文庫草誌
(2000年前後にホームページで連載していた本にまつわるノートです。投げ銭方式で全文公開します。)
スランプ
本作りにもスランプはある。創作性、即興性の濃い小冊子中心だとなおさら。自作ばかり手がけているせいもあるだろう。そんなときはふらふらと出かけていって、石ころや雲切れを拾い集めて本に編集してみるのも一興。
鏡花忌
幽玄院鏡花日彩居士。没後60周年にあたるこの日、青磁選書の『春晝・春晝後刻』をぱらぱらしていると、「七星挂城聞漏板」の詩句が目に留まった。星への興味から調べてみると、唐の詩人李賀の作。その頃鏡花が愛賞していたという。李賀には縁故(昔、ほろ酔いの国文学者に出会いがしらに「りがぁ、りがぁ」と呼ばれて面食らった一件)があるので、この秋は漢詩が苦手だと言わずに読んでみるか。鏡花と李賀、幻想怪異の取り合わせ。
Duckbill
友人が本屋を開いた。東京からやって来た若いカップル。あちこち地方都市を下調べした上でこの街(金沢)を選んだ由。ブックカフェというスタイルで、古本・新本・電子本を問わず、mixed-media の方向でいろいろやってみたいことがあるそうだ。大いに楽しみ。その可能性に与したい。
イーハトーヴ・ソングブック
宮沢賢治の童話中の歌を集めて『イーハトーヴ・ソングブック』を製作。前々から編集してみたいと思っていたもの。忌日の21日には間に合わなかったが、オンライン賢治祭に遅れて出品。昨年まではHTML参加で、TTZは今回初めて。読むにはビュワーと QuickTime3.0 が必要。このあたりが電子本の苦しいところ、スタンドアローンのブック・ファイルが出来れば言うことはないのだが。
おみくじ読み
漱石の『草枕』に、「かうして、御籤を引くやうに、ぱっと開けて、開いた所を、漫然と讀んでるのが面白いんです」とある。「惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初めから仕舞迄讀む必要があるんです」とも。
素麺文庫
本の置場所には悩む。借家暮らしではしっかりとした書架を作るわけにもいかない。小さな本棚を幾つか使い回しているが、とうてい間に合わない。昔、仏教学者が使っていたという頃合のものを道具屋で見つけて、それを十年来メインにしている。自分で引いていくなら四千円と、大八車を貸してくれた。四段のゆったりとした本棚で、部屋のそのあたりだけ時間が深い。
文庫・新書用には、素麺の「揖保乃糸」の木箱。米屋の片隅に転がっているのを所望したのだが、これが 22×62cm でちょうどいい。幾つか重ねて使用している。以来、顔を見る度に新しく箱が入ったとか、配達の折りに持って来てくれたりでずいぶん溜まった。揖保は郷里の近くでもあって、懐かしい雰囲気の素麺文庫が出来上がった。もっとも、本を読むのは遅くて、つるつるとはいかないが……。
ゴダール映画
部屋の中で自転車を乗り回しながら、片手で本を開き、中の一節を読み上げていくシーンが、ゴダールの映画にあった。終わるとまた本棚に乗り付け、別の一冊を抜き出して走りながら読み上げる、そんなことをして遊ぶカップル。男はジャン・ピエール・レオ、女はアンナ・カリーナだったか、アンヌ・ヴィアゼムスキーだったか。セリフでもなく、ナレーションでもなく、ゴダールはよく言葉を使った。本に似て、読書感覚に近い映画だったかも知れない。
3畳間の炬燵でしっとり本を読んでいるしかなかった貧乏学生は呆気にとられるばかりだったが、のち部屋の真ん中にキャンバスを立て、貼り付けたハトロン紙に時折詩を書き付けながら大掃除などするのは、このシーンの後遺症か。
