ボクシングファンは青木さんの発言に全くイライラする必要なんて無い話し
先日行われた井上尚弥選手の防衛戦に対して
青木真也選手のツイートをみかけたボクシングファンの中に不快感を感じた人もいたと思うので
この発言に対して思った事をサクッとまとめました。
「凄い」の定義がよく分からなかったので、青木選手の真意を知りたいと思いボイシーのプレミアムプランに加入し拝聴したところ
キックボクシングやMMA(以下、格闘技とくくります)
①ストップが早すぎて観客側に納得感が得られない
②長丁場のラウンド制で展開が遅い
③競技性を重視するあまり1人の人間としてのドラマを感じない
(ボイシーは有料でしたがNOTEでは無料で、ほぼ全文読めるので纏めさせていただきました)
正直全部「そりゃそう感じるよね」って話しなんですけども、ボクシングに携わる仕事を一応してる側の人間としてそれで終わるのもつまらないのでボクシングファンが感じた不快感を言語化して反論しようかと思います。
①ストップが早すぎて観客側に納得感が得られない
格闘技を好んで見る層が過激なシーンを見たいとは限らないと思いますし、スポンサー(TV規模)が離れればそもそも存続すら危ぶまれます。
競技を知ればレフェリーの判断に納得感が生まれます。
(そもそもMMAもk-1も判定決着まぁまぁ多いよね)
②<長丁場のラウンド制で展開が退屈>
これはA-SIGNでも語っていますが12ラウンド制のボクシングは生命力の闘いでもあります。
試合前や序盤は威勢が良く強気な選手も試合が進むにつれ疲労やダメージでメッキが剥がれ本性や試合に望む本人の思いが顕著に現れることも
短いラウンドであればスピードや瞬発力のある選手が有利ですが12ラウンドの闘いでは戦術や戦略が時に身体能力を上回ります。
③<競技性を重視するあまり1人の人間としてのドラマを感じない>
これはTV任せのプロモーターの努力不足と選手1人1人の自覚の薄さ、後単純に表現する事への得手不得手から来ています。
観る人が夢中になる様なドラマは誰にだってあります。
それこそ、満員電車に揺られるサラリーマンにも
渋谷をぶらついてる女子高生にだって有名なアスリートやタレントに負けない物語をもっています。
そして、ボクシングファンは
徹底して上のステージ、そして勝敗にこだわり抜くボクサーの姿勢に感情を揺さぶられるものです。
ドラマは常にあるのです。
競技性と人間のドラマは相反するものでは無く、ただ表現がたりないだけ
メイウェザーが語った
「プロとはあらゆる状況を想定し、考えられるリスクを回避するべきだ。俺たちはアマチュアじゃないだろ?」
又、田中恒成選手が井岡戦後に語った
「(井岡さんと)もう一回やったらって聞かれますけど、もう一回とか無いんですよ、そういったものじゃ無い」
一度の負けによってあらゆるものを奪われる世界であるが故の意識だとは思いますが、この発言を聞いた後に
青木選手の語るプロレス格闘技で起こる
負けて直ぐに再戦要求したりだとか、キャリアの浅い選手の無謀なマッチメイクを見ると
勝敗に拘って無いように感じて冷めるんですよね。
試合組まれた時点で勝ちみたいに思ってんじゃ無いかと
青木選手の語る「存在をかけて闘う」って言葉を
ボクシングファンはボクサーが勝敗に拘わりぬいた先に見えてくるものだと解釈しています。
どんな種目であれ高いレベルの攻防を楽しむには
リテラシーを必要とします。
たしかにボクシングを楽しむハードルは高いかも知れませんが知れば知るほどに
理解し推測して想像する事で楽しむことができる
奥深い競技です。
プロモーターとメディアが分散した事によって起きる不都合(どの媒体で試合が観れるかバラバラ)
と新規ファンへの訴求の課題はあります。
しかしその問題点があるからと言ってコンテンツとして負けてるとは、微塵も思わないって話し
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