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鹿谷庵レポート | ゲスト:澤田智洋 12/17(木)草の対話 スポーツを作って、風景を変える

こんにちは。独立研究者・森田真生さんのラボ「鹿谷庵」より、アシスタントの鎌田です。11月末に開催した発酵デザイナー・小倉ヒラクさんの「堆肥づくりワークショップ」でつくりはじめた堆肥も順調に発酵をはじめました。

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落ち葉には白い菌が蔓延り、切り返し(かき混ぜること)をすると、発酵によって生まれた熱が、もうもうと湯気を立ち昇らせるほどです。野良とラボを行き来する日々。これから春に向け、落ち葉は土へと変容していきます。

12/17(木)に、鹿谷庵自主企画イベントの第二弾を開催しました。
今回はそちらの様子をレポートします。


12/17(木) | ゲスト:澤田智洋
草の対話1217 スポーツを作って、風景を変える


この夏、船橋真俊さんが提唱する「協生農法」に大きな感動を覚えた森田さんは、「すばる」11月号に発表した論考「僕たちはどう生きるか 夏編」にて、こう書かれています。

“船橋さんの提唱する食糧生産の革命をヒントに僕は、学びと教育の未来について考え始めた。何より、人がかかわることで、人がいないよりも豊かな生態系を構築できるというヴィジョンは、子どもたちにとって大きな希望となるはずである。”
“船橋さんが、ブルキナファソでのプロジェクトについて、「校庭のようにカチカチの土に、150種類くらいの種をまいて、一年後にはジャングルが作れた」と語っているのを聞いたとき、「校庭のようにカチカチの土」でも、一年後に「ジャングル」に変えられるのであれば、本物の校庭も、一年かけてジャングルに変えられるのではないかと、僕は本気で思った。”

こうして、「校庭をジャングルにする」というアイデアが芽を出しました。学校という、人間ばかりの、極めて生物多様性の低い学びの環境を、いろいろな生物が息衝く場にすることで、より豊かな「学びの未来」を作る試みです。

では、そもそもなぜ校庭は「カチカチ」なのでしょうか。今回のイベントに際し、森田さんはこのように書かれました。

“校庭の生物多様性が異常なまでに低いのは、近代のスポーツが、人間以外の生物がいない空間を前提として作られているからです。逆に言えば、人間以外の生き物がいなければ盛り上がらないスポーツを発明できれば、校庭の風景も変えられるのではないか……。そんな思いから、今回は、これまで様々な新しいスポーツを発明し続けてきた世界ゆるスポーツ協会代表の澤田智洋さんをゲストにお招きし、「スポーツを作って、風景を変える」というテーマのもと、とことん語り合います。”
https://note.com/rokuya_lab/n/ncc7b1bbf5ebb 

新しいスポーツを考えることが、生物多様性の高い校庭を生み出し、そして子どもたちの学びへと繋がる。いつも通りの遠回りは、様々な思考やアイデアへと派生していきます。

今回のゲストは「世界ゆるスポーツ協会」代表の澤田智洋さんです。

「ゆるスポーツ」とは、プレイするひとの身体的特徴をハンデとしない不思議なスポーツです。ハンドソープをつけてプレイするハンドボールや、試合中の歩数制限があるサッカー。10月に刊行された澤田さんの著書『ガチガチの世界をゆるめる』(百万年書房)では、「ゆるスポーツ」の例や、数々の出会いを挙げながら、定められたルールや心のゆるめ方が書かれています。

「ゆるスポーツ」を生み出すことは、既存の「決まり」をゆるめ、新しいルールをつくりだすこと。自分やそのひとがそのままでいて良いと思える世界をスポーツからユーモアたっぷりに考える一冊です。「ユーモア」は、澤田さんの取り組みに欠かせないキーワードになってきます。


実は、森田さんと澤田さんは従兄弟の関係。普段の対談とは違い名前で呼びかけ合う、ゆるやかなリモート対談が始まりました。

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冒頭、リモートで画面越しにできるスポーツ「EYE BLOW LIFTING」「DRY EYE RACE」で遊ぶおふたり。このあと、しばらくフィルターをかけたまま真面目に話すというシュールな光景が続きます。(なお「ARゆるスポーツ」の方法は、こちらで紹介されています。)

人間が、人間以外のいろいろな生き物とこの地球生命圏を分かち合い、依存し合っているということを、知識としてではなく、体感に落とし込んでいくためには、どうすればいいか。鳥であることの喜び、蝶であることの喜び、植物であることの喜びを、どうしたらもっとビビッドに僕たちは想像できるようになるだろうか。ともくん(澤田さん)は、スポーツが「自分の知らなかった身体になりきる」ための方法だと気づいた。新しいスポーツを考え、「別の身体」になりきることを通して、他種への想像力を育んでいく。その可能性を、ともくんと一緒に考えていきたい。(森田)
花巻農学校で教員として勤務していた宮沢賢治は「教室で教わる知というものは、知の剥製である」と言っている。教室で学ぶことは大事だけれども、外に出て川に飛び込んでみたり、地質について調べてみる。「知」と「環境」を掛け合わせることで、はじめて「知」は「叡智」になる。賢治の物語のなかでは、動物が人間化というのか、人間の動物化というのか、相互に絡み合っていて、彼が生徒たちに教えようとしていたのは、まさにそういうことだったようです。(澤田)


少し前に森田さんが宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」と、ティモシー・モートンの言う“attunement(波長を合わせる)”という姿勢を接続して書かれていた(「すばる」7月号掲載)ので、澤田さんからその名前が出たときは驚きました。

その後も話題は「慈悲」「ユーモア」「表情筋」「五感バランス」「365の季節」「植物の速度」「論理と直観」「価値観の視差」「南方マンダラ」「サイエンティフィックな態度」...、梅原猛、サン=テグジュペリ、道元らへと、二時間のイベントとは思えないほど、過去と現在、未来へ、日本と世界、人間とそれ以外の生き物と無生物と並列に話題を移動しながら、おふたりの会話のラリーが途切れることはありませんでした。

来春には澤田さんを京都にお招きし、東山の麓で「人間以外の生き物がいなければ盛り上がらないスポーツ」を考えるワークショップを開催予定です。そのヒントは植物や動物など、ひとが他種と雑(まじわ)ることにあるのだと思います。

ご参加いただいた方の小学生のお子さんが、早速、このイベントの話をヒントに自分で考えたドッヂボールを先生に提案してくれたそうです。その内容は「強い子だけが活躍して、弱い子が逃げ回るだけのゲームじゃなくなる。」もので、早くも学びの風景がひとつ、より豊かな方向へ変わっていく着実な一歩だと、込み上げる感動を覚えました。ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。

いかがでしたでしょうか。
第一弾のイベントのテーマは「食」、第二弾は「スポーツ」。思考を続け、それに伴う行動をしていくなかで、他の実践者たちと対話を重ねていく。そして、そこからまた思考が生まれて…。鹿谷庵で開催するイベントはすべて、ひとが何を学び、どう生きていくかという問いに通じています。来年もさっそく一月から幾つかの自主企画イベントを準備しています。どうぞご期待ください。

それではみなさん、良いお年を!

鹿谷庵 鎌田裕樹

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