暮鳥の蔵書
古書展に久し振りに行った。「月の光」「真夏の星」と天体タイトルの本が星好きの目につく。前者は明治31年発行の月を巡ってのアンソロジー。月の科学から歴史・民俗・文学までを扱った小冊子。後者は千家元麿の詩集であった。なあんだと思いつつ、巻末ページを見て「あれ?」。細いブルーブラック・インクで「やまむらぼてう」と丁寧に署名してある。1924.10.22 の日付とともに。詩集の発行日は同年の9月20日。暮鳥が没したのが、12月8日。するとこの本は、死の一ヶ月前に購入して病床で繙いていた遺品ということになる。ちょうど『雲』の校了にかかっていた頃。
そんなものが今頃こんなところに出回るか、遺族が処分するか、結核だったから当時ではあり得るかなど思いはぐるぐる巡って、さてどうするか。この本の持ち主も貧窮していたけれど、巡り会ったこちらもすこぶる懐は寒い。哀しいね、縁だねと、千家も含めての一本の糸を、一日迷った後手繰り寄せた。
よちよち書き
ここのところ詩はずっと T-Time で書く。テキスト編集モードで、<HTML>解釈のチェックを外して縦書き入力。印字の遅さは気にならない。言葉・行間を行きつ戻りつ、ゆっくりと<ため>を生みながらイメージ逍遙していくような詩作には向いている。
詩作のスピードが失速したのは、若い頃に左手で書いてから。右利きなので、うまく運筆できないで必死になる。体ごと書いていく感覚で、実際肩やら頭も動くようだ。なにやら文字にうぶにもなった。ひらがなが多くなり、フレーズも短くなった。そうして左手で掴んだものを右手にも移植して、いまは両手使いのキーボード操作である。ちなみに絵はいまでも時折左手で描く。
寒雷春雷
鏡花は無類の雷嫌い。生地金沢は日本一の多発都市、落雷率も高い由。ほとんどが冬季三ヶ月の雪起しとも鰤起しとも呼ばれるもの。シベリアからの風が海を渡って来る距離がもっとも長く、雲量が最大なのが原因とのこと。夏の夕立は一過性の旅人だが、寒雷は雪とともに来てしばらく居候する。からりと晴れる雨後の快活もなく、暗々鬱々、繊細にいればへとへとになる。師・尾崎紅葉の雷は落ちたかもしれないが、東京に出てほっとしたろう。
春の雷鏡花全集しんとして
こんな句を作るのも意地が悪いが、せめて寒雷は避けてあげたい。梅・桃・杏と震えるなら我慢もして貰えるだろう、それでもふっと書架の一角が気になったりはする。ところが案外似合うかたもいる。なぜか、このひと、
寒雷や釈迢空の一、二巻
ポエムレット
ポエムレット作りが面白い。昔から、詩を一篇単位で本にしてみたいという思いがあった。レコードで言えばシングル盤感覚。7インチ・ドーナッツ盤もよし、12インチ・ロング・バージョンもよし。実際に紙の本でもいくつか作ってみた。詩にゆかりの絵や写真を配して、それらを詩草紙と名付けてもみた。簡素な、画集とも絵本ともつかないものは、絵草紙の名で。
コンピュータで本を作り出して、画像が自由に扱えるようになった。電子草紙の可能性もインターネットと繋がって、さらに柔軟に広がった。本も軽快で、自在でありたい。小草が小草の花を着け、微星が微星の光を放つように、小冊子には小冊子の味を出したい。
二、三羽——十二、三羽
青空文庫に最近登録された鏡花の短編を読んだ。『二、三羽——十二、三羽』という題名。バード・ウォッチングのつもりで繙くのは鳥好きの悪い癖だろうが、雀がチョンチョンと現れて驚いた。シリリ、ヒリリと黄連雀・緋連雀の声でも降ってくるか、目白、尾長などの小群が何やら妖しく飛び回るのだろうと勝手に予測していた。そうか、雀だったか。六月の雨の中で拾ったひなが無事育って、今でも二階の縁に作った餌場に毎日やって来る。雀の仮親になったことのある者にとって、この作品はうれしい。そういうことで、TTZ 化して「狐の嫁入り文庫」に収めることにした。
