眠れない夜の孤独な時間に書く駄文

時々全然眠れない夜がある。

今日もそんな日だからボーとしてみたり、気付いたら考え事をしてしまったりもしているけれど、こういう孤独な時間がわりと好きなんだと思う。

考えてみれば子供の頃からよくこういう時間を過ごしていたような気がする。

ここ最近はずっと疲れていつの間にか気絶するように寝るような日々だったから、久しぶりにこういう時間を過ごしている。

何か書きたいことがあると、ブログを書くようにしているのだけれど、そういう義務感や使命感のない独り言のような駄文を書いてみようと思い立ち、何の目的もなく書いている。

コロナウイルスが流行り始めてからというもの、この数ヶ月は激動でとにかくがむしゃらに動き続けているような気がする。

近々もう少し落ち着いて気が向いたらこの3ヶ月ほどでやったことを簡単に整理してまとめたいなと思う。

最近は毎日仕事でアイスのことを考えていて、アイスばかり食べている。

こんなにアイスを食べているのは人生で初めてだけど、よく見てみると僕が子供の頃に食べていたアイスはほとんどない。

よく食べていたアイスの恐竜の卵とか、「最後にぶりゅって一気に出てくるよね。」っていう話で絶対盛り上げるけど、その会話すら最後にしたのがいつだったかすら思い出せない。

映画は今制作しているから気になって、毎週1本は観るようにしているけど、制作意図とかカメラとかいろんなことを気にしながら純粋に楽しめない。

そう考えると大人になるに連れていろんなことを知ったり、経験したせいで楽しめなくなっていることが多いような気がする。

眠れない夜の孤独な時間が好きなのも、よく考えたら兄弟が多くていつも誰かといたからで、1人になれるのは寝る前の頭の中だけだったからだと思う。

昔から物事を考えることが好きで、いつも何かを考えているけれど、日中と違って夜の孤独な時間は

「何で生きているのか?」、「自分は一体何がしたいんだろう?」

とか、

「あいつと最近会ってないけど、元気にしているのかな?」

「あの時こんなこと考えていたな。」

とか、

哲学的だったりセンチメンタルなことに思いを馳せる傾向にあるような気がする。

だから何だって話だけど、立ち止まらないと見えないものやわからないことも多いようにも思える。

いつも何かに追われていたり、スマホにアクセスすると情報はたくさん得られるから、実際はそんなことないはずなのに大量にインプットしているから何かを知った気になったり、成長した気になったりするんだと思う。

よく自分もそうなるから怖くなる。たいして何も成長していないし、子供の頃から本質的には何も変わっていないと思う。

人から自分がやっていることについて尋ねられるとカッコいい理由やたいそうな理屈をつけて答えてしまうこともあるけど、往々にして理由は何となくな気がする。でも、大人は面倒くさいものでこうなってしまった以上そんなことは絶対言えない。

そもそも意識がどこからやってくるのか自分でもわからないし、自覚といっても人間は無意識が9割を占めていて、記憶も自覚できるものはほんの一部だけで、思考のほとんどがブラックボックスだから、いつも手探りでそれっぽく答えているだけのようにも思える。

「いつの間にか人に影響されてそう思っているだけで、自分の意思なんてものは存在するのか?」と時々思うこともあるけど、そんなこと言っていたら仕事にならないし生活できないので、その気持ちはとりあえず抑えている。

一昨日アーティストとは何かって話を知人としたけど、人間みんな何かしら表現をしているから何がアーティストなのかわからないのが正直だし、そもそも肩書って何なのと思うこともしばしばある。

僕自身は人の優劣はつけられないし、評価も苦手。嫌いな人は嫌い。好きな人は好きぐらいの子供のような基準しかない。だから、正直経営者に向いていないと思う。人を使うとか人の評価をするなんていうのが死ぬほど苦手だから。

何より僕自身の評価が低いからいつまでたっても自分の役員報酬を上げられる気がしない。

奥さんにはこれからもずっとあきれられるだろうなという気がしているが、そのことは絶対に言えない。いつか人並みに給料をもらえる日が来るという話を5年以上していると奥さんに指摘されたから、これはもう紛れもない事実なんだと最近わかった。

こうやって人から言われて気付くことやわかることも多いし、自分自身で気付くこともあるから、自己分析も何が正しいのかわからない。

大学生や年下の社会人の人に就活や仕事の相談を受けることもあるけど、正直どう答えていいかもわからない。結局のところは自分で納得するしかないし、死ぬ時まで何が正解だったかなんてわからない。オレも来年のことどころか来月何しているか正直わからんって毎回答えている。大人としてどうなんだとは思いながらも。

こんな感じでいろいろと悶々とした気持ちのときに無性に行きたくなる「みちしお」って近所のお店があるけど、「みちしお」の80歳のお母さんがコロナウイルスでお店を休むことにしてから元気がなくなって、少し様子がおかしくなった気もする。

生きることと働くことが強く繋がっている人から働くことを奪うことで人は生きる力を失うのだと感じて、誰にこの怒りや虚しさに近い感情をぶつけていいのかもわからなくなる。

ニュースやSNSを見ると文句も言いたくなるし正直むなしくもなる。

そんなときに「みちしお」に1人で行って、お母さんの話を話半分で聞きながらボーっとテレビを見ながらご飯を食べる時間がどれだけ僕にとって大切な時間だったのかを痛感する。

あの時間はもう戻らないかもと思うと心がきゅーっと辛くなる。きっと戻ってくると信じてはいる。

それでも、あまり考えたくもないことだけど、お母さんは高齢だからいつかはその日も来る。

子供の頃にあったアイスはほとんどない。恐竜の卵のぶりゅっとするくだりで笑いが取れるのは僕らの世代で最後だと思う。

好きなものは大切にしないといけないってとても当たり前のことをしみじみ思う日々。

コロナウイルスで制限してはいるけど、やっぱり会いたい人には会いたいし、行きたいお店には行きたいな。気持ちよく行けるようになるのはいつだろうか。

こうやって駄文をうだうだ書いてわかったことは懐かしいアイスを食べたいのと赤いちょうちんが灯る「みちしお」に行きたいという気持ち。

ただの食いしん坊。

夜中でお腹すいてきたからだろうな。とりあえず痩せるために寝ます。












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