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山桜

藤沢周平

二十日前微熱が続いた時から大事をとって静養に努めきたが運動不足も重なり体調は今一である。

昼飯を取ればすぐ眠くなりそのせいで夜がなかなか眠れない。Noteに投稿する記事の原案を練ったりPCを悪戯に触ったりして深夜を過ごすのが癖のようになった。

今日も昼食をとった後寝室のベットで横になったが、久しぶりにYoutubeの朗読を聞いてみようと検索していたら藤沢周平の『山桜』がヒットした。

以前田中麗奈・東山紀之主演の映画を見たことがあり、いい映画だったと思い出しイヤレシーバを耳に装着しベツトに身を横たえた。

池山伴湖という女性講釈師の語り口に思わず引きずり込まれ眠気に襲われるどころか最後まで聞いてしまった。最後はピアノのメロディが流れ深い余韻を残したのです。

藤沢周平が描く東北庄内藩がモデルであろうおなじみの架空の藩、海坂藩ゆかりの武士と武家の娘が主人公の話である。全編20ページという短編ながら、武士社会、封建社会の不条理や恋愛、結婚という人生の重大事さえも自分たちの意思通りにいかない当時の男女の切なさが淡々と語られていく。

東北という地味な印象を与える場所が舞台ですから派手な情景描写はありません。その中に誇りや忠義、怒りというのが綿々と流れています。

富める者はますます富み、貧しき者は追いつめられる。こうした政治に対する百姓の怒りや、志ある武士達の怒りというのは、今の世でも通じること。であるからこそ、そのような不条理が読むものをして共感を呼ぶのだろう。

権力者や利権に群がり私腹を肥やす者達、この構図は今も変わらない社会悪である。今後も人間社会が続くかぎりこの種の事柄はあとを絶つことはないだろう。

しかしどんな世でも自分という立場を守り、決して欲張らず、静謐に暮らす人たちはいる。小説に書かれる若き二人や親たちの誠実な生き方がそれである。彼らの生き方や言葉遣いが一服の清涼剤となり深い余韻を残していくのだった。

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春。磯村野江は、独り身のまま亡くなった叔母の墓参りに出向く。なかなか家を出られず、命日には来られなかったが、野江は毎年、叔母の墓参りを欠かさず続けていた。

ちょうど山桜が満開の頃で、野江は桜の枝を手折って持ち帰ろうとする。しかし枝に手が届かず、つまずいて足袋を汚してしまう。野江が足袋を拭いていると、武士の手塚弥一郎が桜の枝を手折って、野江に渡してくれる。

手塚と野江には、以前に縁談の話があり、それを野江が断っていた。野江はそれを思い出し、手塚に詫びる。手塚は眩しそうに野江を見て、去り際に“今はお幸せでござろうな”と野江に問う。野江が“はい”と答えると、手塚は安心した顔で去っていく。

野江は実家の浦井の家に寄り、先ほどの桜を活ける。母親の瑞江から、手塚がまだ嫁をもらっていないという話を聞き、野江は不思議に思う。わずかな言葉を交わしただけだが、野江は手塚の誠実な人柄に触れ、密かに胸をときめかしていた。

夕刻、野江は暗い顔をして磯村の家へ帰っていく。途中まで送った弟の新之助は、手塚に剣術を習っており、その人柄に惚れ込んでいた。新之助は、なぜ手塚との縁談を断ったのか野江に聞いてみる。野江は、“自分に剣の使い手の嫁は務まらないと思った”と答える。新之助は、不幸そうな姉を心配し、浦井の家に戻るよう勧めてみる。しかし野江は、出戻りの姉がいたのでは、弟や妹の縁談に差し支えると考えていた。

磯村の両親は金にうるさい冷酷な人間で、嫁の野江を使用人のように扱っていた。夫の庄左衛門も金の話ばかりしており、野江は辛い日々を送っていた。野江は、庄左衛門との接触を拒み続けており、庄左衛門は苛立ちを募らせる。

翌日、野江は昨日汚した足袋を洗濯しながら、また手塚のことを思い出していた。憂鬱なことばかりが続く日々の中で、手塚の存在は、野江の心の支えになっていく。

藩の仕事とは別に、アコギな高利貸しで金を稼いでいる庄左衛門は、最近羽振りの良い諏訪という重臣に取り入り、金を預けてもらおうと企んでいた。諏訪は譜代の家柄を利用して、藩の農政を自分の都合良く仕切り、大百姓からの賄賂で、私服を肥やしていた。諏訪は、おこぼれに預かろうという取り巻きの接待で、連日お大尽遊びを続けていた。

藩では、3年前の凶作以来、食うのにも困っている農民が増えていた。しかし諏訪は、さらに新田を開拓し、旧来の田んぼからは年貢を引き上げる法案を出す。この法案で潤うのは金持ちだけで、開墾に駆り出される農民は、さらに貧しくなってしまう。諏訪は農民が泣く泣く手放した潰れ田をタダ同然で我が物にし、大百姓へ回していた。

