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神さまなんて大嫌い!⑤

 【汪楓白おうふうはく、唐突に再婚を迫られるの巻】



 ……さやけし月のおもてにも、

   写す九献くこんおもてにも……


 華々しく始まった婚礼祝唄『九献の言寿ことほぎ』……蒐影しゅうえい箜篌くごを弾き、呀鳥あとり鞨鼓かっこを打ち鳴らし、蛇那じゃなが美声を披露する。そして、円卓上へ、豪勢に用意された料理。金屏風の雛段に、曲彔きょくろくが二つ、夫婦めおとの契りを酌み交わす合巹ごうきんふすべ……それにしても、それにしても、だ。

 まさか、本当に、こんなことに、なるなんて……展開が早すぎて、思考が追いつけない。

 だって、まだ出会って一刻だよ! 僕には、妻だっているのに……(今は不在だけど)。

 僕は、曲彔の右側に腰を下ろしたまま、忙しなく両足を貧乏揺すりし、望まぬ花嫁の嫁入り支度が完了し、御簾みすの向こうからやって来るのを、落ち着かぬ様子で待っていた。

 そこへ、フラリと姿を現したのは、神々廻道士ししばどうしだった。

「おう、シロ。馬子にも衣装だな。深紅の婚礼衣装が、よく似合ってるじゃねぇか」

 僕は、曲彔から転げ落ちるように神々廻道士の足元へすがりつき、必死で懇願した。

師父しふ……いえ、ご主人さま! いくらなんでもムチャですよ、こんなの! 僕はすでに妻帯してるし、あの勝気な【嬪懐族ひんかいぞく】の女性と、夫婦になるつもりもありません! それは向こうだって、同じ気持ちのはずです! 掟に従うとはいえ、本心では僕を嫌って……」

――ドカッ! ゴスゴスッ! グリッ!

 うぅ……今の、なんの音かって? そりゃあ……云わずもがなだ。僕が蹴られ、殴打され、踏み潰される音に、決まってるでしょうが! この男はね、人を人とも思わぬ俺さま主義で、横柄で、尊大で、高慢ちきで、自分勝手な暴君なんだよ! ああ……もう、嫌!

「なんだ、てめぇ……俺さまの厚意が、受け取れねぇってのか!?」

 相変わらず、云ってることがムチャクチャだよ……どこが、厚意?

「うぐっ……そんな、横暴な……押しつけ……ありがた迷惑も、いいところです!」

 すると神々廻道士は、僕の顔を踏みつける足に力をこめ、その上で僕の明衣あかは(婚礼衣装)の襟ぐりをつかんで、破けるかと思うほど引っ張り、鬼の形相で理不尽な怒声を吐いた。

「へぇ……なら聞くが、どうしても嫌だってんなら、なんでこの服、着やがった! この野郎、そんなに裸が好きか! だったら、今すぐひんむいてやる! それでいいんだな!」

「ちがっ……これしか、なかったからです! そもそも、僕の衣服を勝手に酒代に代えちゃったのは、あなたでしょうが! あの長袍ちょうほう、凄く気に入ってたのに……他のものでもかまいませんから、用意してくれれば、こんな忌々しい婚礼衣装、さっさと脱ぎますよ!」

 僕はこのセリフを、まさに決死の覚悟で放った。だが神々廻道士は、意外にも凄烈だった怒気を抜き、脚力をゆるめると、僕の上へかがみ、耳元でこんなことをささやいたのだ。

「まぁ、聞け。あの女賞金稼ぎはな……俺さまが、うっかり鬼去酒きこしゅ入り瓢箪ひょうたんを忘れ、うっかり不真面目に仕事をしちまい、うっかりシラフの時に出くわし、うっかりあいつの仲間を半殺しにしちまい、うっかり【百鬼討伐隊ひゃっきとうばつたい】に喧嘩売っちまい、うっかり秘密を知られちまった時から、俺さまを怪しみ始め……ついには、俺さまの正体に気づいちまったんだ」

 ため息まじりに、しみじみと、こんなことを云い出す神々廻道士だった……はぁ?

「な、なんですか……うっかり、うっかりって! 云ってることが、よく判りませんよ!」

 なにがなんだか、判らんが……〝うっかり〟ってことは、要するに自分の不注意だろ!

「頭の鈍いヤツだな……俺さまは、鬼去酒がねぇと、シラフになっちまうんだよ」

「そりゃあ、そうでしょうね……大体、あんな酒気の強い酒を、浴びるように呑み続けて、よく平気でいられますね。常人だったら、二口三口で泥酔……いや、昏倒しちゃいますよ」

「とにかく……それ以来、あの女賞金稼ぎが、執拗しつこすぎて、俺さまは家業に熱中できん」

「だから、なんです?」

 顔を踏まれたまま、僕は横目で、神々廻道士を睨んだ。一体、なにが云いたいんだ?

「ありゃあ、俺さまの好みじゃねぇし、うっかり【嬪懐族】を倒すと厄介だろ? な?」

 あっは――っ! なんてこった! こいつの魂胆が、ようやく判ったぞ!

「つまり、僕に押しつけ、厄介払いさせたいと……しかも身内になってしまえば、下手に裏家業の詮索をされることもなくなるから、一石二鳥だと……そう云いたいワケですか?」

「なんだ……意外と賢いじゃねぇか、お前。それにな……【嬪懐族】の女は、夫と決めた男には、とことん尽くすって聞くぜ。よかったな。今度は逃げられる心配もねぇ。その上、どんな無理な要求したって、必ず許容してくれるってんだから、最高の性奴隷じゃねぇか」

 せ、性奴隷!? いきなり、真顔で、なんちゅうことを、口走るんだ! こいつは!

