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小泉八雲の生涯ー12、最終章

焼津時代4

小さな入江に沿って弧を描く焼津の静かな漁師町は、いつも閑散としていた。避暑客おろか海水浴客もほとんど見つけられない海岸であるから、人の往来はまばらだったのだ。

入江の向うには、箱根連山に連なる山を々睥睨するように孤高の富士山が端然とその姿を際立たせ、静岡市の日本平から伊豆半島が鳥が羽を広げたようにこの入り江を包み込んでいるのだ。

しかし海は荒かった。なぜならば、この海岸は岸を離れるとすぐに世界でも最高深度の一つである日本海溝にそのまま落ち込んでおり太平洋上で起こった小さな波が深い海を渡るにつれどんどん増幅され豪快な波となって打ち寄せるからなのだ。防波堤と海の間の細い浜辺の砂は強い波でどこかに飛ばされ玉砂利のみで埋め尽くされていた。。

住宅地を守るため石垣を積み重ねた長い堤防が築かれ高波から住民の命を守っている。

白っぽい荒磯と石垣、風雨に晒された家並み、灰色の瓦屋根。焼津は「日が力ッと差すと、くすんだ色合いに不思議な風情が出る街」と八雲は随筆『焼津にて』に書いている。

ここでの見聞では「漂流」「海のほとり」「乙吉のだるま」に記されているが、焼津の海がいかに八雲(ハーン)にとって重要な想念の場であったかは「焼津にて」「夜光るもの」などの観想的な随筆を通して知ることができる。

原文ー月なき無窮の夜空に、あまたの星がきらめいて、横たわる天の河も、ひときわさんざめいている。風は凪《な》いでいるが、海はざわめいている。見渡せば、ざあと一つまた一つ押し寄せて来る小浪《さざなみ》が、皆火のように燦《きら》めいている。黄泉《よみ》の国の美しさもこのようではなかろうかと思うばかりである。真《ほんとう》に夢のようである。小浪の浪間《なみま》は漆黒であるが、波の穂は金色《こんじき》を帯びて浮び漂っている――そのまばゆさに驚かされるほどだ。たゆげに寄せる浪は、ことごとく蝋燭《ろうそく》の炎に似て黄色《おうしょく》に光っている。なかに深紅に、また青く、今また黄橙《オレンジ》色に、はては翠玉《エメラルド》色を放つものがある。黄色に光っている浪のうねりの揺蕩《たゆとう》は、大海原の波動の故ではなくて、何かあまたの意思が働いているように思われる――意識を持っており、かつ巨大にして漂っているもの――あの、暗い冥界《めいかい》に棲むドラゴンが群れなしてひしめき合い、繰り返し身もだえしているのに似ている。
 実は、この壮麗な不知火《しらぬい》の輝きを作っているのは生命である。――ごく小さな生命ではあるが、霊的な繊細さを持っている――この生命は無限とはいえ、はかないものである。この小さきものは、水平線まで続く潮路の上を流離《さすらい》ながら、弛《たゆ》みなく変化して、今を生きようとかつ燃えかつ消えゆくのである。さらに、はるか水平線の上では、他《ほか》の億万の光が別の色を脈打ちつつ、底知れぬ深い淵へと往き失《う》せてゆく。

 この奇《くす》しき様を眺めて、私は言葉なく瞑想する。「夜」と「海」のおびただしい燦《きら》めきの中に、究極の霊が現われたのではないかと思った――私の上には、消滅した過去が凄まじいほど融解しては輝くという秩序《システム》の中で、再び存在しようとする生命の霊気とともに、蘇《よみが》えっている。私の下では、流星群がほとばしり、また星座や冷たい光の星雲となって活気づいている――やがて私は思い至った――恒星と惑星の幾百万年という歳月も、万象の流転の中では、一匹の死にかけた夜光虫の一瞬の閃光に優《すぐ》る意味を持つだろうか、と。
 この疑念が湧いて、私の考えは変わった。もはや炎の明滅する、古《いにしえ》の東洋の海を望んでいるのではない。私が観ているのは、さながら海の広さと深さ、それに高さとが「永遠の死の闇」と一体となったあの「ノアの洪水」――言い換えるなら、寄るべき岸辺なく、刻むべき時間《とき》もない「死」と「生」の「蒼海《わだつみ》」である。かくして、恒星の何百光年もの輝ける霞《かすみ》である――天の河の架け橋――も、「無限の波動」の中にあっては、燻《くす》ぶった一個の波にすぎない。

