客は気づくんですよね。桜子はもうこの世にはいないんだと。彼女の羽織った薄いショール(?)の意味は、この世の者ではないことの表現なんだと。ここからかつての劇団員たち、飯田五郎君が登場しますが、彼らもまた美しい白い衣を着て、飯田五郎君は薄いショールを身に着けていて、「ああ・・・彼らもそうなのか」という容赦ない絶望を喰らわせてきます。でも服部良太郎だけがそのことに気づいていない。その痛ましさに涙が出る。
 最後に織田雅道の登場ですが、彼の肩にも美しいショールが・・・。もうね、観てるこっちはずっと震えてるんですよ。次々に繰り出される絶望に震えているのもあるし、また表現の卓越さに震えているのもあって、情緒がわけわからないことになってるんです。一回目観たときには私はひたすら「北林先生、北林先生、北林先生」と頭の中で唱えていました。・・・・思い返すと自分がちょっと怖いです。
 そして織田雅道と服部良太郎の対話シーンですね。まず何を置いても言いたいのが、華月奏さんの演技の素晴らしさです。この劇の最初に織田雅道が登場した時に、低い掠れた声と尊大な態度に、観ている私は「ああ、はいはい、そういうタイプのお貴族様ね」と思ったわけですが、しかしこのシーンの織田雅道はとても凛として涼やかで優しい青年です。つまりこの姿こそが、彼の本来の姿なのでしょう。桜子が愛した雅道も、このありのままの姿の雅道なのだと知るわけです。だって、桜子と寄り添う雅道のなんと自然体なことか。これまで私たちが見ていた雅道の姿は、貴族制や皇族男子という家柄に抑圧されて必死に造り上げた偽の姿だった・・・彼は彼で、「死」を通して己を「ブレイクスルー」したのです。
【追記】ちなみにですが、この場面で良太郎と打ち解けたように見える雅道なんですが、桜子が良太郎と仲良く喋っているシーンでは顔を背けたりして普通に嫉妬してるのが大変良いです。「おま、桜子ちゃんのことどんだけ好きやねん」とニヤニヤします。
 そんな雅道が、服部良太郎に「弱点こそ個性だ」と教えてくれます。そこから気づきを得て服部良太郎が生み出した音楽は、日本文化とジャズの融合。しかも歌詞は関西弁。そう、黒人文化と白人文化が融合したものがジャズだと言うなら、日本文化の中でも特に大阪文化とジャズが融合したものこそ、「道頓堀ジャズ」なわけです。そしてここの場面タイトルは「大阪ラプソディ」・・・・!
 あの・・・本当に・・・美しすぎません?ここまでの話の流れ。北林佐和子先生!!あなたは天才です!!

【追記】第二部第十場「大阪ラプソディ②」

 最後に楊琳様の語りへと戻ってきて、このお話のまとめに入ります。「道頓堀ジャズ100年は、大正、昭和、平成、そして現在を結ぶ奇跡の歴史」この言葉こそが「大阪ラプソディ」という舞台の核心ですよね。「奇跡の歴史」がどのようなものであったか、それを語るミュージカルが「大阪ラプソディ」なのです。
 そしてそして、楊琳様の「OSKも受け継いで参ります」という力強い響き。この言葉を楊琳様が言われたことにとても尊い意味があるんだ・・・ということを、この後の「総括」の「『大阪ラプソディ』は楊琳様のためのミュージカル」という箇所で書かせていただきます。

