常識を外れるのではなく、超える、ということ
合気道の朝稽古の帰り道。一杯のコーヒーを飲みながらその日のお稽古を振り返ったり、先生から頂いたお言葉を反芻する大切な時間。
長く続いているものが全て真実であるとは思わないけれど、長く続いているものの中には共通する真実があると思っています。
老舗や受け継がれる伝統、神社仏閣など。そういったものの中には、概念として抽象度は高いけれど、共通するものが存在します。
今の時代は、どうしても世の中の流れが早い。
だから、それに順応していくことも大切だけれど、長く続いているものの中に身をおいておくということも自分にとっては大切なバランスのとり方。
自分にとって、良いバランスのとり方というのを意識しておくと色々なことを楽に進めることができます。
早いものの中にだけいても、足場を見失いがちになるし、遅い流れの中だけにいても何も進んでいかない。
やはりそこもバランス。
自分が安定するためのリソース(資源)を知っておくことは前に進むために大切なこと。
どんなことでも、なぜ行っているのかというと自分が選んでいるから。そのことを忘れないで日々過ごすこと。
目的は何か。
最も無駄な時間の過ごし方
成果を出していくために大切なことは、とにかく数をこなすこと。
その為迷ったり、不安に思う時間ほど無駄なことはないです。その時間は何もしていないから。
自分の中では、ずっと頭で考えているからものすごく頑張っている気がするんですけど、結局物事を動かす為の具体的行動にでていないから、成果としては0。厳しく聞こえるかもしれないけれど、それが現実。
迷ったり、不安に思っている時間というのは、自分に言い訳を与えているだけの時間なんですよね。その間は何も前に進むためのことはしないから。
悩んでもいいですが、それは前に進むためのもの。
すべてのことを即断、即決したらいいですが、最初のうちはそうはいかないこともあるでしょう。
でも、何で迷っているかというと、今の状態を守ろうとしているからなんです。いわゆる現状維持。
それでは変わらないし、変わりたくない、ということ。
ちょっとしたことで変わるわけではなく、少しずつ時間をかけて。
変わる秘訣は継続すること
継続すること。
それが全て。
何の秘密もなく、あっけない事実。
どんなことでも気まぐれで行っていたら成果なんて出るわけがありません。
一見、破天荒に見える人でも、やっていることはとても緻密。
それまでに積み重ねてきていることがあるから、何気ない「ちょっとしたこと」が普通のレベルじゃない。
それを表面的なところだけ見ていても同じに見えたり、違いがわからなかったりする。
合気道の話に戻るけれど、手の関節を極めるように相手の手を取るとき、管長に手ほどきを受けると、本当に優しく包まれるように触れられているだけなのに、身体は痛みから逃げるように膝まづいてしまう。
90キロある僕が、力任せに行ったり、形だけを真似してみても相手はケロッとしている。
本当に出来ているかどうかは、ちょっとした違いで、そのちょっとした違いは膨大な時間のもとで成り立っているということ。
表面的に目を引くところだけを真似しはじめ、「常識はずれ」を演じ始める人がいる。
それは短期的に一部の人の目を引くかもしれない。承認欲求もある程度みたされるでしょう。
でもそれが何に繋がるのかが明確にならなければ、ただ、ただ外からの評価を気にして動くだけになってしまう。
それは何のためなのか。
常識を外れるのではなく、越える
常識を外れるということは、それまで成り立っていたものを全く無視するということに繋がります。
確かに世の中にはつまらない既成概念にとらわれているところもあったり、そういった壁を取り壊していかなければならないところもある。
そういったものは、この時代の流れについていけないから、そう遠くはない未来に自然に淘汰されていくでしょう。
だから、そこから外れる事に躍起になっていても、意味がない。いずれなくなるものなのだから。
そうではなくて、今あるものをしっかりと超えていく。
超えていくためには、確固たる足場がなければ乗り越えていくことは出来ません。
その足場づくりが、「継続すること」。
この早い流れの時代の中でも、それだけはいつの時代もかわらない。
より一層時代の流れが早くなるからこそ、その土台作りがこれから先の未来では大切になり、その土台を活かして更に自らがその時代の流れに乗っていくようにする。
それがこれからの時代に大切なこと。
海の上で、サーフボードに乗って、波を待っているだけでは波には乗れない。
早い波に乗るには、安定したパドリングが必要になってくるのだから。
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