読書メモ『中世の喫茶文化 儀礼の茶から「茶の湯」へ』

「茶の湯」成立前のこと

 私の修論は『看聞日記』にみられる唐物に関するものなので、茶の湯が成立するよりも前の時代にあたる。この頃の茶について、橋本素子先生の『中世の喫茶文化 儀礼の茶から「茶の湯」へ』(吉川弘文館、2018)に興味深い記述がある。
 室町時代には、将軍御成の公式プログラムに茶は組み込まれていなかったらしい。「茶事」や「茶会」は、喉をうるおすためや軽食の消化をうながすために、奥向きで、または時たまのこととして使われていたという。(124ページ)
 前後にある鎌倉時代と戦国時代・徳川幕府時代を比較すると、鎌倉時代の武家儀礼では茶を飲んだ例が見られず、戦国時代・徳川幕府時代は芸能の「茶の湯」が公式行事に組み込まれる。室町時代では奥向きであった儀礼が表の儀礼になった、「文化の下剋上」であったと著者は評価している。下剋上と言えば、お茶を飲むことが「日常茶飯事」になったのは戦国時代であると著者は述べている。その根拠は天文8年(1539)『御状引付』に載っている盆踊歌「意見さ申そうか御聞き候か」である。京都の庶民の女性たちが亭主たちの留守に近所同士で集まって人のうわさをしながら抹茶を飲んで大笑いする場面が歌われており、これが庶民が日常的に茶を飲んだことが分かる初見史料なのだという。『看聞日記』には庶民が伏見宮貞成の振る舞う茶(雲脚茶会)に集まった記述があるけれど(これも修論に書いた)、確かにこれは「日常茶飯」ではない。皇族が主催する行事(日常ではない)に呼ばれた形だ。
 この著作には他にも修論で扱った事柄が出てくる。桂川地蔵の霊験を語る史料についてだ。『看聞日記』にも桂川地蔵の霊験とその影響が出てくるのだが、根津美術館蔵の『地蔵菩薩霊験記絵』には茶屋らしきものが出ているのだという。図も小さく載っているのだが、奥で僧侶が茶せんを使って茶をたてているのが分かる。この図の読み解き方が大変勉強になるのだが、ひとまず今日の読書メモはここまで。
 ざっくりしたメモをここまで読んでくださった方々、ありがとうございます。


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