 けれど、私の胸の底にあのささやきをまた聞いた。私はもはや恒星の霞状の波を見てはいない。ただ、生きている闇を観ているだけである。それは無限に瞬《またた》いて、流れ込んできては、私の廻りをゆらゆら震えるように行き去ってゆく。燦《きら》めきというきらめきが、沸々として心臓のように鼓動している――夜光虫が発光する色合を打ち出している。やがて、これら輝いているもの皆、たえず明滅している光の撚《よ》り糸のようであり、果てしなき「神秘」の中へと流れ出している……。
 あゝ、私も夜光虫の一匹《ひとつ》である――無量の流れの中にはかなくも漂う、燐光体の一閃光《ひとつ》である、と悟った――私が発する光は、私の思惟が変わるにつれて色合いを変えているようだ。時に深紅《ルビー》色に、時に青玉《サファイア》色に瞬《またた》く。今は黄玉《トパーズ》色の炎、さらには翠玉《エメラルド》色の炎に移り変わっている。この変化が何のためであるかは知らないけれど、地上の生命《いのち》の思惟は、おおかたは赤い色となるようだ。他方、天界の存在は――霊的なる美および霊的至福のいずれも備えていて――、その思惟は青色と紫色とが趣《おもむき》深く燃えて、変化の妙を極めている。

 しかし、現世《うつしよ》のどこにも白い光を見ないのは、不思議である。
 すると、どこからともなく「天の声」が聞こえきて、語った――。
「白き光は高貴な存在《もの》の光なり。夫《そ》れ何十億もの光を融け合わせて作られん。白き光の輝きに奉仕するのが汝の役目なり。汝の燃える色こそ、汝の価値なり。汝の生きるはその一瞬なれども、汝の鼓動の光は生き続けん。汝の思惟によりて輝けるその刹那、汝は有り難くも「神々を作る者」の一人とならん。」

解説、夜に行われる精霊送りに備え遅い午睡をとった八雲は夜遅くまで眠ってしまった。目覚めて急いで出かけた時には、海岸には人はおらず五色の光の帯になった灯籠のみが沖に向かって流れ、漆黒の海面に灯籠の灯りがつながり周囲には、死者の霊魂のような夜光中の発光がまとわりついたとても幻想的光景が創りだされていた。焼津の海岸は波打ち際の直ぐ先が駿河トラフに落ち込む深い崖をなすため波が荒く、その海で泳ぎをおぼえた土地の者は泳ぎが上手であった。しかし、盆には決して海に入らない。

何故ならば盆の海は死者の霊が充満し泳ぐ人間の足を引っ張り海中に引きずり込むとの伝承があったからである。八雲が服を脱ぎ海に入ろうとしたとき心配してついてきた下宿の主人山口乙吉は当然のごとく制止した。が、その手を振り払うように灯籠の灯りを追って海に入り泳ぎ出した。故郷のアイルランドや世界の海を経験した泳ぎ達者な八雲といえども焼津生まれの乙吉は今まさにあの世に帰ろうとする霊が彼を海中に引きずり込むのではと心配したのであった。

そんな乙吉の心配をよそに漆黒の海は静かで一面に夜光虫が美しく光っている。無数の微細な生命の光である。その中に五色の色を帯びた灯籠の群が溶け込む。交じり合い揺れ動くこの『夜光るもの』たちの美しい幻のような空間に身を浸し仰向けに波間に漂う八雲の観想が語られていく。