ちなみに発行日は9月7日、鏡花の命日だが、たまたまファイルの進行具合でそうなった。ラフォルグの『お月様のなげきぶし』もいろいろ試行錯誤があって、やっとアップに漕ぎ着けてみると偶然彼の忌日に重なった。川端茅舎の『月光採集』だけは、月蝕という機縁もあってその記念日に合わせたが。まあ、花を手向ける一書にでもなれば幸い、その日付もまた妙縁としておくのがいいだろう。
同人誌ハレー彗星
明治43(1910)年のハレー彗星回帰を記念して『ハレー彗星』という同人雑誌が誕生、第2号は次の回帰の年に予定という記事をかつて何かで目にした。1986年には、ひょっとしてと楽しみにもしていたが、そんな雑誌の噂はついに聞かなかった。実現していれば面白い話で、第2号が出れば、第3号も誰かが継ぐだろうに。76年という年月は、一人の人間が幼老の両手をいっぱいに広げてなんとか届く距離、そこにこの彗星の妙がある。世代で言えば3代、1ハレーとでも呼びたい単位。『ハレー彗星』第2号は残念だったが、百武、ヘール・ボップ彗星では、次号は数千年数万年先になる。
寒山拾得
鴎外はこどもに寒山拾得の話をしたが、わたしはつれあいにこの伝説の人物譚をした。ある日、二人で山道を歩いていて、枯れ木の枝に一本の箒を見つけた。妙なところに、妙なもの。天狗は団扇だけでなく箒も使うのかと空想を逞しくしていると、「あれは拾得の箒」とつれあいが言う。「今日は、小春日和の、拾得日和」と歌うように言われれば、なるほど山気も柔らかく、木々の呼吸も深く聴こえた。
*
寒山拾得相並んで一本の箒をいただいている絵を描いたが、それを若い友人が見て、ビートルズのジョンとポールかと訊いた。なるほどマッシュルーム・カットで、ギターを持たせれば「Tomorrow never knows」なんぞ歌うかもしれない、作者もそう思った。彼女に古代中国の瘋癲(ふうてん)二人を紹介するといたく気に入ったらしく、絵は彼女のアパートの部屋で、パンク・ロッカーのポスターと共に飾られることになった。
*
六角文庫の外付けハードディスクは、パーティションを二つにきって、それぞれ名称を寒山・拾得としてある。深い理由はない。対の名前を探して、最初昴(スバル)・畢(ヒアデス)としたらすぐにエラー、フォーマットし直した際に改名した。システムやアプリケーションを寒山に管理してもらい、拾得にはデータのバックアップをお願いした。が、これは逆だったかもしれない。飯炊きの上手な拾得にはシステムを、拾得に食わせてもらって詩を書いているだけの寒山にはデータを、というのが本筋だったように思える。文殊普賢の化身のお二人にさすがクラッシュはないが、無碍(むげ)な拾得さんはファイルのアイコンを自在に描き換えて下さる。
売書船
富岡鉄斎に『売書船図』というのがある。小舟に本を積んで流域の文人・知識人たちに売るのだろうか。絵には、文房の窓から身を乗り出した人物が、舟から直接本を受け取っているところが描かれている。船頭は簑傘を被り、雨風模様。文房には客人の姿も一つある。或いは西湖のような湖畔の別荘を巡回するものであるのかも知れない。版元なり書肆なりが顧客へ特別に仕立てるものとも、漁師か船頭のちょっとした副業とも、いろいろに考えられるが、いかにも中国らしい風景ではある。
ふっとこんな想像をしてみた。舟で本を売って回るのは無名の青年詩人。新しく纏めた作品を幾冊か書写して、水辺の読書家たちを訪ねて回り、