【追記】第二部第十一場「フィナーレA」

 ショーシーンになると皆急に色気を増すのはさすがとしか言いようがない。しかしこの扇町ミュージアムキューブは舞台が狭い・・・!お芝居ならぜんぜん不満はないのですが(それでも座席の問題で見えづらいなどの不満はある)、ダンスのOSKがショーをやるには狭すぎます。本当は皆もっと踊れるのに・・・楊琳様も舞美様も、本領発揮できてないのがわかります。まあでもこの近さで存分にショーの熱気を浴びれるという利点もあるので、そこは良かったです。
 それにしても舞美様はカッコいい娘役様ですよね。「フッ!」という通常男役様がよくされる掛け声も、舞美様がされるとまた違った男前な色気があってたまりません。狭くて動き回れない代わりに舞美様の脚上げやリフトが多用されているのも、狭い故の幸いと言いますか。
 今回のミュージカルは非常に少人数でよく頑張ってくださったと思います。そのご褒美と言いますか、若手までちゃんと歌う場面と見せ場がショーで用意されているのは大変良かったです。
 そして楊琳様と舞美様のデュエットダンスですよね。この二人の見つめ合うだけですべて分かっている感と言うか、もはや言葉はいらない感が本当に大好きで、それを存分に浴びさせてくれるこのシーンは素晴らしいの一言です。しかし二人とも赤がよく似合う・・・!ベストカップル賞ですよ!
 楊琳様と舞美様がはけた後の曲。この場面で、客席で観たときに印象的だったのが、最初若手娘役さんが登場して曲がアップテンポなので客席も手拍子をするんですが、その手拍子がちょっと遠慮がちなんですよね。「手拍子していいのか・・・?ここは手拍子するところだよね・・・?」という戸惑いの空気。しかしそこに颯爽と華月奏さんが飛び込んできてくれて、「あ!やっぱり手拍子していいんだ!」となって一気に客席の手拍子の音が大きくなるんですよ。この安心感というか、空気を客席に届ける力、みたいなものはやはり経験を積まないと身に着かないものなんじゃないかと個人的には思っていて。そういう意味で華月奏さん、お見事でした。

【追記】第二部第十二場「フィナーレB」
 この場面はもう何も言うことがないです。楽しかった~!それだけですし、それでいいのです。ここまで見てきたミュージカルとショーに何の文句もなく、心地いい倦怠感に包まれてフィナーレを見届けられる瞬間こそ至高です。
 

総括

「大阪ラプソディ」とは、なんなのか

 皆さま、この「大阪ラプソディ」に言いたいこと、ありますよね。そう・・・お話が重い・・・!!重い重い重い重い!!(閣下の真似、なんちゃって)1回目観たときはもう情緒がぐちゃぐちゃでひどい有様でした。ですが、この舞台の主題は「ジャズ」です。この舞台は「道頓堀ジャズ100周年」を記念して製作されたミュージカル。話が重くなるのは致し方ない。
 ジャズの誕生は抑圧された黒人文化のブレイクスルーであり、道頓堀ジャズの誕生もまた関東大震災という苦難からのブレイクスルーです。そして道頓堀ジャズが100年続いてきたその歴史は、まさに楊琳様がここまで語って見せてくださった通り、戦争という抑圧の時代を乗り越えて、道頓堀の大阪文化と融合して進化してきた奇跡の歴史です。
 「道頓堀ジャズ100周年」というミュージカルをやるにあたって、その苦難の道を描かずしてジャズのお洒落で楽しい部分だけを押し出したような作品に仕上げたならば、それは劇中で織田雅道が「君の音楽は欧米音楽の上辺をなぞっているだけ」と苦言を呈したように、ジャズの良いとこどりだけをした軽い内容になったことでしょう。お手軽に楽しくお洒落な劇に仕上げず、「道頓堀ジャズ」とは何であるのかを正面から描く方向に舵を切った北林佐和子先生の心意気と手腕に私は痺れます。限られた時間と予算と人数で、よくここまで綺麗に、理屈っぽくなく、こっちの情緒を破壊しながら纏めてくれたものだと感涙します。

