はがれた景色③

第43回すばる文学賞 一次選考にて落選


そらにねをはる桜が、その末たんから、あわく血ばしった、かわいらしい花をだんごのような群でさかせるころ、蜜はそのしわのめだつふかい手でゆげ立つほうじ茶をすすっていた。はなびらたちは元いた場所からはなれ、彼女のすわる縁がわに、遠りょしがちに気をひこうとながれこんでみたものの、彼女は気にとめるようすもなく、数えることもなくなったほどのくり返しがまた、あきることなくやってきたのだと、微細な変化をかんじるにはあまりに年をとりすぎていると、少し自嘲ぎみに、花びらたちにむかって笑った。また一口ほうじ茶をすすった。
ことしも春ですよ。彼女は口にはださずだいじそうにつぶやいた。風がなでると、木々や草ばなたちは一様にかたむき、まい上がる土ぼこりとちった桜の花びらがあちらこちらに、それぞれの曲せんをえがきながら楽しんでいる。彼らはいつも無とんちゃくだ、あと先を考えない。一口すするごとに、したをしげきするあつさはやわらぐ。
あんなところから。彼女は桜のみきの少しとつになったところから、花が数りんさいているのを見つけた。こちらをみつめる二、三の花は、えだ先のはなばなしさとは仲がわるいらしい。ゆっくりと話しかける花の声は、彼女にきこえているらしく、うんうんうなずいている。かぜは、彼らのじゃまにならないようにと、となりのいえに行ってしまった。
今日はむすめとまごがかおを見せにくる。彼女はその予定をしっていたが、なにか特べつなじゅんびをするようすはなかった。うれしくないことなんてない。あうのは二ヶ月ぶりだし、二ヶ月と言ってしまうとたしかに久しぶりだと言うにはすこしみじかいじかんだろうが、一人でくらす老ばにとって、はなすあいてが自分とおなじような年いがいで、どのような生をおくるのかをかたるあいてであることは、年々ひどくなるこしのいたみのかんわとなり、そんなとってつけたような理ゆうがなくとも、うれしいものだった。ただそれは、なにか用意を、たとえばへやをそうじしたり玄かん先に花をいけたりするようなことではないということで、ご近じょのかたからもらったカステラをとり分けておくこととはくべつされる。老ばの生かつしょさの、あるほんのいちぶにだけむすめとまごが合りゅうする。わかり合えない他人どうし、その中でももっともちかづくことのできる者どうし、同じときを同じ場所ですごすことこそ、この老ばにとってのたどりついた至高であった。
きえてゆく湯げのゆくえをたどる、指さきにちからのこもるしさ、わるくなってしまったし力でとらえるけしきは、とおくのものも近くのものもぼやけて、輪かくははいけいとまじり合っている。消えてしまいそう。もうそういうことなんだろう。彼女はじぶんが、ゆのみや縁がわにさすひかり、またうえ木のそれぞれや土ぼこりやかぜや、そういったたぐいの中に、ゆるゆると溶けだしているとかんじていた。あらゆる欲も、かんじょうもじぶんだけのものではなくなっていく、さい近のひる。
ごご二時をつたえるとけいの音がなる。玄かんからろうかをこえ、と中いまをへだてるとびらをつうかし、彼女の耳にとびこむやわらかいかねの音、花はそのみをふるわせ、鳥が二わほど引きよせられる。彼女はにわからのながめにみいられていた。
「おばあちゃん、ちえだよ、あそびにきたよー。」
きり立った声が蜜をつれもどす。つかいこんだひざの関せつはうまくうごかすことができず、いたみをともやいながらも彼女はのろりとほうじ茶をそのままにしてたった。はいはい、今行きますよという。みみのわるい彼女には、おそらく小さなつぶやきは彼女じしんのみまにさえとどいていないだろう。まがったこしで、みじかい歩はばで、家じゅうにふせつされた手すりにつかまりながら、彼女は玄かんまであゆむ。
「おばあちゃん、こんにちはー。」
「はいはい、こんにちは。ちえちゃん、また大きくなったねえ。有里子もこんにちは。」
「ただいま、お母さん。しばらく帰ってこれなくてごめんね」
ひき戸にてをかけた蜜の一人むすめがこえをかける。せおったリュックサックを下ろそうとしていた。
「ちえちゃん、おじいちゃんの仏壇に行っといで。ちえがきたよって。」
そうやってこのおやこは玄かんからおくまった和室に向かう。とちゅう向かうろうかはほこりっぽく、子どもはたのしげである。
