映画はなぜ必要か?
映画はなぜ必要なのでしょうか?
最近映画を作っている理由をよく尋ねられるので、この問いを自分自身に問いかけることが多くなりました。
人それぞれ映画に対する想いがあるでしょうし、映画が嫌いだという人はほとんどいないのではないかと思います。
僕が映画を作った理由はいろいろありますが、やっぱり僕自身が何か人に強く訴えかけたい、もしくは問いかけたいものがあるからだと思います。
これは何か物や作品を作っている人全員に共通することかもしれませんが、人の根源的な欲求に近いものであるように感じています。
文化・芸術と総称されるものは全てそうやって生まれたものでしょうし、そういう意味があるからこそ人類の歴史上絶えず人が生み出し続けているのだと思います。
この欲求をエゴと言ってしまえばそれまでですが、この作り手の強いエゴが時に人の心を動かすのだと思います。
映画は視覚・聴覚を強く刺激しますし、いろんな要素が含まれた総合芸術です。
映画を作り続けていた先人達のおかげで今の映画があります。
僕自身もそうですが、そうやって生まれた映画に感動したり、希望を与えてもらっています。そして、それが心の栄養になり明日を生きる活力になっています。
行き過ぎた資本主義による経済活動で多くの人の心が荒んでいるように思えるこの世の中において、心の栄養を与えてくれる映画や文化・芸術の意義が改めて見直されているように感じています。
しかしながら、映画含めて文化・芸術も今は広告的な意味合いや採算性といった経済活動に大半が飲み込まれています。
それが決して全て悪いとは思っているわけではありませんが、映画のような文化・芸術はそれが目的になっては決していけないと僕自身は思っています。
これまでの経済中心の社会が壊れる音がし始めた今だからこそ、人が生きる意味を問いたり、人に生きる意味を与えるような映画が必要だと強く思います。
僕が作っている「門司港ららばい」がどれだけの人に希望を与えられたり、人の生きる活力になるかはわかりませんが、1人でも多くの人に温もりを届けられたらとこんな今だからこそ強く思います。
こんなことをして何になるのかと思われても、やさしいエゴをもって何かを作る人が1人でも増えてほしい。もっと多くの人がお金や周囲の声に負けることなく己のエゴを真っすぐに訴えてほしい。
そうして生まれた物や文化・芸術に溢れた社会はきっと豊かだと思う。
コロナウイルスが収束した後の社会がそんな社会になってくれることを願って、門司港という小さなまちで映画と向き合ってみます。
こんなこと書いている僕自身が今一番お金に負けそうですが、何とか生き延びます。笑
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