「なな、な……なんて人だ、あんた! 恥知らずにも、ほどがある!」

 僕は憤慨のあまり、心中に秘めた思いを、ついつい吐露してしまった。

 そんな僕に、神々廻道士は激昂し、さらなる理不尽な脅迫行為を、仕掛けて来たのだ。

「やかましい! 大体、てめぇ、さっきから心ン中で、なにを勝手なこと、喰っちゃべってやがったよ! 俺さまを、散々悪しざまに罵りやがって! よくよく考えて考えねぇと、うっかりぶっ殺しちまうぞ! それとも、今すぐ、うっかりして欲しいのか、てめぇ!」

 そんなぁ! 〝うっかり〟で殺されたんじゃあ、たまらないよぉ!

 しかも、ゴリゴリ痛いぃ――っ! 顔が変形する! 潰れそう! 助けてぇ――っ!

「ひぃ――っ! うっかりは、やめて! ごめんなさい、ご主人さまぁあっ!」

 と、その時だった。

 奥の間の御簾をめくり、背後から何者かの足音が、静々と近づいて来たのは!

「あら、旦那さま。なにをなさってるんですか?」

 この声……振り向けないから姿は見えないけど、まちがいなく琉樺耶るかやだ。うひゃあ、なんて無様で情けないところを、目撃されてしまったんだ! いくら好意を持っていなくても、これはキツイぞ! 絶対、僕らの関係を怪しんだはずだ! 云いわけもできないよ!

「い、いや……これは、その……」と、言葉に詰まる僕。ところが、神々廻道士は――、

「なぁに、元締めが、俺の足の裏を、どうしても見たいってんでな。ご覧に入れてたんだ」

「ま、そうでしたか」

 ちょちょ、ちょっと! そこはツッコんでくれよ、琉樺耶! サラッと涼しい顔で、やりすごさないでさ! なんか、これじゃあ、僕が、よっぽどの間抜けみたいじゃないか!

「ねぇ、こいちゅの足の裏って、そんなにおもちろいのぉ? どこぉ? どのへん?」

 う、茉李まつりもいたのか……真面目な声で、そんなこと聞くなよ! 面白いワケないだろ!

 足蹴にされてんだよ! 見りゃあ、判りそうなモンだろ、普通! ……って、アレレ?

「琉樺耶、さん……?」

 神々廻道士が、僕の顔から足を離したので、やっと振り向けた……と、思ったら、そこには、深紅の婚礼衣装に身をつつんだ、絶世の美女が佇んでいた。
 僕はハッと息を呑んだ。

「……美しい」

 僕は計らずも、花嫁姿の琉樺耶に見惚れ、こんなことをつぶやいてしまった。

 嬋娟せんけんたる明衣の襦裙じゅくん、金糸の総刺繍をほどこした大袖衫だいしゅうさんもさることながら、紅を引いただけの素顔は、それだけで華やかに、あざやかになり、元結もとゆいの男装髷を解き、玉輪結たまわゆいに下ろした黒髪は長く、艶やかで……とにかく、鼻筋の通った端整な顔立ちは、美しいの一語に尽きる。啊、思い出す……凛樺りんかが僕に嫁いで来てくれた時も、やはり美しかった。でも、琉樺耶の方が楚々として……いや、凛樺! 僕の妻は、凛樺一人だ! 血迷うな、楓白!

 すると、琉樺耶の、ななめ後方にひかえていた茉李が、胸を張って誇らしげに叫んだ。

「ちょうよ! だって、茉李のおねぇたまだモン! 綺麗でしょ? しゅっごく綺麗でしょ? なのに……うぇ――んっ! こんなやちゅの、奥たまになっちゃうなんて、やっぱり嫌ぁ――っ! 茉李が、今すぐやっちゅけちゃうから、おねぇたま、考えなおしてぇ!」

 茉李は、一体どこから取り出したのか、例の巨大なまさかりを振りかざし、激しく泣き出した。

 その茉李も――僕は、またしても、本音を口にしてしまった。

「茉李、ちゃんも……可愛い」

 ってか、きわどさが半端ない! 先刻の衣装より、露出度が増してるじゃないか!

 一応、花嫁の介添え役である『童巫女わらわみこ』を模してか、白装束で全身統一しているが、晒一本を真横に巻いただけの上衣(?)は、爆乳を隠しきれてないし、太腿のつけ根がチラ見えする短い裙子くんずは、どこも切れこみだらけで、動かなくとも下穿きの色(何故かここだけ深紅だ!)が、丸判りだし……ここまでいくと、さすがに食指も動かな……いや、凛樺だって! 僕の心に住んでいいのは、凛樺唯一人なんだってば! 惑わされるな、楓白!


 ……雄蝶雌蝶おちょうめちょうが明衣に揺れて、

   箜篌や鞨鼓の音色に舞えば……


「ほんじゃあ早速、おっぱじめようか、元締め」

 神々廻道士は強引に、婚礼の儀を開始せんとする。

 けどね、さすがに気弱な僕だって、ここは黙っちゃいられないぞ!

「いいえ、待ってください! やっぱりダメです! 僕にはできません!」

 はっきりと、こう宣言した。神々廻道士は憤慨し、忌々しげに舌打ちする。琉樺耶は不可解そうに、形のよい眉宇びうをひそめている。茉李も訝るような眼差しで、僕を睨んでいる。

 僕はまず、琉樺耶に向きなおり、あくまで真摯な態度を見せ、偽らざる本心を伝えた。

「申しわけありません、琉樺耶さん。僕には、すでに最愛の妻がいるんです。だから、あなたと夫婦の契りを結ぶことは、どうしてもできないんです。そもそも先刻の一戦だって、僕の実力じゃないんだ。あれは、あそこで箜篌を弾いている、黒尽くめの男が……ん?」

 いない! 蒐影が、いない! と、いうことは……まさか! まさか!

 またしても体を乗っ取られる! そう危惧した僕が、周囲を見回し身がまえた途端、驚くべき事態が発生した! 突然、琉樺耶が僕にしなだれかかり、首に両腕を回すと……なんと僕の唇に、自分の朱唇を押しつけて来たのだ! 要するに、口づけされたってこと!

