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縄文 2

縄文縄目文様日本の美術はここから始まったのだろう。

縄文以前は旧石器時代、旧石器時代の日本でヨーロッパのような洞窟壁画とかが見つかっていない。となると、やっぱり縄文時代に出てきた土器とかが日本最古の美術品ということになる。

美術品の定義は難しい。美術品かどうかの明確な違いは存在しないのだ。
日本に於いて縄文時代に作られたものがいわゆる美術品と評価されだしたのが彼の太陽の塔製作者の岡本太郎氏が1952年に現代美術の観点で縄文土器を評価する論評を著したことで、縄文土器が美術品として評価される風潮がでてきた。
近代でも柳宗悦の民芸論が出て民芸品の評価が変わったように、万人が納得する普遍的な美的価値を定義するのは難しいという事なのだ。

実用性を超えた美的な表現が美術と定義すれば例えば、旧石器時代の石器の場合、石器はあくまで狩猟のためのものだから、これは実用的な価値しかないと言えるのだろう。

一方の縄文土器の場合を見てみよう。
最初こそ、保存・調理等に使用する実用的な道具に過ぎなかったが、
徐々に実用性を超えた装飾が施されるようになってきた。

定義通り実用性と関係の無い装飾の登場が、日本美術の始まりって考えれば現代の縄文文化とか美術への関心の高まりへの理解がしやすいのだろう。

先ずは、縄文土器についての必要性を時代に連れてみてみよう。土器を作るようになったのは、地球の気候が温暖になったことが大きく関わっている。

氷河時代の旧石器時代は寒冷で、日本には現在ほど植物が生い茂っていなかった。氷河時代を脱すると日本の山野は暖かくなり、自然がどんどん豊かになってきた。

その環境変化は食糧調達の手段を変えた。危険で不確定な大型動物を狩る生活から解放され木の実などを採集する安定的な採集生活に変わったのだ。

移動せずとも食物を得られるようになり、原日本人は定住をし始めた。
だいたい1万〜1万5000年くらい前の話だろう。

大きな変化が原日本人の生活を変化せしめた。生活は安全さが増し、採集された食糧の保存したり調理したりするときに使う道具が必要になったきた。
そこで、必然として登場したのが土器だった。

ちなみに、土器自体は世界中で作られているが、日本を含め東アジアが土器誕生の世界最古と言われている。最近世界最古の土器が日本で発見され上記の仮説が真実味を帯びてきた。

世界最古の土器は「九州の福井洞窟」で発見された隆線文土器だといわれています。

世界最古の土器は、「九州の福井洞窟」から

1万2000年~1万3000年ほど前のもので、のちの縄文式土器の原型だと考えられています。

私のような素人が古代史を考える上で、この土器がいつ使われるようになったのかは、非常に重要なことなのです。

なぜ粘土でできた単なる「入れ物」がそんなに重要かというと、先ほどから言っているように、原日本人、即ち私たちの遠い祖先である古代人の食生活を飛躍的に豊かにし、生活スタイルまでを変えるきっかけになったからなのだ。
世界最古の土器を私たちの祖先が作っていたなんてすばらしいと思いませんか

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