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遠くの、誰かの声

ワンルームに、時報が響く。

皆さんこんばんはぁ!
さあ、今日もやってまいりました、私DJヒビィがお送りするラジオ番組「響け!ハーモニーナイト☆」の時間でーす!

派手な音楽と同時に、やたらとトーンの高い男の声が、静かで雑然とした部屋に場違いに響いた。
毎週同じ曜日・同じ時間に聞いているラジオ番組は、特にお気に入りというわけでも無く、この部屋に引っ越してきた頃からずっと、何となく寝る前に聴くことが日課となっていたものだ。

さぁーて、今日のテーマは『あなたの記憶の中で一番心を動かされた経験』です。この出来事のお陰で今のあなたがあるっ!そんな経験談をお待ちしておりまーす!今週もリスナーの皆さんからたくさんのメールを寄せて頂きましたぁ。番組の途中でもまだまだ募集していますからねぇ。どんどん送ってきてくださいよ!じゃあ早速、読んでいきましょう!最初のお便りは、Q市にお住まいのペンネーム桜まんじゅうさん—

よくもそんなに速く舌がまわるものだと、いつも感心してしまう。冬の厳しい寒さも和らぎ始めたこの季節だから、余計にエネルギーに満ちているように感じられる。そんな私もラジオのお供に梅酒をすすっているあたり、この季節に多少なりとも浮かれている部類の人間なのかも知れない。パーソナリティーのDJがいつもと同じ、キレのある調子でリスナーからのメールを捌いていくがごとくに読み上げ、適度にコメントを入れ、流行りの音楽を流して、番組の段取りを進めていた。仕事終わりで疲れた私の体も梅酒で温まり、すぐにでも眠りに入れそうな心地よさが感じられた。あと10分もしないうちに番組も終わるだろう。

さぁーて、本日最後のお便りを読み上げたいと思いまぁーす。ラジオネーム愛さんからいただきましたぁ。

読者からの最後の便りを読む際に流れる、いつものBGMがかかった。番組の雰囲気には似つかわしくない、きれいな旋律をピアノでなぞってできた音楽だった。

++++++

こんばんは。少し長くなりますが、私が心を動かされた体験を聞いて下さい。私の弟は、自閉症です。

—他者と強調することができません。
—想定外の出来事に対応することができません。
「自閉症」とインターネットで検索すると、自閉症の人はこんな特徴があると出てきます。
確かに、そう思い当たる部分はありました。

幼稚園の頃から、クラスメイトと一緒に遊ぶこともなく、いつもプレイルームの隅で新幹線の本を開いたり、眠りこんだりしていたと母親からは聞いています。家族で知らない場所に出かけたりすると泣いて、暴れて、それはもう大変でした。実際に私が何かをしなければならないことはありませんでしたが、周りの人にはじろじろ見られるし、必死で小さな弟と格闘する両親を見ているのもなんだか辛かったし、とにかくそんなことが起こる度に「大変なこと起こったぞ」と不安な気持ちになったものでした。

でも私は、そんな弟が可愛くて仕方がありません。大人になった今でも同じです。
小さい頃からよく面倒を見てあげていたし、一生懸命私についてきて私の言うことを理解しようとする姿を見るとたまらなく愛おしくなったのでした。彼のそういうひたむきさは、今でも全く変わっていません。

その出来事は、そんな弟の小学校の卒業式でのことでした。

小・中・高一貫の養護学校の卒業式は、小等部と中等部が合同で行われました。
弟は、小等部の代表として、中等部の先輩と共に卒業記念品を受け取ることになっていました。
自閉症の中にも、比較的軽く会話ができる人から重度と認定される人まで様々です。私の弟は「A1」と呼ばれる最重度の認定を受けていて、こちらから何か話しかければ言われていることは理解できますが、自分で言葉を発することはできません。
そんな彼が代表に選ばれたことに少し驚きましたが、絶対にミスが許されないというものではないので、どこかで滞れば先生がうまく誘導してくれるだろと、そんな程度に思っていたました。