「うんっ……むぐぐっ! ぶはぁっ……い、いきなり、なにを!?」

 僕は慌てて、琉樺耶の頬を両手ではさみ、僕から引きはがした。

 思いのほか、甘い吐息に一瞬、クラリとめまいがした。

「旦那さま……こんなに、お慕い申しておりますのに、私ではダメ? お役に立てない? 私……あなたのそばにいられるのなら、めかけだってかまわないわ。いいえ、単なる性奴隷にされたってかまわないのに……そんなに、私が嫌い? 肌をかさねるのも、厭わしい?」

 青藍せいらんの瞳に、泪を一杯溜めて、琉樺耶は声音こわねを震わせた。

 一方で僕は、信じがたい琉樺耶の愛の告白に、絶句した。

 そ、それほどまでに、僕のことを……いや、待てよ! 彼女の影が、何故か不自然に揺らいでいるぞ! ハッ……そうか! 蒐影が、今度は琉樺耶の体を、乗っ取ったんだ!

 つまり、ただいまの行動と発言は、彼女の本意でない!

 ああ、なんてこった……女性の心まで、もてあそぶなんて許せない!

 好きでもない男に、口づけさせるなんて、可哀そすぎるだろ!

 しかも、結構な長さと深さだったぞ! おっと……これ以上、くわしくは語るまいが!

「し、蒐影! 好い加減にしろ! お前、今度という今度は、絶対に許さないぞ!」

「え?」

 僕は、琉樺耶の肩を乱暴につかみ、彼女の中にいるはずの蒐影を、厳しく怒鳴りつけた。

 だが琉樺耶はワケが判らぬ、といった表情で……本当に素の表情で、目を丸くしている。

 さらに、そこへ――、

「なんだ、シロ……じゃなかった、元締め。私になにか用か?」

「は?」

 奥の間から、神々廻道士用の鬼去酒を盆に乗せ、ヒョイと顔を出した蒐影に、今度は僕が目を丸くする番だった。蒐影じゃあ、なかったの!? それじゃあ……さっきの口づけは、まさか……本当に本物の、琉樺耶の意志よる行動だったってこと!? 嘘でしょ!?

「……よくも、よくも、茉李の大事なおねぇたまを、泣かちたわねぇ――っ! この卑劣漢! しかも、おねぇたまの麗しい朱唇しゅしんに、ブチュウってして! 死んじゃえぇ――っ!」

 またまた、怒りを爆発させた茉李が、大鉞を振り上げ、僕めがけて突進して来た。

 ひえぇえっ! どこまで直情的な娘なんだぁあっ! 今度こそ、殺されるぅうっ!

「うぎゃぁあぁぁぁあっ!」

「茉李、おやめ!」

 ここでも、僕の前に出て、楯になり、かばってくれたのは、琉樺耶だった。

 茉李は、激しく、しゃくり上げながら、不承不承、大鉞を下ろす。そのまま、ペタンと床板に座りこみ、号泣し始めた。琉樺耶のことが、そんなに好きなのか……女同士なのに。

 いや、それより今、しっかり確認しておくべきことは、やはりこれだろう。

「あの、琉樺耶さん……先ほどのって、ご自分のご意思で、おなさりに、なったの?」

 僕は慎重に言葉を選びすぎ、かえって可笑おかしな云い回しをしてしまった。
 けれど琉樺耶は、まったく気にする風もなく、媚びるような上目づかいで、僕をジッと見つめて云う。

「こんな無節操な女は、やっぱり嫌い?」

 うるんだ瞳、震える朱唇……かぁ――っ! い、色っぽい! だけど……だけど……、

「とんでもない! ……いや、そうでなく、えぇと……僕には、その、妻が……」

「判っています。さっきも聞きましたから……私は、第二夫人でも、妾でも結構です。それでもご不満なら、ただの雌奴隷でかまわないと……そこまで、思いつめているのです」

 め、妾ぇ!? ならばまだしも……め、雌奴隷ぃ!?

 そこまでして、僕のそばにいたいと!? こんな美女が、嘘みたい!

 だけど……やっぱり、そんなのダメだよ!

 これは、凛樺のためだけじゃない! 琉樺耶自身の名誉のためにも、それだけは絶対に、しちゃいけない! 妾なんて……ましてや、雌奴隷なんて、絶対に、絶対にあり得ない! 

 僕はその点を、熱く語りかけ、琉樺耶の凄絶な決意を、なんとか解きほぐそうと試みた。

「琉樺耶さん! そんな風に、ご自分を卑下しないでください! あなたほど魅力的で美しい女性には、もっとふさわしい男が、他にいるはずだ! 本当に強くて、たくましくて、優しくて……あなただけを、一途に愛してくれる男が、きっと! だから、僕との婚礼は」

 けれど僕の弁舌に対し、琉樺耶が見せた態度は、驚くほど弱々しく、悲壮なものだった。

「……そうやって、私をていよく追い払いたいの? でも、あなたこそ、私より強くて、たくましくて……それを証明するように、力でねじ伏せたじゃないの……しかも、あんな屈辱的な方法で……それなのに、今更、非道ひどいわ! 掟にそむき、私に死ねと云うの!?」

 顔を覆い、嗚咽をこらえる花嫁の姿は、憐れとしか云いようがなかった。確かに、今の琉樺耶をこばむということは、彼女へ、死の宣告を与えているのに等しい。僕は呆然となり、最早、慰めの言葉も出て来ない。するとここで、僕らのやり取りを見かねた神々廻道士と、広縁で婚礼寿歌じゅかを奏でていた三妖怪が、僕に代わって、しゃしゃり出て来た。

「元締めぇ、あんま女を泣かすなよ」

「そうだわ、シロちゃん。じゃなく、元締め! 女の真心を、踏みにじるつもり? 尤も、あなたは元来、そういう冷酷非道な性質たちだったものね! だけど……あんまりじゃない!」

「シロ……いや、色男だけに毎度やることが惨いですな、元締めは……同じ男として、いささか恥ずかしいですぞ。今度という今度は、嘘や演戯で女を騙すのは、やめてください」

「まさか、シロ……もとい、元締め! 初夜のお愉しみがすんだら、本当に、本気で、り捨て御免にする気だったんすか? こんだけの美女を? うはぁ――っ、勿体ねぇな!」

 次々と、とんでもない出まかせで僕を罵り、悪人に仕立て上げようとする三妖怪だった。

 隣では、それを聞き、神々廻道士が、笑いを噛み殺している……畜生っ!

