分からないことが出発点
テレビで、ある俳優が「分からないことが出発点です」と話しているのを観た。確か、演じる上で大切にしていることを話していたときの言葉だったと思う。
私はこれを聞いて、今まで医療職として関わってきたたくさんの患者さんのことが浮かんだ。
幼い頃、学校の授業で「相手の気持ちを理解しよう」と先生に習ったことがある。私は恥ずかしながら医療職になって初めて、この言葉に違和感を持つようになった。
病院に来る経緯は様々あるが、入院中はたくさんの制約の中、病気と闘わなければならない。また元気に退院できればいいが、みんなそうとは限らないし、人はいつか必ず亡くなる。
患者さん自身や家族を失う人たちの悲しみや喪失感は、察するに余りある。相手の気持ちを理解しようと、一生かけて考えても分からないだろう。そして考え方やライフステージの違い、家族との関係性によって、捉え方にも個性が出てくるはずだ。
例えば、もし私が同じように余命宣告されたり、家族を失うことがあっても、今関わっている患者さんやその家族と全く同じ気持ちになることはないだろう。
全てを理解することはできないけれど、もしかしたらこういう思いなのかもしれないな、と想像することは出来る。分からないから話を聴くことが出来る。そして私に出来ることをやる。
これは仕事に限った話ではない。私の大事な人たちのために、分からないけれど分かろうと努力することを続けたい。
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Lucky Kilimanjaroというバンドの、『夜とシンセサイザー』という曲が好きだ。
あなたの代わりに泣けないけど
せめて話を聞くよ
あなたの悩みもらえないけど
強い歌 贈るよ
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分からないことは出発点だ。分からないことだらけだが、私は他者に強い歌を贈ることが出来る人でありたいと思う。