「次は、記念品の贈呈です。」
司会役の先生の厳かな声が響き、先生に誘導されながら、弟と中等部の先輩が舞台そでに立ちました。
名前を呼ばれ、後ろからそっと背中を押されて、二人は同時に歩き始めました。
ところが2、3歩進んだところで、不意に先輩が立ち止まってしまいました。
それに気づいた弟も、少し遅れて立ち止まりました。
ふたりを見守る会場は、しんと静まりかえっていました。
そんな中、弟は、後ろで立ちすくむ先輩の方を振り返りました。
数秒して、彼の中で、何かの合図があったのかも知れません。再び先輩は歩き出しました。
先輩が来るのを待って、弟も再び歩き出しました。

ふたりは揃って記念品を受け取り、お辞儀をして退場しました。
頭の位置が極端に低い、奇妙なお辞儀が印象的でした。

「学んだんだなぁ。」
弟の姿を見て私は、自分の心ががじんわりと誇らしさで満たされていくのを感じました。

協調できない。対応力がない。
そんなこと、自閉症である以上仕方のないことだと、どこかで思っていました。
自閉症なんだから仕方ない。ただ楽しくやってくれていれば、と。
でも、弟は6年間の学びで、そんな「特徴」を超えていってしまったのです。
「成長したね。」なんて偉そうなことは、とても言うことが出来ません。

要するに、卒業式の舞台上で、ただ数秒立ち止まり、先輩を待った。それだけのことです。
それだけの出来事が、どうしようもなく私の心を感動させてしまったのです。

++++++

投稿文はここで終わった。ピアノの音も、フェードアウトで聞こえなくなっていった。

うーーん。これはなかなかイイ話なんじゃないですかぁ。
DJヒビィの胡散臭いくらい明るい声が、真っ暗闇から急に明るいところに出てきた時の不愉快なまぶしさみたいに、耳障りに響いた。
今日はね、そんな愛ちゃんと電話がつながっていまーす。
愛ちゃーん。こんばんはー。

「こんばんは。」
か細い女の人の声だった。

愛ちゃんねぇ、弟さんの卒業式での素敵なエピソード、どうもありがとうねぇ。
「あ、ありがとうございます。」
愛ちゃんはさぁ、この経験でどんなことを思ったの?
「今、この体験をこうして改めて思い返してみると、『障がいがあるから、これはできないよね。』という風に、属性で誰かを定義して、勝手に限界を決めることが、いかに無意味なことであるかが分かるんです。
当時の私の心はまだ幼かったので、ただ圧倒されるだけで、その出来事をそのまま心の中に保存しておくことしかできませんでした。でも、今の私は、この出来事を自分の経験として、別の何かに変え、誰かに伝えるだけの土台を持っていると感じます。」
愛ちゃんと呼ばれる投稿者のか細かった声に、芯の強さも聞き取れるようになった。
へぇ。じゃあ愛ちゃんは、今後どういう形で、この経験を伝えていくの?
ヒビィの声に若干の真剣さが混ざったような気がした。
「今、小さい頃から憧れていた歌手を目指しているんです。少し前までは、歌うことは好きだったけど、何の訓練も受けたことが無いし、年もいってるしで、諦めていたんです。でも、それは私が歌手になれない理由にはならないんですよね。たった一人でも、私の歌を聴いてくれる人が現れるかもしれない。確かに、大人になってから音楽を勉強し始めて歌手デビューした人ってあまりいないかもしれないけど、そんな限界を私が破ってみたいんです。それがまた誰かのチャレンジに繋がるかも知れないから。」
うーん、なるほどねー。いいじゃない、いつか愛ちゃんの歌、聴きに行きたいなぁ!おーっと、残念。もう時間がきてしまいましたぁ
。来週もまた、同じ時間に皆でハーモニー響かせちゃいましょうっ。それでは、リスナーのみんながハッピーな1週間を過ごせますようにっ。バーイ!

ハイテンションなエンディング音楽が前面に流れ、私の部屋全体を包み込んだ。かと思うと一瞬の静寂。

新しい時間を告げる時報が、部屋に響いた。

今夜はもう少し、夜を長引かせたい。
そう思い、私は新しい梅酒の水割りをいれるため、台所へと立ち上がった。


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