 どこまで、卑劣で、卑怯で、あくどい男なんだ! もう、堪忍袋の緒が切れたぞ!

「な、なな、なに云って……そっちこそ、みんなして嘘八百並べないでくださいよ! 大体、元はと云えば、こうなったのは、誰のせいですか! あんたのせいでしょ、神々廻」

――ポキッ!

 いっ……いてぇえ――っ!

 神々廻道士は、彼を示し、叫んだ僕の人差し指を折り、ドスの利いた声で恫喝した。

「あぁ? なんだ? 今、なんつった? 誰のせい? おい……誰のせいだって!?」

「むむ……む、無論、僕の、せい、です」

 僕は激痛のあまり、泪目で、額に脂汗を浮かべ、辛うじて、か細い声をつむぎ出した。

「だったら、四の五の云わず、さっさと宴席に納まれや!」

 ひぃ――っ! 中指も、折られる! 判った! 判ったよぉ! この場は、従うよぉ!

「は――い、はいはい。そうします」

 そうこうする間にも、三妖怪の演奏する『九献の言寿』は再開され、僕と琉樺耶は雛壇の曲彔に、そろいの赤い婚礼衣装を着て、夫婦として座る破目になり、茉李からは凄まじい殺気を秘めた眼光で睨まれ続け、神々廻道士の謀略に、すっかりからめ取られ……結局のところ、今後もさらに加速するであろう過酷な運命に、ただ流されて往くしかなかった。


 ……二世にせの契りに弥栄いやさか張って、

   の合巹に言寿ぞす……


 拷問だ……これは、もう、拷問そのものだ! 啊、凛樺! 許しておくれ!

 そして、天帝君てんていぎみ! こんな僕を、憐れと思うなら、どうか助けてください!


 ……現人神あらひとがみも弥栄張って、

   此の合巹に言寿ぞ生す……



「……啊」と、云う間に祝宴は終わり、僕はびょうの最奥にある寝室で、ついに琉樺耶と二人きりになってしまった。どうしよう……まずい、なんか、凄く緊張して来たぞ。そりゃあ、妻帯者だし、女性経験がないワケじゃないけど……こういう場合って、本当にどうすりゃいいのさ。だって琉樺耶とは出会ってまだ、半日も経ってないんだよ? なのに、もう初夜? 同衾どうきん? 彼女、本気で僕に身をまかす気でいるの? 衝立の向こうで、夜着に着替えてるみたいだけど……僕を心から、愛してるワケじゃないだろう? まさか……ねぇ?

 但し、僕は二人きりになれた唯一の利点を活かし、恐る恐るではあったが、衝立の向こうの琉樺耶に、あらためて本心を打ち明ける覚悟を決めた。なるべく相手を傷つけぬよう、だけど、僕の真意がちゃんと伝わるよう、慎重に言葉を選び、細心の注意を払いながら。

「とにかく、琉樺耶さん……あなたは僕を誤解している。茉李ちゃんもね。僕は全然、強くなんかないし、たくましくもない……お陰で妻には愛想尽かしされ、逃げられたほどで」

 すると、雪洞ぼんぼりの灯火が、ボンヤリと映し出す彼女の影が、ピタリと止まった。

 またしても可憐な泪声で、こんなことを問いかけて来る。

「そんな女のことを、まだ愛していると云うの?」

 僕は一瞬、琉樺耶を憐れに思い、また愛らしくも感じ、情に流されそうになった。

 でも、いけない! 心を鬼にして、しっかりと伝えなくちゃ!

「はい。愛しています……琉樺耶さんには、申しわけないけど……けどな、へへへ。夜間、臥所ふしどでの俺は、ケダモノだ。先刻云った通り、腰が立たなくなるまで、可愛がって姦るぜ」

 はぁ――い! 蒐影でぇす! これ、途中から、確実に、蒐影ですよぉ!

 絶対、絶対、僕じゃな――いっ! こんな破廉恥はれんちなこと、云える人間じゃな――いっ!

「あなたって……本当に、非道い人ね」

「そうだぜ、その非道い男に、これからたっぷり調教されるんだ。雌犬みてぇにな」

 耳……ふさぎたい。僕の声だと……思いたくない。もう、もう、もう……知らん。

 僕の意思など、完全無視……頭は、すっかり弛緩しかん。体も、云うこと聞かん。恥も名誉も、要らん。なにもかも、破綻……って、悠長に韻を踏んでる場合じゃない!

 あぁあっ、畜生ぉ――っ! もう、どうにでも、なれぇ――っ!

哈哈哈ハハハァ! まずは、もう一度、裸にひんむいてやるぜぇ!」

 僕は蒐影に操られるまま、明衣を脱ぎ捨て、下着姿になり、衝立を思いきり蹴り倒した。

 そうして蒐影は、着替え途中で肌も露な琉樺耶を、無理やり寝台に、押し倒すつもりだったんだろう。しかし、そんな蒐影の不埒な下心は、あっさりとくつがえされてしまった。

「動くんじゃないよ、この腐れ外道」

「いっ!?」

――シュンッ! 空を斬る刃音! ギラリと閃く殺意!

