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瀬々敬久「なりゆきな魂、」

横浜シネマリンで、瀬々敬久「なりゆきな魂、」

知られざる天才漫画家・つげ忠男をリスペクト、彼の短編漫画4編を一部は画コンテのように丹念に、一部は「結末は漫画を読んで下さい」と途中でぶったぎり、あくまでも本作の後につげ忠男の漫画を読むことで全て完結、映画と漫画が意図的かどうか分からないけど結果的にコラボした、珍しい逸品。

普段は映画と原作とは別物、小説でも漫画でも、映画と分けて考える私だが、内容は暗いけど強烈に心に響く、つげ忠男の原作漫画をぜひ皆様にも読んで欲しい。主人公は美しい夜桜の下で喧嘩やセックスをする若い男女を見て見ぬふりしながら「ざまあみろ、いや、俺はこの社会を構成している自分自身に言ってるだけなのか?」自己撞着の苦悶に頭を抱える。

つげ忠男はつげ義春の弟で、兄弟ともにガロ系のマンガ家。私は本作がつげ忠男の原作と聞いて、最初はつげ義春と勘違いしていたw作風はさすが兄弟、良く似ているが、つげ忠男の作品を何本か読んで来た所、暗い、とにかく暗すぎる。人気が中々出ない理由、分かる気がする。

この作品を観終わった後、原作となっている短編漫画「懐かしのメロディ」「成り行き」「夜桜修羅」「音」の4編を読んでみたのだが、さすがの瀬々監督を以てしても、「導入部」「予告編」としか表現できぬほど、つげ忠男の漫画は素晴らしい。絶対に、映画も漫画も両方とも、合わせて堪能すべき。

劇場で観終わった直後は、「はて?俺は何を観ていたんだろう?」と狐につままれたような気分で、悶々として家路につく。本作の惹句である「結末なんて実はどうでもいい」を思い出したが、ホントにどうでもいい訳はなく(笑)結末はつげさんの漫画で確認してくださいね、ってこと。

つげ忠男の原作漫画とは、全然関係ないパートが二つ登場する。一つは上高地行きの夜行バスが高速道路で事故を起こし、犠牲になった9名の家族がミーティングする人間ドラマ。そしてもう一つは、非常に突拍子も無く登場する、川瀬陽太が主人を務める野菜販売所の日常風景。

高速バス事故の犠牲者の家族たちが、表面づらだけは正義漢ぶって、実は俗物ばかりであるという描写は「夜桜修羅」のクライマックスシーンの餓鬼どもの修羅図に繋がるものだが、それよりも野菜販売所の場面が私には謎であった。尻軽な女店員、謎の色男、そして旅行中の外国人。

野菜販売所の登場人物はそのまんま、つげ漫画のキャラが集合した人間交差点のようなもので、川瀬はその見守り役。尻軽女は「成り行き」でレイプされる女、色男は「夜桜修羅」で美女をナンパする男、そしてイチゴ農園への生き方を訪ねて来る男こそが尻軽女の将来の伴侶(後述)。

瀬々監督は「成り行き」を読んで感動して映画化を思い立って、わずか三ヶ月でクランクアップまでこぎつけたと聞く。「成り行き」と「夜桜修羅」は漫画自体がまるで映画の画コンテのようでぞくぞくする一方、「懐かしのメロディ」と「音」は冒頭とラストにわずかに引用。

ここまで書くと、「映画を観る前に漫画を読んだ方がいいんじゃね?」と誤解されそうですが、全く違います。まず、本作を劇場で観て下さい。DVDやネット配信じゃダメですよおw劇場の椅子に縛り付けられるように、訳が分からなくてもとにかく100分、心を鬼にして、見るべし!

で、映画の余韻が消えないうちに、できれば「成り行き」「夜桜修羅」の2本から読み始めればサイコーです。なぜなら、瀬々演出で使用した画コンテがそのまま漫画になってる。逆に言えば、瀬々監督がつげ忠男の漫画をそのまま画コンテにした、恐るべき芸術作品なのです!

