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この世の不幸も仮想現実か

人間が観察した時と、していない時とで、それぞれ実験結果が異なったという、かの有名なスリット実験。

この結果が仮に事実であるなら、明らかに何者かの意思か、あるいはそれに代わる何かしらの思考が介在しているとしか言わざるを得ません。

この世界が作り上げられた確率を問えば、チンパンジーに適当にPCのキーボードを打たせてシェイクスピアの作品が書き上がってしまうくらいの確率、ようするに不可能に近い確率だろう。

しかし、身近にあるこの世界、何と素晴らしい調和に満ちているだろうか。

月や太陽があり、我々が生存可能な環境があり苦しさもあるが生きる様々な喜びや感動もある。

太陽からのなんとも微妙な位置が確保され、大量の水に大気の濃度に酸素に二酸化炭素の絶妙な比率。

どれか一つでもバランスが崩れていたら、私がこの世に生きたという記録もなかったでしょう。

そんなほとんど奇跡と呼んでもいいくらいの確率の惑星が当たり前のように存在してる。こんな都合の良い世界がどうしてここにあるのか不思議中の不思議。

これは全知全能の神の予定調和とも巨大コンピュータによる演算された仮想現実ともいわれる。

しかし、誰かがつぶやくように、これって余りにも出来すぎてるし都合がよすぎると思いませんかとなる。

スリット実験を拡大解釈すれば、素粒子は人間が見たときに「物質」として確定する。
つまり、素粒子で作られている万物は、人間の観測、つまり人間の「意識」が注がれたときに物質化するということだ。

逆説的には人間の意識が介入していないときは、万物は波動であり非物質なのです。

つまり「人間こそが万物に影響を与えている創造主の下の階層」であると言えなくもない。「人間があって万物がある」という事は観測や、思考によって決定され後のプロセスはテレビゲームのようにシミュレーションされたそのものだ。

平和か戦争か。今世界の不安、戦争はある意味狂気の指導者の思考によって決定される。その後狂気のプロセスは当然の帰結として不幸のシュミレーション通りに進む。
本来の世界は調和に満ちた世界であるのに関わらず、最高位の演算者の意志に反する選択が行われれば生命への冒涜そのままに世界がシナリオ化する。

人間に自由意志があるとすれば運動力学が示すように今の状態が決定されれば世界は未来の状態を知ることができる。
現在の状態から未来の全てを計算し予測することができるのだ。そのため、「ラプラスの悪魔」は、世界でこれから起こること全てを知っている。
しかしシュミレーション仮説では未来は予想できなく決まっていないといいます。

スリット実験では、電子を条件を揃えて幾度となく発射しても電子の動きはどうしても確定しないのです。
要は「ラプラスの悪魔」は居ず人の自由意志決定論は復活したのです。

また現代の脳科学の進化でこのような事実が解明されてます。
脳の電位信号を測定し手足を動かす運動を測定した結果
①脳が手首を動かすための電気信号を出す
②手首を動かそうと意識する
③手首が実際に動く

という順番になったのです。手首を動かそうと意識するより前に、脳から手首を動かすための電気信号が出ていたのです。これはいったいどういうことでしょうか。

手首を動かそうと人が意識する前に、すでに手首が動くことは決まっていた、ということになります。
手首を動かそうと意識したから手首が動いたのではない、ということです。

当然自由意志はないという結果と思われましたがそのような決定が行われる瞬間には首を動かすことを拒否するための短い時間が残されていて、その時間内で、人間は自分の意志で行動を止めることができる。だから人間に自由意志はあるのだと解釈し直されたようです。

このテーマの奥には、自由意志はある/ない、といった単純な話ではなく、もっと深い根本的な何かが潜んでいるのだろう。だれも予想できないような、そんな結末に向かってこれから先、進んで行くのではないかと識者は言います。

また話を戻します。
もし私たちがシュミレーション世界のプレーヤーであったとします。そこには私の自由意志はありません。

しかし、このゲームの内容に疑問を抱いたり疑問を解消したいと思ったらどうでしょう?。

例えば前項の戦争のことです。
その謎を解決するために私は、これが仮想現実であるということを証明できなければなりません。

そして最後にはこの世界をシュミレートするプロブラマーである創造主とコンタクトせねばなりません。
すべてが理解できた暁には不幸な結果が分かっているのにこの戦争ゲームをやらせる創造主に対しゲーマーである私はゲームの断念を主張出来るのかもしれません。





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