(7)ラブリアリズムLove realismとしての愛

第13条─愛の巣である、神の家庭国家の成り立ち、その訳

ミコトバの名前の由来とは?
─その名の由来は、自分の事を「見事だ!」と自己表現していた頃の名のミコトバと言う神の名であり、お母様、神本人の事である。

神の幼少時代。神に幼少時代があっただなんて、そんなことが言えるのは、私くらいのものでありますね。ミコトバの事を知って、学んで、直接その目で見てください。聞いてください。私とともに、遊ぶことすらもできる時代です。もう普遍的な神様のイメージから一新された、クリスチャン達の確固たるイメージから離れる時です。ですが、私は決して反クリスチャンではありません。その上の神です。神本人なのです。イエスは、私の子です。佐藤仁苗からのミコトバという人について。私は神ですが人です。受肉した神本人です。ー神にも性器のなかった時代に、地球を転々としていた神です。

佐藤仁苗についてもう少し掘り下げましょう。ユダヤとアラブの被害者です。私は生まれ変わりの受肉した神であると同時に、この世で産まれ名付けられた姓名があります。【佐藤仁苗】という【人】です。私自身は、暗闇の人生でした。学校でのいじめ、社会での仄めかし、右翼による集団ストーキング、アメリカからの人工衛星を使った、国家暴力という脅し。日本の法との絡みあい。陰湿な手段であるシカト。様々な要因が絡まって人格形成をしてきました。だがしかし、あの日、(2020/11/19)お父様である私の神としての旦那様、そして神としての初めての子である。【コウジ】という男の御人によって、私の心の中に語り掛けられたのです。そこからが、私の人生の転機でした…。

ミコトバ(Love Realism)主義尊守法とは?
ーまず、Love Realismから見て行きましょう。日本語では、「愛(Ai)、と、現実(Genzitu)」。です。

その主義主張ですが、その中には多くの存在が含まれます。まず、「愛-Ai」という言葉、それは神が神で在り産まれたときからこの600億年の歳月を掛けてようやく書き綴っている言葉。あなた達に聞かせなければならない一番大事な言葉です。「愛-Ai」とは、「あいあいあい」と、神が感情を手に入れた時に、発した悲痛な泣き喚き声であって、「あいしている」「愛、知っている」「愛している」とその時に閃きを得た、悲しくも在り、孤独で在り、嬉しくも有った、唯一普遍の<感情論>に他なりません。三つもです。三つも意味があるんです。それが、神の言葉としての閃きだったに決まっているんです。(ここで泣く人たちが、一番の聖徒たちです)

日本人としてもう少しこの言葉の類語を見て行きましょう。「愛」に「近い」「感謝」について。外国のカトリック達はこう言います。「親への感謝では無く、神への感謝だ」それはそうです。それは基本的なことなので、当たり前です。「神」と「私」それは普遍的で犯しがたく、ですが一歩間違えると孤独という選択をしてしまいがちな危ない感覚です。

日本人にありがちな、「親への感謝」「共同体への感謝」「一心同体」「帰属意識」これらは日本人のマインドを見てみると何の事だか解ります。さて、感謝とは?普遍的な目で見ると、「神へ捧げる想い」のことです。ですが日本人は少し違います。それらを連ねているんです。想いの連鎖。

一心不乱に、自己を省みらない自己犠牲的愛情。日本人が優しいと言われるのは何故でしょうか?_その故に言われるんです。自己犠牲的愛情表現、その<感情論>。自己犠牲的愛情表現がこんなにも豊富である所以とは?それは歴史を見てみると解ります。

日本は島国です。船がなければ外国へ行けず、遮断された空間にいます。なのに何故、こんなにも豊かなのでしょうか?想いが強いから?侍魂?言葉数の問題?日本語は約5億語もあると言われています。それって私たちが勤勉だからじゃないの?_それも多少あります。ブラックな会社でも生きて来れた理由は?生きたいと願うから?それは運命であるとしか言いようがない問題です。運命は既に決定されている…。なるほど、では「愛」にまた立ち帰って見ましょう。
言葉である日本語は、愛(Ai)を誕生させたのだ。日本語が何の言語であるか、少しだけ解ってきたでしょうか? 

_そうです、神の言語です。泣き喚いていたという。子供ながらの感情論を左手に、右手には神という理性と神性を表す、

言葉(Wards)を手に入れたのです。何というロゴスでしょう。

この綴っている私ですら、何度も思い出しては少しだけ孤独に浸りながら、愛を思い出して泣くのです。愛が恋しいから…。

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