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勲章

弘化四年十二月二十二日(一八四八年一月二十七日)鹿児島城下に薩摩藩士東郷実友の四男として東郷平八郎は生まれた。

薩英戦争への従軍後、戊辰戦争では春日丸に乗船、新潟箱館と転戦し、阿波沖海戦や箱館戦争、宮古湾海戦で戦う。体型は小柄ではあるが、美男子であった。
 彼を一躍有名にしたのが、強敵ロシアのバルチック艦隊を一方的に破った日本海海戦の指揮をとり勝利したことである。

維新後、東郷は海軍士官として国際法の勉強のため、イギリスへ留学した。この時期の国内不在と習得した知識が、彼の、人生を大きく変えたのであった。
 彼晩年の肖像写真は、胸に幾つかの勲章をつけた堂々たるものである。その栄光の陰に、もしかしたら、という人生の岐路が幾つかあった。もし、イギリス留学がなければ、心酔していた郷土の英雄西郷隆盛に従い城山で自刃していただろう。

第二は、もし国際法の知識がなかったらである。日清戦争の緒戦、防護巡洋艦「浪速」の艦長として、停船の警告に応じない中国の用船で、イギリス商船「高陞号」を撃沈した。

その後の救助活動含め彼の沈着な行動は、国際法に見合う正しい判断として賞賛された。この戦闘は、日本海軍の名声と士気を高め、連合艦隊司令長官に推挙される要因となった。

もしこの時国際法に違反する行為があったなら、司令長官には推挙されていないし、最高位の勲章、大勲位菊花章頸飾(だいくんい きっかしょう けいしょく)で胸元を飾った海軍元帥東郷平八郎はなかった。

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東郷元帥は、ロシアのバルチック艦隊を全滅させた功績により明治天皇から、最高位勲章を叙せられたが、先に述べた「つき」にも恵まれていた。日本海軍が彼を司令官に据えた理由の一つがこの「つき」であった。

日本国は、日本海への世界最強艦隊の襲来という未曾有の国難を彼の「つき」に賭けたのだった。
しかし、この「つき」は、努力と人徳に裏打ちされた彼の真の才能でもあったことを忘れてはならない。

「数々の幸運」を日本にもたらした東郷元帥は、勲章一つでは済まされない歴史上の尊敬すべき人物であった。

次に最近の勲章事情を見てみよう。政府発表によるある年の受勲者は、四千人以上という。うち、女性が四百人弱人、民間人は二千人弱である。某週刊誌で「日本の勲章大研究」さらに特別読み物「旭日大綬章をねらえ!勲章はこうやって手に入れる」という記事が掲載された。

まず、「大研究」の方だが、各種勲章の紹介の後、造幣局における勲章製造を紹介したページがあった。「完璧な美しさと熟練の技を要する勲章製造の世界」の触れ込み。

そうした奥深さも、日本の勲章の魅力であるようだが、一部の高位勲章はともかく、一般的クラスの勲章は、高度な品質を備えているのかは別にして、その美術品的価値は疑問のようだ。

そして、特別読み物「旭日大綬章をねらえ!勲章はこうやって手に入れる」である。

財界人などでは大綬章(勲一等)を得るため、政治力を使ったり上位リストにランクされるためにポイント稼ぎを行ったりするという。

叙勲適齢期(七十歳のこと)を迎えると、本人もまわりも叙勲を意識するので、これがけっこう大変らしい。なかなかの欲望世界である。

勲章がネットオークションで売買されている事情にも触れている。大綬章の相場は五十~八十万円、下のランクの勲章だと数万円で手に入る。マニアの間では、かなりの人気があるというというがどうだろう。

下のランク最下級の勲八等(改正前)くらいなら数千円、ヘタをすれば千円にもならないといわれる。公共の安全とか、生活向上へ貢献した者、ある特定部門の産業や仕事への貢献者がその功績への貢献度に応じ受勲対象者として選考されるが、自分にとっては、千円以下の下位勲章とて高嶺の花である。

しかし、国民にとってのその受勲が最高の栄誉であるべき、文化勲章を辞退した人がいる。

陶芸家、河合寛次郎である。一九五五年文化勲章を辞退し人間国宝、芸術院会員などへの推挙も同様に辞退している。一九五七年には、ミラノ・トリエンナーレ国際工芸展グランプリを受賞するも、無位無冠の陶工とし晩年まで創作活動を行い一九六六年に七十六歳で没した。

京都五条坂の窯場跡は保存され、一度は見学したい美術館となっている。女優杉村春子も、「勲章は最後にもらう賞、自分には大きすぎる。勲章を背負って舞台に上がりたくない、私はまだまだ現役で芝居がしていたいだけ」「戦争中に亡くなった俳優を差し置いてもらうことはできない」との理由で周りの説得も聞かず辞退した。
辞退した人それぞれに素晴らしい理由と生き方があり、感心すること,しきりである。

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大勲位菊花章は、我が国の最高位の勲章であり、明治9年に大勲位菊花大綬章が制定され、明治21年に大勲位菊花章頸飾が制定されました。勲章のデザインは、国旗である「日の丸」を象徴する日章を中心に光線(旭光)を配し、回りに菊花と菊葉を配したもので、鈕※1(章と綬の間にあるもの)には菊花を用いています。また、頸飾は制定の元号である「明」「治」の二字を古篆字※2で飾り、菊花と菊葉が配されています。


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