「懐かしのメロディ」については無頼漢サブ、またの名を京成サブが、戦後の闇市で腕っぷしでのし上がる、そして米兵に喧嘩売って町から出ていく、まるで「仁義なき戦い」の美能幸三のスタートラインのような描写で、さすがに低予算作品での映像化は断念したのだと思う。

「音」については、1971年に「美術手帳」に掲載された、つげ忠男30歳の時の作品。原作となってる4本の中では飛び抜けてシュールで余韻が味わい深くて、無口な中年の主人公のおじさんが寂しすぎる。これもさすがの名優柄本明でも一人だけでは太刀打ちできない、異世界。

「音」に関しては、素晴らしすぎて漫画を読み終わって絶句したのだが、映画の方には全く描写されない。いや、立ちんぼの女が出て来て「寒い」と男を誘い、「すまない、そんな気分じゃない」と去って行くまでで、それ以上を描くのはムリ、瀬々監督は素直に諦めたのだと思うw

私は、本作の原作になっている以外にも、つげ忠男の漫画を興味が湧いて色々読んで見たのだが、「この人の感性はどこかおかしい」漫画を描くとき、ト書きのようにコマを割る人ってなかなかいない。人間が生きているはずなのに、生きていないような、この世のものでない感じがする。

瀬々監督は漫画「成り行き」が余りに面白いので成り行きまかせに映画を撮り始めて、最後は収拾がつかなくなって「ええい!全て成り行き任せだ!」結論を放り投げてしまったのかもしれないが、これはさすがにちょっと、つげ先生に失礼なんじゃない?と思わないではないw

私は本作のタイトルが平仮名で「なりゆき」表記だったり、魂のあとに「、」を付けてたり、轢句で「結末なんて実はどうでもいい」と言い放ってみたりとか、要はつげ忠男のような天才漫画家には私は敵いっこありません、と素直にひれ伏している図、ここからスタートしたいw

ピンク映画的に言えば(笑)野菜販売所の店主に川瀬陽太、全裸で食べ物を一心不乱に食べる佐野史郎の妻に葉月蛍、OLの國元なつきにパントリーで頭から熱湯かけて虐める和田光沙&速水今日子、配役は忘れたけどw吉岡睦雄も出てる。登場人物は数えきれないほどに多い(笑)

本作は、慌てて撮ったがために怪作化したものと思われ(笑)いくつも「ここで騙されちゃいけませんよ!」瀬々監督本人ですら予期して無かったような(←これはダメだろw)アクシデンタルなフェイクが次から次へと登場、罠にかからずに素直に映画を観ることが困難な状況だw

冒頭、「懐かしのメロディ」の主人公・無頼漢サブが、昔の情婦と腕を組んで歩く米兵を斬りつける「米兵を襲うなんてただじゃ済まないぞ!」「あなた、逃げて!」サブが脱兎のごとく立ち去り、少年が呆然と見つめる、ここにタイトルインの時点で、もう何が何だか分かんないw

いったん、つげ漫画の世界はさて置き、瀬々オリジナルの高速バス事故犠牲者討論会の場面に入り、とにかくこのシチュエーションがしつこい位に長くて辟易として来ますが、ここを乗り越えるためこそ、漫画を先に読んではいけない、瀬々監督にはこの討論会を据えた意図がある。

高速バス事故犠牲者討論会の場面については、人間の表と裏の顔と言うか、バスの運転手も、最愛の配偶者を亡くした男女も、仲の良い友人を失った友達も「おいおい、その口で良く言えるよな」腹黒さ剥出しの人間のイヤらしさをとことん描き出す、でもそれ自体が真意ではない。

二人で仲良く釣りをしている70歳オーバーの老人、柄本明と足立正生。二人とも漫画のキャラにかなり寄せていてびっくりだが、ヤクザ役は柄本より足立だろw二人は草むらで女(山田真歩)をレイプしている男(後藤剛範、強がりカポナータのマッチョデブw)を見かけてしまう。

この辺りは忠実に「成り行き」の通りに丁寧に描写され、原作をほぼ1ミリも動かすことなく、足立正生にゲバ棒で後藤を襲わせる(笑)老人二人は「俺たちは殺人を犯してしまった・・・」この後、足立にも柄本にも「天罰」が下るのだが、ここだけは意図的に映画化しない。

悪い言い方をすればダラダラと、良い言い方をすればクライマックスシーンに向けて延々と種蒔きを続け、収穫の時は「夜桜修羅」ここまで柄本明ポジションとばかり思っていた主役の中年おじさんが突然、佐野史郎にスイッチしてびっくり!配役は「つげ忠男」じゃないですかw

しかも、佐野史郎は着てる服が瀬々監督の私物?表情とか仕草とか、瀬々監督モノマネとしか思えない(笑)一発芸的に観客を魅了する、両手で顔を覆い見てはいけないものを見ないようにしたけど、やっぱり見たいから見ちゃいました!的な子供がするようなおかしな仕草!

「夜桜修羅」のパートは、公園に咲いてる一本桜を瀬々監督、いや、つげ忠男、いや、佐野史郎(←もう誰でもいいだろw)が眺めて桜の花が舞い散る美しさに感動していると桜の化身のような絶世の美女(中田彩千)が目の前にハッと登場。ここは彼女を物凄く美しく撮ってる!