 僕の首元に突きつけられたのは、鋭利な懐剣……その上、琉樺耶は服を……それも、初見の時に着ていたのと同種の、ピッチリした革戦袍かわせんぽうと、壮絶な闘志を身にまとっていた!

「おねぇたま、大丈夫? 変なこと、ちゃれてない?」

 そこへ、またまた驚くことに茉李が登場した。しかも寝台の下から! なんで、そんなところに隠れてたのさ! 大鉞持って! ちょっと……いや、かなり恐怖だぞ! その上、相変わらず、幼児趣味の衣装でつつんだ完熟体型は、露出度全開で……大胆すぎるだろ!

 肩口も、腹部も、太腿も、背中も、普通の武術家なら、鎧や防具で守るべき大事な部分が、この娘の場合、全部丸出しなんだモンなぁ! だけど、似合ってるから、逆に凄い!

「心配無用さ、茉李……それにしても、あんたって娘は、演戯が下手すぎるよ」

「だってぇ……こいちゅ、本当に許せなかったんだモン!」

 可愛らしく頬をふくらませる茉李。琉樺耶は、片手で僕に懐剣を突きつけたまま、そんな妹分の頭を、そっとなでてやる。だが、ちょっと待てよ! 今の会話だと、まるで……、

「少しは、計画通りにやってくれなきゃあ、こいつらの……いや、神々廻道士の泣きどころが、つかめないんだよ。だけど、まぁ……この小悪党だけでも、先に始末しておこうか」

「うん! そうちよ! 早く、頭叩き割って、内臓引きずり出ちて、ぎったぎたの肉塊に変えちゃお! 廟に潜入ちゅるための計画とはいえ、おねぇたまを、いじめたばちゅよ!」

 実に簡潔で的確で、判りやすい会話術、ありがとうございます……じゃない! 空恐ろしいこと、平気で云うな! もう、疑いようもない……けど、できることなら信じたい!

 あの、熱っぽい愛の告白と、甘い口づけを……僕は怖々と、真相を問いただした。

「それじゃあ、まさか……あなたたち、最初から、僕らに近づくため、ワザと……」

 アレ? 僕自身の思った言葉が、すんなり出るようになったぞ? 蒐影? いや、今はとにかく、事実を確認することが先決だ。すると、すがるように見つめる僕の目を、忌々しげに睨みつけ、琉樺耶は驚愕の事実(というより、至極当然な企み)を、打ち明けた!

「当たり前だ。誰が、あんな卑猥ひわいな真似する変態に、本気で嫁入りなんて考えるか」

「哈哈、哈……ご尤もで……」

 うわぁ……なるほど。道理で、都合のよすぎる展開だとは、思ってたよ。

 そもそも僕なんかが、こんな美女に、求愛されるワケがないよな。だけど、がっかりした半面、何故かホッと安堵もしているよ……いや、負け惜しみじゃなく、本当だってば!

 それにしても、あの、口づけは……やっぱり効いた。正直、陥落寸前でした、はい。

「喂、どうした、下衆野郎……さっきまでの威勢は、どこに消えたんだい?」

 琉樺耶は、僕の首筋に冷酷な刃をあてがい、ためらうことなく切りつける。焼けるような痛みを覚えつつも、僕はどうすることもできず、彼女の気魄に圧倒され腰砕けとなった。

「えぇと、ですね……吃驚びっくりして、腰が抜けちゃいました……哈哈哈」

 殺意満々じゃないですか、お嬢さん……もう、ホント笑うしかないよ、哈哈哈……哈哈。

 それにしても……こらぁ! 蒐影! こんな非常時に、僕を見捨てて、どこ往ったぁ!

「おねぇたま♪ 早くぅ、早くぅ♪ ぎったぎた♪ ぎったぎた♪」

 だから、空恐ろしいことを、鼻唄まじりに云うんじゃないよ、茉李! 血の気が引くじゃないか! 琉樺耶も、だんだんその気になって来たみたいだし……痛い、痛いってば!

「殺す前に、ひとつ聞く。正直に答えるんだよ」

 琉樺耶は真剣な眼差しで僕を見すえ、さらに懐剣の刃面で、僕の青白い頬を叩いては脅迫する。僕は恐怖で声も出せず、ただコクコクと首を縦に振ることしか、できなかった。

 そんな僕の襟首をつかみ、乱暴に引き寄せ、琉樺耶は刺々しい語調で尋問した。

「あんた……本当に、本物の、《汪楓白》なのかい!?」

 ますます気魄がこもった琉樺耶の眼光と、割れた怒声におびえ、僕はまたしてもコクコクと、うなずくことしかできなかった。それを見た琉樺耶は、落胆した様子でうなだれた。

「やっぱり、そうか……じゃあ、もうひとつ聞く!」

 それでも琉樺耶は僕を離さず、懐剣の峰を僕の咽仏にグイと押し当てては、厳しい尋問を続ける。しかも、ピチッとした戦袍の胸元をまさぐり、新たな凶器を取り出そうとしている。僕は、いよいよ震撼し、目前に突きつけられた〝それ〟から、慌てて目をそむけた。

 ところが――、

「この本……『巷間悲恋心中絵巻こうかんひれんしんじゅうえまき』に書かれた男女間の美しくも儚い情愛は、みんな嘘っぱちだったのかい? あんた……金儲けのためだけに、今まで読者を騙してたのかい!」

「はぁ?」

 琉樺耶が提示した〝それ〟とは、一冊の本だった。

 僕は、さっぱりワケが判らず、素っ頓狂な声を上げてしまった。

 いや、よく見れば、これって……啊!? 僕の、幻の処女作じゃないか!

 僕が、文士として世に出るキッカケとなった、記念すべき第一作目!

 売れ往きは、かんばしくなかったけど……大事な作品だ!

 それを何故、彼女が!? しかしここから、琉樺耶・怒涛の猛口撃が、始まったのだ!

