見出し画像

宇宙の外側には何があるの

私がうんと若い時でまだ運動方程式も微積分を中途半端な理解であった時の話だ。しかし宇宙や生命や歴史の必然を知ろうとする探求心はおおせいだった。

その時の大きな疑問の一つが宇宙に外があるのか、ないのかであった。当然理解もできないし頭はうんでいた。

身近にいた地方の国立大学で機械工学を収めた人に聞いてみた。その方は私に向かってこんな話をしてくれた。今にして思えば餓鬼を相手にこの程度の話をしておけばいいだろうと思ったに違いない。

「宇宙は最初ただの一点であった。自身の重みに耐えかねて大爆発を起こしたのだ。いわゆるビッグ・バンである。以来宇宙は光の速度で膨張をしている。君が光の速度で宇宙の外側に達した時、君はそこで神に会えるであろう」こんなであった。

現代の物理学から言っても正しい回答であるような、ないような内容で哲学宗教学的回答であれば、あながち間違いともいえないだろうが、こんなではとても聞く意味はないなと率直に思った。

現代ではインフレーション理論としてビッグ・バンをこのように説明します。

水が氷に変わる(相転移)ように高いエネルギーを持った真空が低いエネルギーの真空に相転移をするとします。

誕生直後の宇宙では真空のエネルギーが高く、これに互いに押し合う力(斥力)が働いて宇宙は急激に膨張する。

真空のエネルギーに満ちた空間は互いに押し合うことで急激に膨張し宇宙では相転移がおこり、水が氷に変わるときに熱が放出されるにように真空のエネルギーも相転移によって膨大な熱エネルギーを放ち、この熱によって宇宙は超高温の火の玉(ビッグバン)になったのです。これがビック・バンの正しい説明です。

北アルプスの立山ほどの高度では星がよく見えます。山頂から薬師岳への稜線を下ると五色が原という山中の平原に着きます。

周囲には光がありませんから月のない夜には、それはそれは、降る星の如しと形容される星々のさんざめく風景が出現します。

山小屋のカーテンは星々の光のよって昼間のように光が透過して室内は光の一大ページェントに変わりました。

そんな時寒さをこらえ外に出てはるか遠い宇宙の、さらに一番遠いところについて満点の星空を見あげてみると、深い思いが込みあげてきて、とてつもない感動に包まれました。

宇宙飛行士が宇宙の風景を見てその死生観が変わったように過っての立山登山での『五色が原』の夜は私の宇宙観に大きなインパクトを与えました。

単なるあこがれや不思議さは月面着陸や火星旅行、周回衛星での長い滞在をテレビで見続けていればいつしか解消されるが、そのような単なる憧れは、「いつか宇宙に行ってみたい、宇宙から星空を見てみたい」という想いに変わっていくのだ・・・・

そんな思いを抱く人なら 「宇宙の果てのことも気になっているだろうな」なんて私と同じ思いの人がいても一向に構わないであろう。

そもそも『宇宙の端っこ』とはどこなのか、そこには何があるのか、宇宙の果てにたどり着いたらどうなるのか、などの素朴な疑問について宇宙論、物理学の専門家はどのようの語ってるのであろうか。

キーワードはやはりくだんの話をしてくれた先輩のようにビッグバンである。そして宇宙の果てまで想いを馳せるということはそれは観測可能な宇宙の理解があって、さらにその先のことを言うのだという事実。

観測不可能な世界であるから誰も知らないし見たことがない世界である。ですからその分さらに興味をそそられるのです。

そもそも私達が少しばかり勉強し多少の知識を得たとしても答えを知る術はあるのでしょうか。

宇宙には端っこがあるのかないのか、宇宙は有限なのか無限なのかという大きなテーマにぶち当たるのは必然です。それは宇宙のはるかか彼方を考えるうえで、時間との関係性も複雑に絡んでくるからです。

理論的には、観測できる範囲には限りがあるので、そこがわたしたちにとって『宇宙の果て』になるといえます。

光が進むスピードが有限(毎年1光年) であるため、遠くのものを見るときは時間的にも遡ることになります。

長いホースの先から流れる水はほんの少し前に蛇口を出発した水であるように私達が今見れる最古の光は約140億年前、ビッグバンの残り香のような放射線、宇宙マイクロ波背景放射とよばれるものです。

宇宙マイクロ波背景放射は私たちを全方向から取り巻いています。でもこれが物理的な『端』というわけではないようです。

わたしたちに見える宇宙には限界があり、その向こうに何があるのかはわからないというのだ。

実際に見える宇宙の範囲として、観測可能な宇宙と呼んでいる部分もあります。その意味では、宇宙の始まりから私たちのもとへ光が届くまでの時間がなかった場所が『端』になります。

もしかするとその向こうはわたしたちの身の回りで見られるものと同じ超銀河団で、無数の星や惑星が浮かぶ巨大な銀河であるかもしれません。

宇宙の『端』をどう定義するかにもよります。光のスピードが有限であるため、宇宙の果てを見つけようとすると時間を遡ることになりますが、アンドロメダ銀河を見るとき、現在の様子こそわかりませんが、アンドロメダの星が光を放射したのを望遠鏡で観測することができたため、約250万年前に起きていたことはわかります。

わたしたちに見えるもっとも古い光は、もっとも遠いところから届いています。そのため宇宙の果てというのはある意味、わたしたちに届くもっとも古い光のなかに見える何かなのかもしれません。

すなわち、ビッグバン後、かすかに残存する光、宇宙マイクロ波背景放射です。光子が熱い電離プラズマ内の電子間を飛び交うのをやめて地球に流れはじめたことから最終散乱面とよばれていますが、これこそが宇宙の果てだともいえるでしょう。

地球は丸いことは公然の事実ですが、2020年においても宇宙の形について結論は出ておらず、いまだ大きなテーマとなっているそうです。宇宙の形は具体的にどのようなものとして考えられるのか。

1、平らである。

2,球状である 

3,双曲平面である。

とがありますが数学特に幾何学音痴の私ではよくわかりません。

いま、宇宙の果てに何があるのか。その答えは、「私にはわかりません」としか言えません。

何十億年も先の未来まで、光が届くのを待たなくてはならないのです。それに宇宙はますますスピードを上げながら膨張しているので、わたしたちはいまの段階では推測することしかできないのです。

広い意味で私たちの宇宙はどこから見ても同じように見えます。おそらくいま観測可能な宇宙の端から宇宙を見ようとすると、わたしたちがここから見ているのとほぼ同じ宇宙の様子が見えるはずです。

このため、宇宙の果てから見えるものは単純に、より大きな宇宙、銀河、惑星なのだと推測できます。同じような疑問を抱く生命体だって存在するかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?