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佐野和宏「東京ダダ」

2022年2月新宿ケイズシネマで、佐野和宏「東京ダダ」 (成人映画公開題「発情不倫妻」)

脱サラした売れない画家(佐野和宏)は、無理心中した妻子のことも顧みず、仲良くもなかった元同僚の奥さん(岸加奈子)と不倫中。泥酔した元同僚を送り家に上がり込んで無理やり犯すが、翌朝、逆に誘惑されてボディペインティングして抱擁。二人が砂丘で絡み合う様はエゴンシーレの絵を映像に変換したような、不思議な圧迫感と絶望感を観る者に与える、表現主義を志向した特殊映画。

作品の印象と同様に、私が思いつくままに、散文的にブログに感想をバラバラと書いてみた。絶望に打ちひしがれる主人公の精神世界を映像化するのって、かなりハードル高い。砂丘やボディペインティングは表現の一手段だとは思うけど、一つだけ確かなことがある。これは成人映画ですから、岸加奈子と水鳥川彩の濡れ場は十分にエロい。でも、尺がもう少し欲しかったかなあ。

観終わった直後は呆然と「こんな映画、観たことねえよ」狐につままれた気分だったけど、時間が経てば経つほど爪痕残されたことを実感。光が暗いバーや寝室が「現実」なら目に刺さるボディペイントや砂丘の情事が相対的な明暗のバランスで「抽象絵画」のような曖昧な輪郭を持つ。

いろいろと謎。バーのマスター小林節彦の声を明後日キャラでアテた原罪人は誰なんだ?ラストで砂丘で体育座りする佐野に近づく加奈子を映した後、風吹きすさぶ環境映像っぽいカットは一体何?ホントはその後「東京ダダ」みたいなテロップが入ったのが落ちちゃった?不思議なことだらけ。

この日は佐野和宏特集の2本「発情不倫妻」と「熟女のはらわた 真紅の裂け目」を観たのだけど、振り幅が広すぎて(笑)この作品は自主映画「ドライフラワー」をも突き抜ける前衛芸術なのに対し、佐野監督のピンク映画ラスト作品である後者は、エンタメ指向でテンポよく展開、おっさんが俺の青春ももう終わりだと呟いた映画。どっちも同じ人が撮ったんだなあ、と思ったよw

舞台挨拶で小林節彦さんが佐野和宏監督について印象的なことを話してたんだけど、彼の作品は彼自身の変化を象徴していると言う。確かに、デビューして数年は甘酸っぱいロマンチシズム、ここから前衛芸術のような尖った作品を撮り始め、最後は優しい眼差ししたおっさんになって13本の成人映画は閉じた。

佐野監督は自ら主演して絵描きになってアートしてる。アートって言うのは狂気で、佐野は岸加奈子と水鳥川彩の美人姉妹を両方抱いて妊娠させて、その報いを受けて呆然と砂丘に佇むのだが、観てる方も呆然とするしかねえ(笑)そもそも、佐野だけでなく、加奈子も彩も、自分勝手な女だ。

加奈子の旦那が「お前ら、姉妹揃ってケダモノ以下!」と吐き捨てるように、基本的に本作に登場する人物は、俗物であるか、そうでなければ更に唾棄すべき自分勝手すぎる人物像で、感情がシンクロできたとすれば、その人はかなりメンタルを病んでいる、というか周囲に迷惑かけまくりの人だと思われw

90年代後半にはすっかり老成して好々爺になっていく佐野和宏が( ゚Д゚)え!こんなに尖ってたの?佐野監督は万華鏡のようにいろんな作品撮ってると思うが、ベースにあるのはナルシズム。自分が絶対的に映画の中心に君臨し、そのマドンナに岸加奈子を置く。好き嫌いは別として、この設定が最も座りが良い。

本作について言えば、加奈子&上田耕造夫婦、彩&荒木太郎の美人姉妹二つのカップルを、スケコマシの佐野が両方とも破壊してしまう。セックスで破壊してしまう。でも、佐野の心の隙間風をピューピュー吹かせるのは、世を儚んで自殺した妻の伊藤清美(←死体役のみで特別出演w)と、道連れにした長男のむごい死にざま。