静かな闇の中、見渡す限りの海に火と燃える燐光がさざ波を打ちながら空の果てに接し、その上の虚空には星屑が沸き立ち、幾億千万の恒星の明かりが様々な色で脈々と微光を放つ。そして両者は八雲の視界の中で渾然一体となる。もはや現実の海はない、闇に光の微粒子が満ち、ついには八雲自身も夜光虫の一点となり発光した。

夜光虫の光に誘発された彼の潜在意識も一つの発光体と化し、この海は時間的永遠と空間的無限の交差する「只ならぬ日常」の只中の海となった。彼自身の潜在意識の波動は様々な光となり天空に放射される。

それら混然と一体となって闇に満ちる億千万光の微粒子の光に白色光が無いのを八雲は訝る。何故ならば、その白色光こそが輪廻転生する命の色であり、その視覚的映像は実在への気付きともいえる宗教的回心の象徴であったからなのだ。八雲にとってひとつの幻視のように、壮大な宇宙空間を思わせる映像が見えてきていたのだろう。


八雲晩年の世界観は、夜光虫のような極限小の極みから広大な無限の果てへと過去の最奥から未来の彼方へ突き抜ける輪廻の輪をめぐりメビウスの輪をめぐっての一気に位相転換する運動の力強いダイナミズムにあるといえる。それは時間と空間の両イメージが相互浸透し、壮大な宇宙の生成流転のリズムが躍動する豊穣な精神世界なのである。(牧野陽子)。


八雲の心の動きにつれて閃く色が赤から青、緑、董色と変わる。まわりの光も様々な色を見せる。しかし、白い色だけが未だ見当たらない。いぶかしむ八雲に一つの声が答える。「白い色は最高位を表すものだ。億兆の光を混ぜてそれはつくられる。お前の役目はそれが燃えさかるのを手伝うことにある……お前の活動はほんの一瞬のもの。

しかし、お前の脈動する光はいきつづける。お前は物を思うことで、思いの色が輝く瞬間に、おおけなく(恐れ多くも)も神々をつくる者の一人になるのだ」。この形而上的な言葉をもって八雲の観想は究極に達し、閉じられる。

幾億兆の多彩な色の微粒子の融合によって造られる色は、まさに八雲の意識が、海面にきらめく微細な光の点に同化しつつ収縮し、次いで一気に広大無辺の宇宙空間へと引き上げられることを意味する。


無限小から無限大へのダイナミックな転回運動として心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、浄化されていくこと現しているのだろう。「夜光るもの」に描かれた光の幻想は、八雲の見た最も象徴的な白昼夢のような夢であり宗教的悟りであった。

西洋的価値観の基本は神の実在に根差す二元論である。東洋ではこの二元論を否定し物事が分別される前から思考を開始する。
宇宙は本来存在するものでありこれを創造したとする神を認めない。

全てを相依的存在とするのが東洋思想を代表する仏教の基本である。多神教の文化を持つアイルランド人の父とギリシャ神話の国に生まれた母親を両親とする八雲にはキリスト教の創造論は馴染めず神と仏の国、日本での「山川草木悉有仏性―自然界の全ての存在は真理の現れ」とする仏教に深い関心を持った。

ことに興味を寄せた禅仏教では言語による理論は退けられます。これらは、教外別伝とか不立文字といわれ、代わりに映像的な情感や詩的な創造性が大事にされるのです。

これは、人間の心が万物を創造し、私達が意識を変えることで世界を変えること、つまりはこの世界は人間の心によってのみ存在するということからなのです。

私たちの素粒子レベルでの生命活動では常にランダムに動いている一つ一つの粒子が時には、全体として統一な方向にふるまう自己組織化という意志のようなものが働いている。

大乗仏教の唯識論も人の無意識層は繋がっていて、いくつかの「種子」で連携されているとする。この種子こそ万有を成立せしめる可能力を備えた現代物理学での物質の究極存在、電子や陽子等の粒子に他なりません。

