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サトウトシキ「迷い猫」

2022年2月国立映画アーカイブで、サトウトシキ「迷い猫」 (成人映画公開題「新宿♀日記 迷い猫」) 脚本は小林政広。

娼婦の裏顔がばれて夫を殺害した、不機嫌な団地妻(長曽我部蓉子)が記者(平泉成)の取材に応答しながら自身の行動を振り返り、やがて自覚する彼女に不在だった優しい父親の幻、ダイアログによる情痴事件回想で孤独な女の悲劇を描いた傑作。

観ていてホントに寂しさと切なさに胸が締め付けられる日本の悲劇。決して他人事じゃなく、誰にでも起こりうる悲劇。もう少し、出会いが早ければ、気が付くのが早ければ、と言っても始まらない。起きてしまったことは仕方ないけど、遅まきながら気が付くことで救われる、ここに寂しさの理由がある。

平泉成が蓉子に対して殺人事件の背景や経緯、動機をインタビューするという、平泉自身も劇中で言っている「一生に一度あるかないかの取材」蓉子の風貌はあちこちに貼ってある警察の「この顔にピンときたら110番」のグラサン爆弾魔活動家のような怪し気な風貌で、回想に登場する新宿で娼婦をする妖艶な蓉子とは全く違う。

いくつも見どころがあるが、まずはビシッとキマッた画に調和し続ける、山田勳生の美しくも内省的なメロディラインのリフレイン。ヒロインの蓉子の心情をそのまま表現するように、何度も何度も「女って哀しいよね」センチメンタルに流れ続けるのだが、同時に聴き続けているとなんとなく前向きなようにも感じてくる不思議さ。

人妻の蓉子は、狭苦しい団地の中に閉じ込められて、やっと夜勤の夫を待つという口実で新宿の雑踏に飛び出してみれば、娼婦のような行為に手を染めてラブホに閉じ込められる。そんな彼女が、夫を殺害した直後に、やっと気づくんだよね。私、海を見に行かなくちゃいけなかったんだ。

蓉子は寒々とした冬の房総の海を眺めながらもこれまでになかったような解放感に浸り、縁を切っていた父親のことを思い出して群馬まで墓参り、そのまま一度見てみたかった日本海に向かって夕焼けを見ながら「太平洋と同じだけど、一つだけ違うことがある」これで蓉子は初めて自分を取り戻した。

既に殺人犯として逮捕された蓉子は、指名手配犯のような薄い度の入ったグラサンかけていて、周囲に身バレしないようにしている不気味な容姿。取材中もずっと凍り付いたままのような表情を崩さなかった蓉子が、初めて取材記者の平泉に見せた笑顔は、夫の死体をバラバラにするための電動のこぎりを夫名義のクレカで買ったことが可笑しくって。

そんな蓉子を、ずっと温かく見守ってくれる平泉に対して、ついに蓉子は父性を感じてしまう。窓の外を見ると、もう事件が起きた冬などとっくに過ぎて、今はもう夏。平泉との会話に夢中になっていた蓉子が喫茶店の窓から見える森は眩しい陽が射して、彼女の冬も過ぎ去っていた。

蓉子は、取り返しのつかない殺人事件を犯してしまったのに、房総の海も日本海も、団地でひっそりと暮らしていた時も、全ての冬が思いの外気持ち良く通り過ぎて過ぎ去って夏。夫の好きだったバナナジュースを飲む彼女は、平泉に父親を感じ、孤独なままに平泉と別れ、そのまま警察署に向かった。

物語は、取材記者の平泉成が机の上にテープレコーダーを置いて、自慢の低音で刑事コロンボ並みに「奥さん」と殺人事件の真相に迫っていくガチバトル。平泉の顔も、蓉子の顔も、どっちもこわばっていて怖い。喫茶店の片隅でひっそりと繰り広げられる、蓉子の回想を引き出すダイアログ。

蓉子の夫はオタクでパソコンが大好き。自分のことを抱いてはくれたが、そこに愛があるのかよく分からない。団地から出ることもままならないのに、夫は給金の良い夜勤の仕事に転職し、寂しい蓉子は夫を待つために新宿の街頭に立つ。でも酔っぱらいの男で無くても、蓉子は男を誘っている娼婦に見えた。

