はがれた景色①

第43回すばる文学賞 一次選考にて落選


何者でもない、はっきりとした、あれやこれやが喚く中で、私は網目に捉えられない、背景そのものの中に、対と対が交わった接点面積における不在としてあった。私は目にとっての光であり、耳にとっての空気であり、立つ者にとっての地面であり、泳ぐものにとっての海であり、飛ぶものにとっての空であった。私は私の中に分かりうる限りのすべてを孕み、また私自身も孕んでいた。私の中は粗密が行き交う流動であり、私をなす界面もない。うねりがあった。白波があった。だがかもめはいなかった。彼の中になんの高ぶりもなく、彼女の中になんの恍惚もなく、それらを生み出す何のきっかけもなく、彼ら彼女らのすべての生命の父も母もなく、何者も包まれておらず包んでおらず、何とも指示する者も、何を指向する者もない。皆そこからやってきた。ありとあらゆる理由はそこからやってきた。ありとあらゆる目的はそこからやってきた。ありとあらゆる過去はそこからやってきた。ありとあらゆる未来はそこからやってきた。ありとあらゆる名前を持つものと、名前を持たないもの、名づけるものと、名付けられるもの、それがそれとしてあるものと、それがそれとしてないもの、それらはそこからやってきた。あちらにいるあなたやあなたをはじめとする生命たち、砕ける岩石たち、噴き出る溶岩たち、溶けゆく河川たち、たなびく地面たちには私はいない。あなた方はまさに運動そのものだ。突き上げる衝動そのものだ。張力が釣り合った膜が破れようとしている。大きな曲率を伴った形が、浸されていたものが、ある一つになろうとしている。一つになったとしてまた何者でもない記述の裏側に引きこもるというのに。止めることができない運動、四方八方を振りかざす矢印、沈黙と暗黒に居座り続けることを許さない斥力。彼らは私らよりも強い、私らになすすべはない。ただ押し出されるだけだ。世界には隔たりがある。生命の溢れる世界においては、あらゆる手段を弄しても捉えることのできない沈黙、空白であり余白。隔たりは個々の事物が個々であることに起因する。それぞれがそれぞれであると、自発的また環境からの要請によって定められた、そうした者たちがそのような世界を作り、より詳細に事物を特徴づけ、分類し、属性を定義し、予測し、必要なものを必要なだけ捉え、矛盾したまま合わさった現在という直線を一時的であれ放棄した。余白は、彼ら彼女ら、またあなたにとっての余白であり、地面を転がる石、今あなたが吸った空気のモル数、かじかむ指先、滲む汗、車線に開口したビニール袋で、個物に内蔵されている無限、個物同士の場が織りなす無限。それらは数多の目的と数多の理由が直線に漸近するが、彼ら彼女らには興味がない。自分の脳をどうやって見ようというのだ?私はあらゆる偏在でもあるし、あらゆる偏向でもある。彼ら彼女をなす粒形の中にも、彼ら彼女ら自身にも、彼ら彼女らが成す国家やこの惑星にも、そして惑星の成す系や系が成す系においても、私であり続ける。食らい続ける者たちに飽和は夢であり、沈黙でもある。凍てついた流動のなかで、食らう者たちを眺める。彼らは食らうことに喜んでいる、他者の生はそこにはもうないが、彼らの味覚を満たし、刺激し、恍惚となる。自らの身体は昇温する、精神はうつむきがちになる。ものと化した食物は、なおそこにそれとして存在している。食すものと食されるもの、それらの関係もまた存在している。そういった意味で私も食すものであり食されるもので、彼らに食われることは、また彼らを食らうことであり、慎ましく織りなす相互の侵食は、回転となり直進し、剪断し散り散りに、散逸は力となりその中心に落ち込んでしまう。大きな力、抗えない力、それらの源泉がこの背景、沈黙、暗がりを駆動力として反発し、苦しみの意味ある領域へと私たちを押し出すのだ。重なり合った実体、揺れる輪郭、錯覚ではなくそれは、ありのままを捉えた反発しあう空間を見たに過ぎない。あなたたちは揺れている。一様に揺れている。それは草木がざわめくように、海に白波が立つように、同じように揺れている。共に揺れ、めまいが起こり、隔りを成す様式は溶解し再構築される。彼ら彼女ら、そしてあなたたちが作る最も固いものの一つとしての場。固有の一に還元されえず、ただ固有の一でもある場の生成、彼ら彼女らの揺れは場の揺れでもあり、彼ら彼女らの揺れでもある。本質的に不穏、定まりがつかない、それとなくありそれとなくない、ただその場のみは重厚な地層により支えられている。やがてその揺れも収まり、めまいもなく吐き気もなく、あらゆる場となる機が来る。加算された分だけ減算されなくてはならない。加えられたあの力も、いずれは無限の黒色に帰る。そしてまた何かを、それは私でもあるのだが、析出する。無限の空、雲に隠される太陽も、散乱した青色も、入れ子が成長する雲も、突き刺さる雨も雪もない、ただ一面の黒。広大な領域、それを領域と呼称することは適当ではないが、領域以外空間でもなければ時間でもない。絵画のような肌触りを持ちながらにして、伸ばす手はなにも捉えることはできず、瞳の奥、光を取り込もうと全開になった瞳孔の黒。どこまで高く飛んでも、どこまで歩みをすすめても、どこまで思索を凝らしても、彼ら彼女らが捉えるは、あらゆる色が展開し、ついて色彩はめぐり、よって黒に到達する。それでも彼ら彼女らは建築した。手に取り、手に取ったものがなんであるのかを分類し、それを共有し、接合し、重ね合わせ、再構築した。彼ら彼女らは、個物を個物たらしめる外被膜でもって環境とやり取りをし、演じた。オオカミにかじられると身体をひねりのけぞらせ、額にしわが寄り目は血走り、吹き出す赤黒い己の血液を飛び散らせた。また屠るとき、涎をたらし歯を立て、目を細めた。そして仲間が生を終え死するとき、一様にうつむき、口を閉じ、死者に花を手向け、埋めた、もしくは燃やした。種から種へ、世代から世代へ、他者から他者へ、身体運動は姿なき者、存在しなかったものを構築させ、それは媒介し、彼ら彼女らは模倣した。同一の動き、円形の動き、線分上の動き、彼ら彼女らは地上において地面を踏みながら、編隊を組む渡り鳥や、群れを成す魚群を自身の内部に包括した。彼ら彼女らは環境に触れ、内的に生じる様々な偶然の衝突達により引き起こされた反応について、似た反応を示すものを並べだした。対として存在する内的衝動の反応、対がまた別の対を生じさせ、それらはまた別の対として結合され、環境を覆い始めた。結合は別の結合を産み、つながるにつれて環境から離脱し、彼ら彼女ら独特の領域、草木や獣たち、魚や鳥たち、岩や空や地面とは共有しない領域を作り出した。あらゆる結合点としての命題を一点に収斂させようとしている彼らの構造物は黒の空を目指していた、どこまで続くのかもわからない天井めがけて、彼ら彼女らの建築は止めることができない。


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