ひかりあてられしもの 2
序章1、中世ヨーロッパにおけるキリスト教より続く。写真は、マルチン・ルター
先ずキリスト教史を世界史の中世というくくりで分ければそれは通常4世紀から15世紀にわたる千年以上もの長い期間をさす。
中世におけるキリスト教の展開はきわめて複雑で、主に三つの時代に分けられよう。
第1期は4世紀から10世紀にかけて、キリスト教の伝播時代である。地中海周辺に限られていたキリスト教が、アルプスを越えて全ヨーロッパに広がったのだ。
第2期は11世紀から13世紀の最盛期で、教会の指導カが絶頂に達し、学問、建築、修道院など多岐にわたってキリスト教文化が咲き誇った時期である。
第3期は14世紀から15世紀の衰退期で、キリスト教によるヨーロッパ統一も解体に向かい始め、さらに次の宗教改革の時代につながっていく時期である。
文献参考:カソリック中央協議会
序章2、宗教改革
16世紀初頭、ドイツでマルティン・ルターが免罪符(罪のゆるしを与える寄付への代行として信者へ与えた証文)の問題を提起すると、神学的な問題から政治的な問題へと発展することになった。
これが宗教改革の始まりとなったのです。宗教改革によってカトリック教会が唯一のキリスト教であった西欧はさまざまな教派に分かれていくことになる。
ルターの訴えた教会改革はやがてドイツ諸侯の争いとからんで政治問題化、ルターは期せずして新しい教派を創始することになる。
こうして「プロテスタント」と呼ばれる諸教会が生まれた。同じころフランスのジャン・カルヴァンも、二重予定説を唱え長老制に基づく教会をたてて、ジュネーヴを拠点に宗教改革を指導した。
次第に勢力を拡大していくプロテスタントに対抗するためカトリックも手をこまねいてばかりではなく様々な改革を着手した。
その一つの動きがイグナチオ・ロヨラの率いたイエズス会の発足である、ヨーロッパ各地の再宣教と並行して、大航海時代に連動するようにアジア、アフリカ、アメリカへと多くの宣教師を送った。
こうしてその設立メンバーの一人、フランシスコ・ザビエルが1549年に鹿児島に到着、キリスト教が日本にもたらされることになった。
世界布教を目指したイエズス会は初期には、日本や中国をはじめ、世界各地でその地域の文化や伝統を尊重する政策をとったため、多くの信徒を獲得することに成功したのであった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?