日記

なんか信じられるものが無いなと改めて思う。ネットも、リアルも、なにもかも。
いや、信じることの不安定さを視てしまってるのかも。高校に通っていた頃なんかは、もっと信じられるものを求めていて、そういうものがどこかにあるんだと思っていたが。多分無いんだろうと今は思う。
そんな風に生きてきたから、小説の情景描写、例えば街の住所だとか、部屋の様子だとか、そういう物質的な物を書く能力が足りてないんだなって自分のことをわかってしまった。ごく最近のことだ。漫画でいえば背景とか?そう、ある種の少女漫画みたいに、自分の理想の少女は描けるけど、おっさんは描きたくないから描けなかったりっていう、まだ向き合いたく無い物が多過ぎたんだってつくづく思う。だいたい小説は、底の底を正気で見て来ないといけないのにね。優しい人には書けない。そんなことは、ないか。ないな。
狂気の使い方を間違えた人を庇いたくなる、それは私だから、ありえた話だから、でも間違えたって断罪する時点でどっか優越感を持っちゃってるんだろう。ね。とっくに普通の人というものをやめて過ごしてきたのにさ。忘れんなよ自分の立場。やっぱり、普通って何とか言葉で言ってみたって、自分が普通じゃないって何回も考えたことがある人にとってはそんなのは薄っぺらい平等主義まがいだよね。だよねって誰に言ってるんだ。しかし言葉は読まれるためのものだ。
占いを信じるのを後ろめたく思いはじめる。やっぱり優しくされたいんだとか、そういうの俺は信じないけどとか、なんか占いを信じてるのが自分の弱さみたいに感じられてきて、でも実際そうなんだけど。
なんか、どこに居ても私の足元は危ない。もっと…どういうふうになればいいんだろう、と他人のことも、自分のことも、そういうふうに生まれたらそれは仕方ないねなんて言えるわけなく、弱い人間が弱いまま優しいまま生きるなど無理な話なのだから、結局それは強者の理屈であり、できないことや限界はあるもので、表面上の言葉をそのまま受け取る以外できない人は損をすることが多い。
そういう思いは、時と共に薄れていくけど、根底では精算されないんだろう。
noteで、いくつかいいね(Twitterじゃないからnoteはスキだっけ、)をもらう。あるアーティストの歌詞考察をやってるからそのファンの方々なのだろう。なんか少し申し訳ない気持ちもありながら。でもとりあえず習慣として続けようと思う。歌詞をこんなに毎日写経して読み解こうとするのは初めてなので、なんらかのトレーニングにはなっているだろうという気も、うっすらとする時がある。駄文なのは分かってるんだけど、やる。
眠い。なぜこの世に目覚めてしまったのかと、毎朝毎朝その都度新鮮に思う。けれど、その発想の陳腐さにも飽き始めたところで、いやもうすでに限界量を超えて、朝起きるのも昔ほど下手ではなくなった。実はそれは年齢のせいでもあるのだろう。精神と体はつながっていることだし。
AIは老いずに進化し続けるだけなのかな。嗚呼、幼年期の終わりに。
ただ一切は過ぎてゆきます←マジそれな、それなって今言わないか。それだけが救い。いま信じているもの。

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