服部良太郎とは、何者なのか

 皆さま、この「大阪ラプソディ」に言いたいこと・・・もう一つありますよね。いや、楊琳様と舞美りら様は結ばれへんのか~~~い!!一回目の観劇時、私も大変衝撃を受けました。そっちとくっつくんか~い!!という突っ込みを何べん入れたことでしょう。
 しかし私は思うのですが、服部良太郎という男は「道頓堀ジャズ」そのものなのではないでしょうか。「道頓堀ジャズ」の擬人化というか、妖精というか、概念ではないでしょうか。なぜそう思うかと言えば、本公演のプログラムに書かれてある通り、「道頓堀ジャズ」が誕生したきっかけは、関東大震災が起きたからです。そして関東大震災が起きて大阪にジャズという文化が根付きだした頃、つまり「道頓堀ジャズ」がまだ幼くか弱い存在であった頃に、服部良太郎もまた病弱な少年であったという設定。そして「道頓堀ジャズ」の栄光、繁栄、そこからの苦難、崩壊、再発展・・・そのすべてをなぞっているかのような服部良太郎の人生。「道頓堀ジャズ」と服部良太郎の人生は明確にリンクしています。それ故、私は服部良太郎とは「道頓堀ジャズ」の概念なのだと勝手に確信しています。
【追記】第二部第七場「上海(回想)」の感想にて、なぜ役名が「男(楊琳)」となっているのか疑問だと書きましたが、服部良太郎が道頓堀ジャズそのものだと考えることでその答えが出せる気がします。この上海シーンの時代は、ジャズは敵国音楽として完全に禁止されている時代だから、ではないでしょうか。そこに道頓堀ジャズ、つまり服部良太郎は存在できなかった時代なのではないかと、勝手に考えて勝手に納得している次第です。
 そう考えると、桜子と結ばれない結末にも私はなんの不満もありません。服部良太郎は、人々の営みの側にいつも寄り添うジャズ、音楽だからです。人々が栄え、愛し合い、そして苦難の末に死に絶え、しかしその中でもわずかに生き残った者がいてまた明日を切り拓いていく・・・そのすべてに服部良太郎こと「道頓堀ジャズ」は寄り添い続けるのでしょう。そういう物語だと理解しました。
 ちなみにこの「服部良太郎=道頓堀ジャズ説」をOSK観劇の大先輩である私の母の前で披露したところ一笑に付されましたので、皆さまもどうか優しい目で笑ってくださればそれで結構です。

「大阪ラプソディ」は楊琳様のためのミュージカル

 服部良太郎が「道頓堀ジャズ」かどうかは置いといて、それでもこの「大阪ラプソディ」という舞台が「道頓堀ジャズ100周年」の歴史を立派に描き切ったミュージカルであること前述のとおりです。
 100周年といえば・・・・そう、OSK日本歌劇団も2年前の2022年に100周年を迎えたところです。そして100周年という看板を背負ったトップスターこそ、楊琳様その人です。しかも「道頓堀ジャズ」の歩んできた苦難の歴史は、まさにOSKの歴史ともリンクしています。同じ大阪で同じ時代を生き抜いてきた文化ゆえ、当然と言えば当然ですが、やはりここに運命的なものを感じずにはいられません。
 私はこの「大阪ラプソディ」の主演は、OSK日本歌劇団100周年を背負われたトップスター楊琳様の他には務まらないと思っています。(でも再演は何度でもしてくれていいよ・・・!)そして楊琳様はOSK100周年の重圧を背負って立ったように、この「道頓堀ジャズ100周年」の看板もまた見事に背負って立ってくださいました。本当に大きな大きなトップスター様です。彼女は自然体すぎるがゆえに、その偉大さに気づきにくいところがありますが、今回の舞台はそんな彼女の偉大さを再確認させてくれました。楊琳様の為に書かれたと言ってもいいこの「大阪ラプソディ」の脚本・演出を書かれた北林佐和子先生に、私はどうしてもお礼が言いたい。本当にありがとうございます!私はこの「大阪ラプソディ」が楊琳様、舞美りら様のOSK最後のミュージカルで良かったと心から思います!
 【追記】本当に本当に名作ですので、叶うことならば楊琳様と舞美りら様の退団前にもう一度・・・!再演を・・・!「春のおどり」と「レビューin Kyoto」の間にちょっと隙間あるじゃないですか!今度はもう少し大きな見えやすい舞台で、ぜひ・・・!




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