「さらに、この本……『嫦娥月亮恋艶戯じょうがゆえりゃんこいえんぎ』に書かれた一途な夫婦の千年に及ぶ純愛も、みんな出鱈目でたらめだったのかい? あんた……読者を嘲笑いながら、筆をにぎってたのかい!」

「はぁ?」

 次に彼女が取り出した一冊は、僕の代表作だった!

 都で活躍中の、大物文筆家たちから、初めて賞賛の声を頂いた、名誉ある一作!

 僕が、文士としての地位を確立するのに、大いに貢献してくれた、重要な作品だ!

 ちなみに、主人公の夫婦は、僕と凛樺である!

「その上、この本……『明衣舞恋風残夢あかはまいこいかぜざんむ』に書かれた囚われ舞姫の悲劇的な献身愛も、みんな世迷言よまいごとだったのかい? あんた……なんのため文士をやってるんだ、汪楓白先生!」

「はぁ?」

 最後に、彼女が取り出したのは、僕の最新作だった! 評判のよかった前作に引けを取るまいと、昼夜を問わず書き続け、半年かけて、ついに完成させた、渾身の大作である!

 さらに、さらに!

 あとからあとから、胸元から、琉樺耶が取り出す本は、すべて僕の作品!

 琉樺耶が泪目で扇形に開いて見せた全十二巻は、これまで僕が世に送り出して来た、恋愛を主題にした物語ばかりだ! 僕にとっては苦心惨憺のすえ、生み出した可愛い吾子あこである! でも……それを何故、男嫌いの勝気な女賞金稼ぎが!? まさか……まさか!?

「おねぇたまは、おねぇたまは……汪楓白先生が書く恋愛モノの、一番の愛読者だったのにぃ! 本物に逢えたと思ったら、実は悪の手先で、こんな非道なやちゅだったなんて! 可哀ちょすぎるぅ! おねぇたまを、よくも裏切ったわねぇ! バカ、バカバカバカァ!」

 横合いから僕の鼻先に、大鉞の鉄柄の先端部を突きつけた茉李が、泣きながら訴える。

 どえぇ――っ!? この琉樺耶が……僕の恋愛モノを読破!? いぃ……意外すぎる!

 だけど、正直な気持ち……ムチャムチャ、メチャメチャ、うれしいよ!

「あ、あなた……僕の書物の、熱心な愛読者だったんですか!? しかも、ほぼ全巻、読んでくれてるし! うわぁ……うれしいな、感激しちゃう! ありがとう、琉樺耶さん!」

 僕は思わず、恐怖心も忘れ、懐剣を持つ琉樺耶の手を、ギュッとにぎりしめていた。

 だけど即座に、振り払われてしまった。

「こっちは全然、うれしくないんだよ! 正体知って、興醒めだね!」

「ち、ちがうんです! 誤解なんです! 僕の話を、聞いてくださ……いっ、痛い!」

 僕は、折角、出会えた熱烈な読者の心を取り戻したいと、躍起になって弁解を始めた。

 しかし、一旦失ってしまった信用を、再生するのは容易なことでなく……琉樺耶の態度は、あくまで冷淡だった。今度は懐剣の刃を立てて、またぞろ僕の頬に赤い筋をつける。

「黙れ! 見損なったぞ、汪楓白! まさか本当に、お前が本物だとは……くっ! 情けなくって、泪が出そうだよ! こんなに、がっかりさせられるとは、思わなかったよ!」

 啊……本当に、泣いている! そこまで、僕の熱心な信者だったとは!

 どうやら、琉樺耶の心の傷の方が、僕の切り傷より何倍も深いらしい。

 それなのに、僕と来たら、いくら蒐影に操られた上での不可抗力とはいえ、あんな恥知らずな真似を……穴があったら、入りたい! できることなら、時間を巻き戻したい!

 だが、その時だった。

 懐剣でいよいよ、僕の心臓を刺しつらぬこうとした琉樺耶が、僕の下着と腰帯の間に例の物を見つけたのは……琉樺耶は、目をみはり、僕が止めるより早く、それを奪い取った。

「なんだい、これは……」

「わぁぁあっ! それは、ダメ! 僕の、大事な日記帳なんです! 読まないでぇえ!」

 僕は慌てて、琉樺耶の手から、大切な日記帳を取り上げようとしたが、無駄だった。

 最初は、サラサラと目を徹す程度だったが、その内、琉樺耶は目の色を変えて、じっくりと読みふけり始めた。本が好きなんだなぁ……と、思いきや突然、琉樺耶は嗚咽した。

 ポロポロと泪をこぼし、意外と華奢きゃしゃな肩を、小刻みに震わせている。

「どうちたの、おねぇたま!? そんなに、ぴどいことが、書いてあったの!?」

 茉李が心配して、そんな琉樺耶の泣き顔をのぞきこんだ。僕、そんなに〝ぴどい〟こと、書いた覚えはないんだけど……だってこれは、僕の凛樺に対する愛情詩編で……ひゃあ!

 やっぱり、凛樺以外の、他人に見せるのは嫌だ!

 赤面モノの、こっぱずかしいセリフが、ズラズラと羅列されてるんだもの!

 けれど、琉樺耶が発した感想は、僕の悪い予想を、見事にくつがえしてくれた。

「凄いよ……あんた、やっぱり天才だね。こんな、感動的な愛の詩が、書けるなんて……」

「……へ? 今、なんて?」

 僕は、琉樺耶からの賞賛の言葉が、すぐには嚥下できず、目を丸くした。

 一方、横からのぞきこむ茉李は、不可解そうに首をかしげては、容赦ない悪態をつく。

「茉李には、判んなぁい……こんな陳腐で、ご都合主義で、クッソくだらない話……でも、おねぇたまが感動ちたんなら、やっぱり、ちゅごい話なのかなぁ……むじゅかしすぎるよ」

 そりゃあ、云いすぎだろ! 失礼にも、ほどがあるぞ!

