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涙は悲しいときにしか出ない

薄汚れたちいかわのぬいぐるみをお風呂で洗って干して、知らない人の歌を聞く。空が晴れて濃い緑の葉が光って眩しくてきれい。皮膚の上から剥がれ落ちた憂うつが一枚、強い風に乗って散り散りになって消えていった。
4人で喫茶店に行った話をされたけど全く覚えておらず、話を合わせることもできず気まずい思いをする。しばらくするとその日の夜に急にサンマルクのテーブルの上にトレーが4つ並んだ光景が頭の中に浮かんで来た。私のトレーには白玉アイスが乗っていた。向かいの席のメニューは汗をかいたグラスの中にアイスコーヒーが入っていて、でもどんな話をどんな顔でしたのかは全然思い出せない。たしか夏だった。

長年愛着を持って使っていた持ち物を手当たり次第に捨てる。指輪とかドレスとかハイヒールとか。大好きな先輩から譲ってもらった靴をゴミ箱に放り込んだ時、一瞬不安になった。もう何年も履き潰してクタクタの、私の足にぴったりと馴染んだブーツ。これを履くと立派な力を借りているようで勇気が湧いて出た。それもさようなら、もう大丈夫。
荷物をひとつ、もうひとつ、手放す度に身体が軽くなって空が飛べそう。なのに、ちゃんと地に足が着いて歩いてる感じがする。それがだんだん速いスピードになって止まらない。こころは雲みたいに掴めなくてすぐに変わってしまうから、〇〇ちゃんのこと大好きって言ってたのに、次に会ったときに〇〇ちゃんやっぱり嫌いって言ってる様子が全部嘘ついてるみたいで許せなかった。でもさ、それって自由なんだよねきっと。自由はなんでも選べることだ。そしてその結末に責任を持つところまで、雲あるいは石であっても中身は同じなんだ。


人と人はさよならって言えないままお別れすることの方がほとんどじゃんって言ったらその人はびっくりした顔でこっちを見ていた。そういえば、感動しないといけない空気になればなるほど気持ちが冷めてしまうのは昔からで、運動会も学芸会も卒業式も私は全く泣かなかった。嬉し泣きっていう涙があるのを知った時、本当にあるのかな?って信じられなかった。想像の中の嬉し泣きをするひとの絵を繰り返し描いた、嬉し泣きする鳥も描いた。涙は悲しいときにしか出ない。


365日すべて元気でいるのは不可能だとわかっていながらも、遠くに行く人には元気でねって声を掛けるしかない。そう願うことしか出来ないから。インターネットストーカーになったとしても私があなたに与えられる影響は限りなくゼロに近いよ、なるべくなら日々なんでもない風に過ごしたいけど、元気なだけが健康じゃないよ、死にたい時だってあってもいいよ。完璧な幸せはひとつでも間違えたら終わってしまいそうだから怖いよ、ダメなことなんかないよ。さようならを言いたかった、終わりにしたかった、どうしても今。私はいつものことを、いつも通りにするのが好きなのにさ。生きてるってわかる瞬間てあるの?当たり前のことって全然普通じゃないよ。でもめんどくさいから特別な日以外はお祝いしないでいるだけだよ。