「私に意志は存在する」は経験的に紛れもない事実です。ならば、電子や陽子や中性子にも、意志が存在しなければなりません。「私」は、電子と陽子と中性子で構成された粒子以外の何物でもないからです。意志は意思で意識であり実存そのものです。

ですから仏教では意識を唯識という言葉に集約し人の深淵なる内的宇宙観を作り上げていくのです。それが空とか無と呼ばれるものですが自分を実存として人間であるという事実に目覚めさせるのが仏教の本来的目的なのです。「自分は究極、粒子であり光でもあり意識である」この事実が『夜光るもの』に描かれた映像詩のような難解な表現となったのだろう。

極限小の夜光虫に自身の生命の記憶を重ねるその「思い」は、宇宙的無限大へと転回運動を遂げる。それは、迷いの境界から脱する解脱と「業」の呪縛や輪廻からの解放なのである。

億兆の「思い」の融合により作り出される「思いの色」が輝く瞬間への収束は、輪廻解脱のイメージなのです。涅槃の境地とは迷いを脱し神仏との融合の自覚を得ることである。このよう稀有な体験こそ日常大事にしたこの作家の霊感の賜であった。焼津でのこのような霊的体験は『漂流』『海のほとり』『乙吉の達磨さん』等、晩年の傑作といわれる随筆執筆の原動力となった。

焼津の海がいかに八雲にとって重要な想念の場であったかは、このような観想的な随筆を通して知ることができる。

焼津では、盆を過ぎる頃、海は決まって荒れる。そんな夜、八雲は眠れない。打ち上げては砕け散る大海のうねりが体を包むような気がする。そしてまんじともせずに激しい涛声に耳をすましていると、いつしか子供の頃海の音に聞き入っていた時の不思議な気持が思い出されてきた。

その後の人生の様々な場面で出会った世界の各地の海の光景と波の音も次々と脳裏をよぎっていった。八雲は自分が愛し飼っていた米粒にも満たない日本の草雲雀と呼ばれるコウロギの歌を熱心に聞いたように怒濤の声にも耳を傾ける。いつしか海の声は心の中に壮大な交響曲と化して響き渡っていた。

草雲雀の奏でる音楽を聞き入った時、八雲はこの音楽を賞しこのように言っていた。「彼らの奏でるものは、神々の耳に届くころには完全に調和のとれた美しい天上の音楽となっている。

ある意味では私たち自身が神々のようなもの、数限り無い過去の生者たちの痛みと喜びの総和が妙なる音楽のハーモニーとメロディーとなって私達の回りに行き交い、そし丁度それと同じように、私たちが生きた喜びと悲しみは、百万年も後に、もっと豊かな音楽となって他の人々の心に入ってゆくだろう。」「人生には、今までただ朧気にわかっていた真理が忽然として明確な性質を帯びてくるというような時があるものだ。

先頃駿河の海岸にいたときの私がそうだった。……私はそれまで自分でも分からずにいた自分の魂という不思議なものを、初めて悟りえたような心持がした。自分の魂は過去の世の様々な物のなかに生きてきたのだ、また自分の魂は未来の生存物の目を通して、この景色を見るに違いないということを、その時悟ったような気がした。」

八雲は焼津の海で啓示を得た。「自分が過去の世の様々な物のなかに生きてきたことの自覚がアイデンティティの確認であるとすれば、「未来の生存物の目で同じ景色を見るに違いない」という永遠なる命の実感こそが彼自身の究極の救いなのです。『夜光るもの』で述べた宗教的回心とはこのことである。

この啓示を視覚的に映像化したのが燐光輝く夜の海の遊泳の体験をもとにした『夜光るもの』であり、聴覚的な幻想で捉えたのが嵐の夜の海の音楽を論じた『焼津にて』であった。

乙吉のだるま https://note.com/rokurou0313/n/nea09ca50c8c7/edit

    


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