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フジキセキ

 
 このところ、トレンドにフジキセキの名前がよく出ています。死亡したのかと思ったけど、フジキセキはすでに死亡している。では生き返ったのかと思ったが、どうやらそうらしい。ただそれはリアルではなく、【ウマ娘】で、ということで。
 
 新キャラとして、生まれ変わったもようです。うれしいことです。名馬が、後々まで知られることになる。関係者もよろこんでいるのではないでしょうか。フジキセキの主戦ジョッキーは調教師として現在活躍中で、デビュー戦で乗ったジョッキーも、間もなく調教師になります。ということで、まだまだ競馬界で活躍中。
 
 フジキセキは名馬でした。ただ、名馬だったよと語るにはあまりに実績が少なすぎます。衝撃のデビューアルバムだけ出して解散してしまったバンドみたいな感じ。「あのまま続けていたら」、と考えさせるような実績です。
 
 フジキセキが走ったレースはたったの4戦(4勝)。しかも、3歳の3月まで。クラシックには1つも出走せずに引退。同じく【ウマ娘】で名を残す未完の大器マルゼンスキーでさえ、3歳の夏まで走っているというのに。こちらは8戦(8勝)。
 
 逆に言えば、たったの4戦だけで名馬として名を残すのだからすごい。その走りがどれだけ衝撃を与えたか分かるというものです。
 
 フジキセキのデビュー戦は2歳時ローカル開催での8月。新潟競馬場。意外にも2番人気で、主戦の角田は小倉に留まっていて鞍上は蛯名。こういったことから、桁違いの期待というものは背負ってなかったように感じます。その当日、角田が小倉でどうしても乗りたい馬があったのかと調べてみましたが、角田の騎乗馬にさほどすごそうなのは見当たらない。新馬戦と特別戦では1番人気に乗っていますが、2つとも2着に負けています。メインレースは5番人気馬で6着。この日に勝ったのはアラブ戦だけ。それならフジキセキのデビュー戦に行けばいいのに! と思わせるような成績です。
 当のフジキセキは新潟新馬を蛯名を背に、1番人気に8馬身の差をつけて勝利。単勝2.9倍がおいしく感じるような圧勝劇。この時負けたシェルクイーンは次のレースを1.4倍の大本命で勝っています。
 
 2戦目は10月の阪神で、鞍上は角田。ここも楽勝。
 着差はさほどでもなかったですが、2着はのちのダービー馬、タヤスツヨシ。格付けを済ました、というようなレースでした。
 
 3戦目は暮れの朝日杯。ここも話題の素質馬、武豊のスキーキャプテンに競り勝ってGⅠ勝利。このレースはレベルの高い一戦で、1着から5着の馬まで、この朝日杯前後で重賞ウイナーになっている。
 
 この世代のクラシック候補筆頭となったフジキセキが、3歳になって初戦に選んだのが「弥生賞」。GⅡですが、その年のクラシックを占うには重要なレースです。ぼくの競馬小説、『アイドルジョッキー弥生は1番人気!!でGⅠレースを勝てるのか!?』ではこの弥生賞から書き出し、負けさせています。そして、「素質馬でもそう簡単に勝つことはできない」ということを読み手に印象付けています。
 でも、素質馬フジキセキはここもあっさり勝ちます。この時の相手も強く、2着馬は、古馬になって重傷を2つ勝ちます。


 いずれも強い馬を負かしたフジキセキは、ここで引退となります。引退する者には「惜しまれながら」という言葉がよく送られますが、この馬は、その言葉がよく似合う馬でした。

 
 ただ、強かったので、馬券的な妙味はまったくありませんでした。
 4戦の単勝オッズが、
 2.9倍
 1.2倍
 1.5倍
 1.3倍
 
 複勝は、
 1.1倍
 1.0倍
 1.0倍
 1.1倍
 
 馬連は、
 2.2倍
 4.7倍
 2.8倍
 3.6倍 

 当時は3連複も3連単もありませんでした。それにしても弥生賞の複勝、よく1.1倍つきましたね。どうせ100円戻しだろうからと、みんながフジキセキの複勝を買わなかったのでしょうか。
 
 フジキセキは、成績などのデータでは強さが伝わりにくい馬でした。
 もちろん戦績が少ないこともありますが、それ以上に、「走っている姿を見た人が強さを感じる」、という馬だったのです。なんだか本気を出していないような、遊んでいるような走りだったからです。
 おそらく首が高く、跳びが大きいのでそう見えたこともあるでしょう。でも、きっとまだ最大の能力は発揮していなかったと思います。デビュー時から馬体重が+14キロ、+6キロ、+16キロと、成長途中でもありました。
 幻の3冠馬の1頭であることは、間違いありません。

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