「なにか、理由があるんだろ? 正直に話してみなよ。どうして、あんな悪逆非道なエセ道士に、くみしているのか……あんたほどの人がさ、勿体ないじゃないか。才能をドブに捨てて……悪の道をひた走るなんて、とても、信じられない。いや、信じたくないんだよ!」

 琉樺耶は懐剣を仕舞い、僕の頬や首筋から、したたる血をぬぐいつつ、熱弁をふるった。

 寸刻前までとは、エライちがいだ……でも断然、こっちがいい! 但し『誤解だ!』と、必死に云い続けた僕の話が、結局、なにひとつ伝わってなかったってのが、哀しいけどね。

「えぇと……ですから、さっき話そうとしたんですけど、すべて誤解なんです」

「誤解? 誤解だって? そいつは、どういう意味だい!」と、声を荒げる琉樺耶。

「啊……やっぱり僕の話、全然、聞いてなかったんですねぇ……」と、うなだれる僕。

 だけど、僕は気を取りなおし、あらためて琉樺耶に、こうなるまでの、すべての真相を、裏事情を、神々廻道士と出会ってしまった経緯を、彼に与するしかない理由を、説き明かした。すると、最初の内こそ懐疑的だった琉樺耶の眼差しが、どんどん優しくなっていった。琉樺耶は、僕の首に嵌められた忌まわしい首輪を引っ張り、僕の耳元へ朱唇を寄せる。

 またまた、嫉妬に狂い出しそうな茉李を手で制し、琉樺耶は初めて心の底から、僕に微笑みかけてくれた。いいや、それだけでない。彼女は僕に、それ以上のものをくれたのだ。

 それは……つまり――、

「喂、シロ。もう、られちまったかぁ?」

 僕と琉樺耶の部屋へ、突然フラリと神々廻道士が現れた。多分、逃げた蒐影から報せを受けて、僕らの様子を見に来たのだろう。だが、さすがの神々廻道士も、室内の光景を目撃するや、しばし言葉を失った。何故なら、ギッシギッシ……と、天蓋つきの寝台を派手に揺らし、掛布を跳ね上げ、僕と琉樺耶は獣の如く、激しくもつれ合っていたのだから!

「な、なんの、ことです? 今は、それどころじゃ、ないんで、あとに……ハァ、ハァ!」

 荒く息つきながら、切れ切れの声で、神々廻道士に問い返す僕。

 琉樺耶は、そんな僕の首にしがみつき、豊満な胸を上下させ、悩ましげな嬌声を放つ。

「ああっ、凄いわ、旦那さま! 男女の交合が、こんなに、いものだったなんて……私、今日まで、し、知らなかったのぉ! んんっ……気持ちいいっ! もっと、もっとぉ!」

 神々廻道士は、驚き呆れ、背後の闇にひそむ蒐影を振り返っては、長嘆息ちょうたんそくする。

「こりゃあ、どういうことだ、蒐影」

「そんな、莫迦ばかな! 確かに、あの女賞金稼ぎは、懐剣で、私に襲いかかって……」

 蒐影は、僕らの嬌態に愕然とし、険悪な目で睨む神々廻道士へ、云いわけしようとした。

「懐剣って、これか?」

 足元に転がる琉樺耶の懐剣を拾い、神々廻道士は、いよいよ不機嫌そうに目を細める。

「ハァ、ハァ……それは、ご、誤解でした! 彼女、ただ交合を、怖がってただけで、今では……うっ、ダメだよ、琉樺耶! そんなに腰を振ったら、もう、もれちゃうってば!」

 僕は、蒐影に助勢してやるワケではないけど、琉樺耶とこうなった次第を、神々廻道士に説明せんと……うあぁっ! やっぱ、無理! こんな状況下で、理路整然と、説明なんかしてられるか! とにかく、今は琉樺耶に夢中で、そっちへまで、気をやれないよぉ!

「あぁあんっ……旦那さまぁ! 好きぃ! いっそ、このまま突き殺してぇえっ!」

 琉樺耶は、掛布が吹っ飛びそうなほどの勢いで、僕の肢の上で腰を振り続け、絶叫する。

 蒐影は、黒目を見開き、ワナワナと震えている。そして、神々廻道士は――、

「……阿呆クサ、もう寝るわ」

 きびすを返し、大アクビしながら、僕らの部屋を出て往った。

「おかしい……どうして、こんな冴えない男が……琉樺耶ほどの魅惑的な美女に……」

 残された蒐影は、まだ得心が往かない様子。そこへ、衝立の向こうから飛び出して来た茉李が、物凄い剣幕で、黒尽くめの影鬼に詰め寄り、大鉞を振りかざしては、威嚇した。

「ちょっとぉ! 好い加減、おねぇたま夫婦の邪魔を、ちないでよね! 茉李だって、茉李だって……本当は、大好きなおねぇたまを盗られて、ちゅっごく悔ちいんだからぁ!」

 哇々わぁわぁと泣きじゃくる茉李は、大鉞を容赦なく振り回す。

 ブンブンうなる、凄まじい刃音(と、茉李の怪腕)。蒐影は、それを紙一重で避けつつ、僕らの交合を、もっとよく観察しようとしていた。しかし……泣きわめく茉李の、執拗な攻撃に音を上げ、ついに寝台へ近づくことをあきらめた。慌てて、茉李をなだめすかす。

