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縄文 3

実用的土器から装飾的土器の出現

約5000年前ぐらい前、縄文時代中期からは、より「実用性を超えた美」が感じられる土器が出現するようになる。
例えれば水煙文土器、火焔型土器である

中期までの土器は、縄や竹を押し当てて表面をへこませて文様を描いたものが主だったが、中期に入ると、表面をへこませるのではなく、土器の表面に粘土を盛ることで文様をつけるものが出現してきたのだ。

装飾が華美というかハデになったのは土器が保存・調理だけでなく、祭祀に使われるようになったことが背景にあったのだろう。

宗教や祈りにはそれを賛美荘厳するために美術的要素が加わってくるのは洋の東西を問わず普遍的なことである。

祭祀に使われたと言えば、「土偶」も縄文時代の美術の代表と言えるだろう。

日本には太古から日頃の汚れや不幸を人に似せた形代に移し潔斎する習慣があった。その原初的形態が、人をかたどった土人形の土偶なのだろう。

考古学では、定義が曖昧ではあるが、一般的には人をかたどったものを土偶と言い、物や他の動物をかたどった物は土製品(どせいひん)と呼ばれる。

土偶は最初、胴体のみの簡易なものが多かったが、その後、手足が付くようになり、最終的には二本足で自立するようになった。

縄文時代の人の寿命は30歳前後と思われる。平均寿命が短いのは生まれて直ぐに亡くなる赤子が多かったのだろう。
子育てや出産は部落の女性が共同で助け合った。土偶で女性の胸や腰を強調した形が多いのは安産や多産を祈ったからである。

女性の生殖器を強調する以外の土偶、例えて遮光器土偶は片脚が無いのが特徴だ。この種の土偶は完全な状態で出土されることが珍しく故意に壊したと推定される。

故意に壊すとは、豊作を祈るために、土偶をバラバラにして農地に埋めたからだと言われている。

旧石器時代までおこなわれていた狩りは男性主体の行動であり、使う石器も、古代の人々にとって生命をいただく男性を象徴するものであった。
縄文時代に始まった栽培採集農作に伴って使われるようになった土器は、生命をはぐくむ女性的なものだったのだろう。

農作自体が女性的な営みだから女性の姿をかたどった土偶が多くなり、また土偶を農地に埋める儀式をおこなったいたと考えられる。それが現代に至って掘り起こされているのだろう。

私は過って豊かな自然の残る八ヶ岳山麓や山々へ良く登山に出掛けた。そこには平和に暮らしていただろう縄文人の遺跡が点在している。

そこから発掘された代表的遺物が、

発掘当時の国宝仮面の女神 茅野市HPより

国宝「土偶」(縄文のビーナス)と国宝「土偶」(仮面の女神)である。

隣り合って並ぶ二つの国宝ビーナス 茅野市尖考古館

ほぼ完全な姿で発掘されたこれらの土偶の実物を目の当たりにすると、当時の情景や、つくった人の想いが想像させられる。
数千年のときを経てなお、この美しい姿を見れば、縄文時代の精神世界に手が届くようだ。

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