佐野は一見するとカッコよく描かれているようでいて、実は清美と長男を死に追いやった自身の情けなさに絶望し、悪夢にうなされながら、ダダイズムともシュールレアリスムとも言えそうで言えないような、メンタルの崩壊をそのままキャンパスに書き殴ったような絵を描き続けてる。

佐野はダメな自分自身のことは棚に上げて、加奈子の夫で平凡なサラリーマンを「最もくだらない唾棄すべき人物」その妻である加奈子も「同罪」。じゃあ、お前は何だっていうんだよ!はい、ここで私は思うんです。佐野は心の中で叫ぶ「砂丘なんだ、俺は浜岡砂丘!」絶望的な殺風景が佐野の心象とマッチングして印象深い。

本作で最も印象に残る砂丘は、佐野監督のお話では浜岡で撮影したとのこと。さすが静岡出身、いいロケ地選んでる、と思った。私は袋井市の出身、静岡鉄道駿遠線という鉄道が私の子供の頃まで走っていて「池新田」という地名があった。浜岡町自体が複数の町が合併した集合体。

袋井駅から出発する駿遠線は池新田を経由して御前崎で折り返して藤枝に繋がる、途方もなく長距離の私鉄で、なぜ人口が少ない小笠地域にこんな私鉄があったのか、起点となる袋井自体も人口4~5万程度の小さな町。御前崎は全国に知られた海水浴場と灯台の町ではあるのだけれど。

砂丘で全国でデカいのは恐らく鳥取砂丘。浜松にある中田島砂丘も凧揚げ祭りの会場になるし遠州灘を一望できる観光スポットとして有名、しかも浜松中心部からすぐに行ける。でも浜岡砂丘は、東海道沿線のどの町から出かけるにもかなり遠い。今は砂丘より原発で有名な浜岡町。

駿遠線が廃止になったのが1970年で、浜岡原発が出来たのが1971年、この頃には、小笠郡地域の過疎化始まってたと思う。浜岡砂丘は自然の恵みで観光スポットとして健在だけど、とにかく何も無い。「砂の女」のロケ地にもなったように、ここで迷ったらホントにヤバイと思う場所。

砂丘が浜岡と聞いて、私の脳内ではすっかりご当地映画の趣になってしまった訳ですが(笑)作品そのものはズバリ「アート感覚のピンク映画」画心が無いと物語は理解できそうにないし、ブレイクの詩とか聞いたことはあるけど内容までよく理解できねえ。まあ、それでいいか(笑)

天才?画家である佐野の中にイメージとして浮かび上がる心象風景は二つしかない。妻の清美が自殺する前から不倫してた(←ひでえ野郎だな、おい!)加奈子が「抱いて」と迫って来るから、黄色や赤や紫や、スクリーンから発光するようなギラギラペンキで加奈子の裸身を塗りたくりFUCK。

これ、加奈子を抱いてると言うよりも、抽象絵画にした加奈子という作品を抱いてるように見えるんですよね、私には(笑)佐野はもう妻を失ってからホントは不能で女を抱けないようなメンタルだけど、画にしてしまえ、俺の中の理想の画を加奈子をキャンパスに書いてしまえ!これを突破口にしようとする。

そして浜岡砂丘です(笑)佐野は加奈子を有無を言わさず砂丘に連れて行きズンズン歩く。クレーターのような足形を加奈子が必死で追いかけて、そのまま二人は下着姿で砂まみれになって抱き合う、砂の男と女。佐野にとって、表現主義の極致ともいうべきシュールな画の完成、当然、ヒキでしか撮れないw

加奈子なんかよりずっと俗物な妹の彩が佐野の興味を持って誘って「抱いて」こっちは、意外とフツーに抱く。画心が刺激されない。砂丘にも行けない。できたこと、それは彩の恋人である荒木に恨まれ、ボコられたのみ。佐野にとって、画を書くことは自分の居場所を見つけるもがきだが、見つからない。

浜岡砂丘の、どこをどう見まわしても、砂だけが延々と続く荒涼とした世界は佐野の心の中そのもの。加奈子がすっと近づいて来て、佐野は太ももに身体を預ける。でも、佐野も加奈子も画の中にはいない。本当に佐野が書きたかった画。それは人物がすべて消えてしまった、砂丘だけが映っている光景。

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