「判った! 判ったから、武器を下ろせ! まったく……シロの無様な死に顔を、じっくり拝んでから、屍骸を喰らってやろうと思っていたのに……予想外だ! つまらんな!」

 辛辣しんらつに、それだけ吐き捨てると、蒐影も、ようやく僕らの部屋から出て往ってくれた。

 遠ざかる足音、遠ざかる気配、遠ざかる危機。

 僕と琉樺耶はピタリと動きを止め、掛布をまくって、天蓋の薄い垂れ幕から顔を出した。

「……往きました?」

「……啊、往ったね」

 僕と琉樺耶の言葉に、過剰反応して、茉李が振り向いた。

「え! 本当にイッちゃったの!?」

「「あいつらが、だよ!!」」

 思わず、怒声をそろえた僕と琉樺耶は、ハッとして互いの口に手を当てた。だけど、あらためて顔を見合せたら、急に気まずくなって、寝台の上、距離を取る。琉樺耶は、紅潮した顔や、半裸の細身を掛布で隠し、僕を意識しないように(かな?)茉李へ話しかけた。

「茉李ったら、本当に耳年増なんだから……どこで、そんな言葉、覚えたんだい?」

「おねぇたまこちょ、演戯が迫真すぎて、茉李……泣きちょうだったよぉ!」

 茉李の云うことは、尤もだった。僕も、ついつい同調してうなずく。

「確かに、琉樺耶さん……経験がないワリに、凄かったですね」

「あんたたち……殺されたいのかい!」

 琉樺耶は耳まで真っ赤に染めて、怒っている。哈哈、もう怖くないや。こういうところは、やっぱりスレてなくて、可愛いなぁ……も、勿論、凛樺ほどじゃないけどね、うん!

「とにかく、これで一時的ではあるけど、奴らを騙せたみたいだね。あとは、あんたを呪縛から解き放し、神々廻道士の弱みを見つけ出し、三妖怪ともども必ず退治してやるよ!」

 熱く意気込んでは、闘志も新たに充填じゅうてんし、拳をにぎり締める琉樺耶だ。

 そう……僕らは協力して、神々廻道士一味と、対決することに決めたのだ。

 当然、ただいまの交合も演戯だ。琉樺耶が僕にピッタリ抱きつき、首輪を隠してくれたお陰で、神々廻道士も、僕の心裏を読み解くことはできなかったらしいし、まずは一安心。

 打倒・神々廻道士と三妖怪! ……の、第一関門は突破だね。

「え、えぇ……そ、そうですね、哈哈、哈……」

 だけど、問題が、ひとつ……かなり、深刻で、重大な、問題だぞ……これは!

 僕は、琉樺耶が己の裸身を隠すため、グイグイ引っ張る掛布を、逆に引っ張った。

 琉樺耶は、怪訝けげんそうに僕を睨み、さらに掛布を引っ張ろうとする。

 だから、ダメ……ダメだってば!

「どうちたの? 啊! なにか、隠ちてるでちょ――っ! 見ちぇなちゃ――い!」

 まずい……非常に、まずい! 茉李に、勘づかれたぞ! 幼児趣味で露出狂(は、関係ないか)のクセに、どうしてこんなところだけ、目ざといんだ! 本当に、やめてくれ!

「いぃいえ、ちがうんです! ほ、放っておいてください……って、わぁあっ!」

 茉李に、問答無用で掛布をはぎ取られ、僕の元気な下半身は、丸見えになった!

「きゃん! ぴど――いっ! こいちゅ……本当に、おってちゃってるぅ!」

「ひぇ――っ、やめて、そんな云い方! だって、しょうがないでしょう! 琉樺耶さん、演戯とはいえ大胆に体をすりつけて、密着させて……セリフも本当に凄かったんだモン!」

 掛布の片側で体を隠し、戸口へ意識をやっていた琉樺耶は、不可解そうに眉をひそめる。

「どうした? 二人して、なんの話をしてるんだい?」

「見て、おねぇたま! こいちゅってば、ちゅっごいのぉ! 鬼並みで、怖いのぉ!」

 茉李は、僕の、とっても元気な下半身を指差し、恥知らずにも、こうのたまった!

「いやいや! ちっ、ちがっ……これは!」

 僕は両手で隠そうとしたが……手遅れだった。初心うぶな琉樺耶は、僕の怒張したアレを目にするや、硬直し、青ざめ、それから戦慄に身を震わせ……直後、凄まじい悲鳴を放った。

「ひっ……きゃあぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあっ!」

 彼女の悲鳴は古びた廟内すべてに響き渡り……(あとで知ったことだが)神々廻道士のみならず、三妖怪のみならず、廟の外の通行人にまで、妙な誤解を与えてしまったとさ。

「あの野郎……ヤワな顔して、意外とヤルじゃねぇか……へへ」

 神々廻道士は、臥所でニヤリと北叟笑ほくそえみ、その夜はじっくり淫夢に浸ったそう。

「ヤダァ……シロちゃんってば、初めての女を、あんなに鳴かせるなんて、凄いのねぇ!」

 入浴中の蛇那は、ソワソワと腰から下の蛇身をうごめかし、結局のぼせたそう。

「奴だけ愉しむとは、面白くないな。今からでも戻って、私も美味い思いをさせてもらうか。またぞろ影に忍びこめば、奴に代わって琉樺耶を抱ける。想像するだけで、たまらん」

「やめとけ、やめとけ。おめぇじゃ無理だって。口では色々云ってっけど、おめぇに、女をあそこまで絶頂させる体伎は、繰り出せねぇだろ? 人は見かけじゃなかったんだなぁ」

 広間で酒を酌み交わす蒐影と呀鳥は、僕らの行為を肴に、猥談わいだんにふけったそう。

「「「「……それにしても、シロが、あの女賞金稼ぎと、ねぇ……」」」」

 しこうして、神々廻道士と三妖怪は、最終的に同じ感想をいだき、ちょっぴり僕を見なおしたそうです。うぅん……喜んでいいのか、哀しむべきなのか、判らなくなって来たよ。

 取りあえず、琉樺耶と茉李が着替えをすませ、部屋から出ていった隙に……すましちゃお。凛樺の不在で、長らく淋しい思いを、させちゃってるからな……今夜は念入りに……。

 ハァ……スッキリ。グゥ……。


 〔暗転〕



ー続ー

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