……あいにく杜甫しか読まないのでね
……字は少しはうまくなったようだが
……詩は作ってもいいが、売ってはいかん
あしらわれたり、からかわれたりしながら気分は波間に浮沈して……。
鉄斎翁の画境よりも貧書生の心境に思いがゆくのは、電子本文庫なんぞを細々と営んでいる身の故だろう。無名の詩人が青年ではなく老人だとしても、また物語に何か趣がありそうだが、売書船に乗った中年貧書生は、うむ、絵になるまい。
プリーズ・ミスター・ポストマン
母の生まれた村はのどかな田園地帯の山際、十軒前後の家がばらばらとあるばかりで、僅かな日用品を扱う店が一軒。幼い頃、その村にしばらく暮らした。豆腐一丁のお使いに、弟を乳母車に乗せて一時間以上のところにも住んだ。新聞や雑誌は昼頃に郵便屋が配達して来る。自転車の荷台の竹籠に何が入っているのかよく覗き込んだものだが、本の類と言えば「家の光」が数戸分あるのみ。それでも、真っ先に受け取って、大人たちにからかわれながら縁側でパラパラ眺める。稲の害虫駆除、肥料について、種の植え付け……こどもに面白いはずはなかろうが、本というものの魅力だったのだろうか。
田舎の雑貨屋にはラムネから蒟蒻、針・糸から手拭い・燐寸・草履まで売っていたが、郵便屋もまた新聞・雑誌・手紙を遠くから運んでくる。偶には、街に住む叔父から絵本が届くこともあったのだろう。飴や煎餅にもわくわくしたが、郵便屋の竹籠の中味にはもっとわくわくした。
乳母車
三好達治に「乳母車」という詩がある。淡くかなしきものの降る道を、母よりんりんと乳母車を押せ、とかいう詩句だったと思う。新美南吉にも乳母車の詩があった。この方は病んだ母親を乳母車に乗せた貧しい兄弟の一編である。
わたしの母は、一時期飴を売っていたことがあるらしい。遊蕩の父に愛想を尽かし、実家に身を寄せて、母子三人居候の頃。乳母車に飴と弟を積んで、人家もまばらな田舎の道を一日かけて売り歩いたという。何ほどの売り上げがあったのか。傍らを付いて歩くわたしが草臥れて、弟と一緒に乳母車に乗り込んでは、腹を空かせて売り物の飴を食べてしまう、ほんとうに泣きたかった…と、話してくれたのは後年になってから。
その母をさらに泣かせた放蕩息子も、また乳母車に本を積んで歩くようなことをしているのだろうか。飴も売れなければ、電子本も売れない。歩いても歩いても客はいない。母はしばらくの生計で、やがて腕に覚えのある裁縫仕事に移ったが、息子はどうすればいいだろう。バラ売りの飴のような、詩一編からの小冊子。舟の時代、乳母車の時代、そしてインターネットのホームページの時代。
ヘイ!ミスター・タンブリンマン
虚無僧や托鉢僧に憧れた。紙風船とヨーデルの富山の薬売りの青年は忘れがたい。紙芝居の拍子木には遊びの手を止め、サーカスの小人の吹く夕暮れのトランペットにはふらふらと引き寄せられ……。人さらいにさらってほしいとは、どのこどもも空想するものであったのだろうか。口ずさむ歌と言えば『さすらい』とか『流転』とかの類。
長じて、吟遊詩人に憧れた。放浪の芸人にも興味を持った。一頃の詩の朗読も、絵の展覧も、わたしなりの吟遊であった。それらをピタリと止めて、ここ数年はホームページ作りに専念、電子本を製作して来た。広大なウェブには、膨大な数のホームが立ち並ぶばかりだが、じつはわたしは吟遊文庫を夢見ているのではないだろうか。
(ありがとうございました。これで全文です。お気に入り下されば幸いです。投げ銭、またはスキボタンの支援があれば励みになります。)
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