良心ある家臣の米倉は、諏訪の法案に大反対するが、重臣たちは聞く耳を持たない。農民たちもお城へ出向いて、必死でこの窮状を訴えるが、適当に追い払われてしまう。

米倉は江戸にいる殿に実情を知らせるため、磯貝という部下に書状を託し、密かに江戸へ向かわせる。しかし磯貝は何者かに襲われ、極秘で始末される。

手塚は農地を視察した際、五助の娘のさよに自分の握り飯を譲ってやる。最初は遠慮していたさよも、優しそうな手塚を見て安心し、握り飯にかぶりつく。五助の家では、子供のさよや年寄りに食べさせる米さえなかった。

映画『山桜』のあらすじ【転】
秋。磯貝の行方は未だにわからず、諏訪の手の者が暗殺したのではないかという噂が広まっていた。しかし、諏訪に遠慮して、誰もそれを公にしようとしない。

今年も長雨が続き、米は不作だった。五助は、取り立ての厳しくなった年貢米が払えず、罰として田んぼを取り上げられてしまう。栄養失調のため衰弱していた年寄りとさよは亡くなり、五助は絶望する。

農地の見回りに来た手塚は、粗末な墓に手を合わせている五助と遭遇する。大小2つの墓には、“うめ”と“さよ”と記されており、手塚はあの子が亡くなったことを知る。ずっとこの事態を静観してきた手塚は、独りで物思いに耽る。

道を歩いていると下駄の鼻緒が切れてしまい、野江は胸騒ぎに襲われる。その頃手塚は、城内を歩く諏訪と取り巻きの前に立ちはだかり、刀を抜いていた。手塚は取り巻き連中を峰打ちで倒し、刀を抜いた諏訪と睨み合う。手塚は迷うことなく諏訪を斬り捨て、自ら大目付の屋敷まで歩く。そんな手塚に、米倉が深々と頭をさげる。

手塚のとった行動は大きな波紋を呼び、城内は大騒ぎとなる。大事な後ろ盾を失った庄左衛門は、不機嫌な顔をして帰ってくる。庄左衛門から事件のあらましを聞いた野江は、手塚がどうなったのかを心配する。城内では、手塚の切腹は免れないだろうと言われていた。

庄左衛門は、何の得もないのに諏訪を斬った手塚を嘲笑う。野江は庄左衛門の腐った性根を心底軽蔑し、“言葉を慎みなさいまし”と言ってしまう。庄左衛門は激昂し、野江に刀を向ける。

仲裁に入った磯村の母は、野江にこの家から出ていくよう命じる。野江は黙って荷造りをし、翌朝ひっそりと磯村の家を去る。

実家へ戻って来た野江を見て、瑞江は全てを察する。しかし野江を問い詰めるようなことはしない。

冬。手塚はずっと牢の中で、裁きが下るのを待っていた。手塚は何一つ申し開きをせず、どんな裁きも受ける覚悟を決めていた。

年が明け、浦井の家では家族揃って新年を祝う。しかし、牢にいる手塚のことを想うと、野江の心は沈むのだった。野江は神社に通いつめ、手塚の無事を祈り続ける。

野江は弟や妹のことを考え、家を出て自活すると言い出す。瑞江は、“心から幸せになれる道を見つけた時に出ればいい”と言うが、野江はもうそんなことはないと感じていた。

事件から四ヶ月が過ぎても、手塚の裁きは決まらない。手塚の犯した罪は、城内での刃傷沙汰という重罪ではあったが、そのおかげで農民は救われた。世論は手塚に味方しており、藩も簡単に手塚の処分を決められずにいた。そこで、来月帰ってくる殿に、全ての判断を任せることにする。

雪が溶け、再び春がくる。野江は、ひとりぼっちの手塚の母のことが気になっていたが、顔を合わせる勇気が出ない。

桜の頃。野江は瑞江と叔母の墓参りへ行き、叔母が独身だったのは、結婚を決めた人が亡くなったからだと知る。野江は、叔母の人生を羨ましく感じる。瑞江は、浮かない様子の野江に、“あなたは少し回り道をしているだけ”と言ってやる。

瑞江の言葉に背中を押され、野江は桜の枝を持って、手塚の母を訪ねる。手塚の母はとても優しい女性で、野江の来訪を心から喜んでくれる。あの事件があって、この家を訪ねたのは野江が初めてだと聞き、野江は胸が詰まる。

野江はそれからも手塚の母を度々訪ね、親交を深めていく。手塚は牢の中から桜を眺め、野江のことを想う。手塚の裁きが下るのは、もうすぐだった。

以上MIHOシネマの記事より転載した。



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