春は別れの季節/インスタントな縁の先にいる君達へ

春は別れの季節である。勿論詭弁である。


と言いたい所なのだが、実際春という季節に切られる縁が多いのは事実だと思う。それを齢18、高校生を卒業して一応の大人になった今になって初めて実感した僕の自分語りである。

恙無く話のスタートダッシュを切る為に、まずは高校卒業の話をする。卒業式の朝、もうこれからの人生で二度と話す事が無くなる可能性が高い、それでも僕が感謝を伝えたい十数名にキャラメルを渡そうと決めた朝。

少なくともキャラメルが口内で溶ける時までは残ってくれるであろう爪痕を残そうと画策した。それを僕なりの別れの言葉と換えさせて頂きたかったのである。

数十回は地理のプリントを見せてくれたクラスメイトの女子、一年の頃に陸上部に入るきっかけを作ってくれた彼、時たま一緒に下校する程度にはほどほどに仲の良かった同級生。12個入りのキャラメルは、結局4個余った。

結果として、この試みは自分を慰める手段としてはどこまでも失敗だったのだ。渡す際も自分でも想像以上にあっさりと渡して、淡白に縁が解けていくのを貼り付けた笑顔で眺めてしまっていた。余った4個は食べようか迷った末に妹にあげた。何処までも情けない話である。

卒業の話は言ってしまえばこれだけ。つまり、別れなんて所詮こんな物という事だ。

 

次の話。唐突だが僕はお前らと話す事が好きだ。

インターネットでの交流は楽しい。相手の顔も名前も知らないけど文体は知っていて、好きな曲を知っていて、積み重ねた会話は楽しくて。余計なしがらみの無い人間関係の素敵な部分だけを掬い取った様な楽しさが、そこにはある。

でも、その余計なしがらみの数々こそが縁を繋ぎ止める物なのだ。

先日の話だ。僕に一方的に別れを告げて消えようとした大馬鹿野郎がいた。さみしかった。それでもあの瞬間、僕が引き止める事はなかった。だってインターネットだから。インスタントで希薄な縁を、僕が無理矢理掴む訳にはいかなかったから。

インターネット上の関係は気楽で便利で、何より脆い。その関係が切れても、僕達は余裕で生きていける。そうして互いに二度と交わる事はなく、生きてるか死んでいるかもわからない。

こんなの、死別と同じじゃないか。

希薄でインスタントな縁をそれでも握り続けていたいというのは、僕の我儘なのだろうか?
 

 
畢竟、何を書こうとしていたんだっけか。

春は別れの季節であり、今生の別れというのは時に思っていたよりも無感動的で、それでも死別と同じくらい寂しいものなのだ。

僕はこの界隈でなんだかんだ楽しく過ごさせてもらっている。それは僕が仲良くさせてもらっている人達に、実際に会える人達が少しだけ多かったからかもしれない。
 

春は別れの季節。僕は広島に行く。
もう君達には会えなくなる。
 

昨日から出向いていた卒業旅行、とは名ばかりのグダグダな旅行でスキー板を装着したまま転げて滑って笑いまくった末の帰り、高速道路を走るバスの上でガン寝している友人達を横目に今僕はこのnoteを書いている。高校生活で得た縁は、結局彼等数人に収束するらしい。これからも大事にしていこうと思う。一生の友は数人でいい。

その上で。これは一生の友とはいかなくても、失ってしまったら寂しい人達に向けたnoteである。
 

僕はこれから半年は禄に創作もできねえかもしれない。深夜にはきっといない。縁は今よりもずっと希薄になる。

それでも、どうか僕が紡ぐ希薄でインスタントな縁を、君達には小指の先で掴んでいてほしい。

僕が持て余した行き場のないキャラメル達が、君達の夢にでも化けて出る事を祈っている。


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