佐野がじっと見つめている桜の樹の下で、美女の中田絢千がイケメンの栁俊太郎にナンパされ、最初は殴り合いの痴話喧嘩をしていたかと思ったら、急にセックスし始める「おっさん、見るなよ!」佐野は見てはいけないものを覗き見しながら「これって、いつも見てるんじゃ?」

つげ忠男の脳内が天才過ぎて、さすがの瀬々監督もついていけてないような場面の連続の中で「私たちは情報の洪水の中に溺れ、殺人などの凶悪犯罪を見てもエンターテイメントのようにしか楽しめない、もう感覚がマヒしてしまったのではないか?」今の自分自身を疑い始める。

すると、なんということでしょう!佐野は突然、全裸になって、目の前にある豪華な食事(←漫画では寿司やステーキなのに、映画では予算の都合か?餃子やナポリタンに変更w)を妻の葉月蛍とムシャムシャ頬張ってるじゃありませんか!突然の葉月蛍の全裸に私はもうびっくりw

この作品の主役って、実は成り行きで葉月蛍なんじゃね?と思う位メガトン級の衝撃!からの、高速バス犠牲者の会ではイイ子ぶった発言してた奴らが、援交するわ、スカートの中盗撮するわ、オレオレ詐欺で老人から大金騙し取るわ、事故起こしたバス会社の連中も舌をペロッと出してるw

「そうか!」(←そうか、じゃねーよw)だから瀬々監督は延々と高速バス犠牲者の会をドキュメント風に映したのね、と思ったら、実はそうでもなくて、瀬々監督の意図はあくまで「なりゆきの魂、」人間、想定した通り物事は運ばず一寸先は闇、ここはつげ漫画と違う気がする。

高速バス事故パートのヒロイン、OL國元なつきの暴かれる不都合な真実。それは高速バスに不倫相手と同乗していて、衝突の瞬間、彼がなつきを庇って死んだ。奥さんは「私の前から今すぐ消えて!」と激怒。なつきは職場でもお局OLたちの陰湿なイビリに遭い、メンタルを病んだ。

なつきをパントリーでイビリ倒す、和田光沙&速水今日子のお局OLコンビが、もうスイッチが入って大変な状況に!目が逝っちゃってる半笑いで、ヤカンの熱湯をなつきの頭にぶっかけながら高揚してヘンな踊りを踊ってるwもはやイジメというよりも、恐ろしい新興宗教感が半端ない(笑)

世間の欲と毒にまみれて穢れ切っていたなつきの心を清らかにしてくれるバレエダンサー。彼女がなつきに「一緒に踊りましょ」と声をかけショパン「別れの曲」に合わせて華麗にクラシックバレエを踊り、汚れ切った体と心を清める。ここがつげ版には無いもう一つのハイライト。

なつきは再び、夜の上高地行き夜行高速バスに乗り込む。9人の事故犠牲者は、思い思いに出発時間を待っている。不倫していた彼氏は直前にバスをキャンセル、時間が元に戻り、もう一度彼女は人生をやり直すきっかけが出来た。なつきは感慨深げに夜の都会の風景を眺め、一人で上高地へと発つ。

そして、瀬々監督が「結末なんて、実はどうでもいい」とうそぶきながら、実はきちんと用意するラスト。ロケハンの勝利、茨城県日立市の常陸多賀駅近くにある、一度は訪れたいディープスポット「塙山キャバレー」に一人立つ柄本明。この塙山キャバレーは本作で最大の目玉。

横浜にも黄金町ちょんの間というまさに昭和を感じさせるディープスポットがあったが、この塙山キャバレーは今でも健在。総トタン張りの掘立小屋のような飲み屋が軒を連ねる、もうストーリーなんか全然度外視して、「つげ忠男的な世界観」を再現するためだけに登場した。

柄本が塙山キャバレーに佇み、「音」に登場した立ちんぼの女はさっさと振って、無頼漢サブを回想して口ずさむ「異国の丘」柄本はシベリア抑留兵士の辛さを想い、アカペラでこの歌を熱唱、この曲こそが日本国を憂う「懐かしのメロディ」であった。

つげ忠男の漫画版では、先に病死した足立の後を追うように車に轢かれて死ぬはずの柄本。そして助けられた真歩は白人のエリート青年と結婚して幸せ一杯、子供も生まれる。でも、瀬々監督はその結末を良しとしないのか、柄本に延々と「異国の丘」を歌わせて終わる物語。


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