ひの光は縁がわまでさしこんでいるものの、仏だんのあるおく側はうすぐらく、とりがなく声や葉のこすれるおと、かぜたちがすきまからふきこむ音はなりをひそめ、くらさとしずけさでみち、またあふれている。ちえは学こうのプールにおもいきりとびこむのと同じようないきおいで和しつをかけぬけ、仏だんのまえにじん取った。有里子ははしゃぐわが子をかるくたしなめ、マッチを手にとる。数かいこすられると、マッチのあたまはうぶ声をあげて大きくもえ上がり、ほのおがともった。ちえは母がマッチをともすようすを見るのがすきだった。まるでおとうとができたみたいだ。ちえは母にもう一本とせがんだ。もっとたくさんおとうとが欲しいの。だってちえにはおにいちゃんやおねえちゃんもいないし、おとうとやいもうともいないじゃない。お友だちのお人ぎょさんは、おへんじしてくれないもの。
母はちえのこんがんをこばみ、ろうそくの先たんへほのおをうつす。マッチのほのおは手くびのきゅうそくなせん回うんどうと共にかききえた。ちえはらくたんしていた。ろうそくの火は安ていしており、くらい背けいにぼうと浮かんでいる。せんこうを二つにおり、そのさきに小さなほのおをうつし、またそれをけし、こうろにおいた。有里子はすっと立ちのぼり、くるくるとかいてんし、ちりぢりにきえてゆくけむりと、じぶんをつつむかおりが小さいころからすきだった。仏だんに向かうときいがいも、たとえば夕はんのときや朝おきたときにせんこうをたいてくれとだだをこねたこともあった。じぶんの希ぼうもとおらず、一とおりのじゅんびさえ手つだうことなくおわってしまったことにふてくされているわが子に、じぶんのおさなかったころがかさなる。ごめんね、お手伝いしたかったんだね。ほら、おとなりに座りましょ。おじいちゃんにごあいさつするよ。ちえは母のやわらかなたいどにあんどし、さっきまでの反こうをそのへんにこいしでもすてるかのようにすなおにしたがった。さびがいくらかついたかねをならす。母が手を合わせ目をとじる。それにあわせて、ちえも手を合わせ目をとじる。おさないはなに、せんこうのかおりがすいこまれる。ちえはいったことのないばしょにときどき、ひさしぶりにいえにかえってきたときのあんしん感をかんじることがあった。出かけたさきでここきたことあると両しんにうったえても、わらわれるだけで、まともにとり合ってくれないことが大はんだった。せんこうは、ちえがもといたばしょのにおいがした。すくなくともその少女はげんじつにわかるつよいかたさでもってそうかんじていた。
ちえが目をひらくと、母はまだ目をとじていた。有里子はわが子にいったおじいちゃんにごあいさつ、ということばのはんぷくがあたまの中でながいあいだざんきょうしていた。彼女はじ分の父おやをしらない。うまれたときには失そうしていたと母や親せきからきかされていた。この仏だんのなかに父がいるわけではないし、だからといって目をとじることで父が暗やみのなかからぼうとあらわれるわけでもない。彼女はくらいへやのなかで目をとじてを合わせながら、あたまの中にうかんだかわにうかぶねなし草の映ぞうを、かわべからじっとみていた。
目をひらくと、仏だんのろうそくがさっきと同じようにあん定してほのおをともしていた。ときどきふらっとゆれる。有里子はしばらくのあいだほのおから目をはなさなかった。彼女の、なやんだりしんじたり、収れんしないたよりのないかんがえのふらつきが、目のまえのろうそくのゆれに同ちょうし、ふくれあがってゆく。母親ゆずりりの、ちからのあるおおきな目、みけんにしわがより、ほそくなるにつれて、はいけいはよりたん一に、ほのおのりんかくはよりはっきりする。
そでをひっぱられる。ちえがまゆげを八のじにして有里子のふくをつまんでいた。おかあさん。ちえがそうつぶやく。彼女は自ぶんじしんをとがめた。有里子はちえのあたまをなで、ろうそくの火をけすから、おてつだいしてくれる?とほほえみかけながらといかけた。ちえはうれしそうにへんじをし、母のてまねきで小さなすずのような金ぐにてをとり、ろうそくの火にかぶせた。
ろうそくからはしろいけむりがまわりながらのぼってゆく。ろうのにおいがふっと、そしてすぐにきえていった。おばあちゃんのおてつだいにいこうね。また彼女たちはひのあたるほうへもどっていく。


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