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自分自身を知る

どこから何から書き残せばよいのか・・・
私にある世界
幼少期から当たり前にあった世界
それを口にすれば、可笑しがられ気味悪がられた世界

幼少期に見えていた記憶はないのだけれど
何かしらを感じてた
よく話すおしゃべりな子供、それが私だった。
誰と話していたのかは記憶にはない。
ただ感じたことを口にしていた。
それが誰かと会話しているようでよく注意されたりもした。

両親が共働きで忙しかったこともあり
信仰心の強い祖母に幼少期育てられたこともあり
神や仏というのが身近にあった。

その時の思想(概念)が 
後に自身を混乱させることになるのですが
ですが、自身を取り戻すきっかけにもなりました。

やはり全ては必然なんだと
起こるべくして全て起こる。

そしてそれは、誰かになにかされたのではなく
全て自分自身で招き起こしていたこと。
良いと感じることも、良くないと感じることも。

それが心底、腑に落とせたとき
私の世界が一変したのです。

いつの頃からか・・・自己否定が生まれ、
己を蔑み生きるのがキツイと感じ生き出した頃
とてつもなく恐怖に感じる世界にいました。
今まで見えていなかった世界が見えだしたのです。
他の人には見えていない存在・・・
体感的にも怖く痛みすら感じる日も・・・
俗にいう霊障です。

何が起こってるのわからない・・・
誰かに話しても理解されず、気持ち悪がられ
一人抱え込むしかなかった十代の頃。

あの頃自分に何が起こっていたのか
今となれば理解できる。
ですが、若かかりし頃の私には・・・
拒絶することに精一杯で受け入れる意識すらなかった。

霊障も段々慣れてくるもので、
そしてその世界を受け入れだした頃
怖いと感じる体験はしなくなりました。

しかし見えてしまうことが本当に嫌で
見えないように、見なくなるように・・・
常に唱えてて
記憶はないのだけれど、いつのまにか見えなくなりました。

見えなくなったものの、感じることは残ってて
だからといって何か感じても公言することもなく
普通に・・・普通に・・・普通に生活したいと
俗に言う普通の生活にあこがれて

見えていなくてもある世界。

それは感じているのだけれど
どちらかとういうと否定していたい世界。

私には霊障がある世界も存在してて
怖い記憶しか無かったため封印していたけれど

占いをしていて
メッセージや直感やチャネリングを受け取る。
それはどこから?という事。

あるスピリチュアルの世界では
霊障が見えてしまう、感じてしまうことに対して
波動が良くない。と捉えてしまう人が多かった。

なぜ・・・幽界だけを否定する??
同じ見えない世界。
なぜそこを否定し飛び越して
その先の存在達と繋がれるのだろうか・・・
だからといって幽界と繋がれ。という話でもない。

私には必要な世界だった。

本来の私を隠して生きる
そうすると、やはりお戻しがかかるよね。

私の中の霊障(幽界)の世界を
受け入れて認めるきっかけが現れる。

ある程度月日も流れ
私自身も様々な体験と学びを通じ成長し
昔、気持ち悪がられた話が
現代のデバイス進化に伴い
過去の話が受け入れられ信じてもらえる事につながる。

やっと私自身が受け入れ 隠すことをやめ
私の感じていることを残すこと
私を振り切って生きる覚悟がやっと整った。

そんな訳で
私の感じている世界を
ここに残していこうと思う。

見ていないけどしっかり存在する世界。
この世界を人間のモノだと思うほうが
傲慢でチャンチャラ可笑しい。

全て共存


ろく







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