ナンパな本多菊次朗が近づいて来て、あっさりと肉体関係に堕ちる。出会った晩で一日5発。仰向けの本多に跨って騎乗位でガンガン腰をピストンしておっぱいブルンブルン震わせて咆哮する自身の官能的な表情が鏡に映っているのを見て、蓉子は淫乱に変身した。

肉体の相性バッチリの本多に蓉子はただマンやらせるようになり、朝帰りすると夫とも夫婦生活した。新宿で男引っ掛けて夜はラブホで、朝は夜勤帰りの夫と、毎日合計5発こなしながらも、それを異常と思わない蓉子。

平泉は「さすがに旦那さん、気が付いてたんじゃないの?」訝しがるが、「絶対に気づいてなかった」と言い張る蓉子に、平泉は「ま、仕方ねえな」と話題を変えた。問題は夫を殺害した早朝と、その後の行動、それが平泉には不可解だった。なぜ彼女は朝焼けの房総の海を眺めたのか?そこまでの一連の流れが。

夜勤帰りの夫は蓉子に「もう一つの穴で犯してやる」「こっちの穴は穢れている。俺まで穢れてしまうからな」ここまで言われても無自覚だった蓉子は、夫を発作的に金属バットで殴って殺した。公園に落ちてた子供用の金属バットは70発くらい殴らないと死なない。それが蓉子には良かった。たっぷりと夫の苦しむ様を堪能したのだ。

蓉子は夫を殺した後も「死体をどうしようか?」冷静に考えつつ、男手が必要なので本多に相談するが「手伝う訳、ねーだろw」とあっけなく拒否。共犯者になるなんて御免なのだ。蓉子は風呂場に夫の死体を放置したまま、なぜか海が見たくなった。房総の寒風吹きすさぶ砂浜で、足元に水を浴びて、童心に返ったように海を見つめる蓉子。

警察に事情聴取された後、長らく絶縁したまま死んだ父親の墓参りに群馬に行った蓉子。なぜ急に父親のことを思い出したんだろう?でも母親が住む実家には行かず、ビジホを転々とし、そのまま日本海へ。一度、日本海が見たかった。一直線にきれいに伸びた水平線に夕焼けの沈む日本海を見ながら蓉子は思った「太平洋と違って、日が山から昇って海に沈むんだ!」

蓉子は帰京した後、本多に電話した。情婦(里見瑤子)とセックス中だったけど、ラブホに来てくれた。でも日本海の話するとイヤがるんだよね。抱いてもくれそうもない「お金貰うんなら、イイでしょ」2万円を縁の切れ目に、蓉子は再び抱かれ、あの時と同じ、鏡に映った自分の淫乱な姿を確認した。

ここまで話して、突然フフフと笑いがこらえきれなくなる蓉子。「夫の死体、切り刻もうとホームセンターに電動のこぎり買いに行ったんですよ。クレカで払おうとしたら名義が夫のカードで。だって死んだ夫の死体を始末するのに、夫のカードで・・・」蓉子の笑顔を初めて見て、平泉も初めて緊張の糸が切れた。

喫茶店でコーヒーを飲みながら取材していた平泉。ここで蓉子が「バナナジュース、頼んでいいですか?」( ゚Д゚)とびっくりする平泉。聞けば蓉子の夫はバナナが大好きで、毎日バナナジュースを飲んでいたらしい。外を見ればもう夏。殺人事件が起きてからもう半年も経つのか。冷たいバナナジュースを美味しそうに飲む、蓉子。

蓉子は、殺人を犯した動機の核心を話し始めた「私、優しくて頼もしい父親を求めていたのかもしれない」夫は当然のこと、知り合った本多もダメだった。平泉に初めて父親を感じた。だから今、こうして素直に自分の気持ちを吐露している。平泉はこれで十分だと思った。いや、これは取材にしてはいけないのかも。

蓉子は店を出ながら「この取材記事、いつ載るんですか?」平泉は答えようがなかった。俺のことをお父さんだと思って信頼して、ここまで話してくれた蓉子のこと、俺は裏切れないよ。ズンズン歩いて警察に向かう蓉子。交差点で信号が赤で、両脇には刑事がピタッとマークしている。



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