見出し画像

そんなことはわかっている

今日こそはと会社帰りに飛び込んだお花屋さんには、まだきれいにラッピングされたブーケがいくつもならんでいたけれど、レジの中身をひっくり返してお金を数えていたお姉さんに「もう閉店時間ですので」と言われてしまった。
わたしは赤いバラを買いたかった。それと、スイートピー。お正月にお年玉をもらったから、スイートピーは黄色と白とピンクの3色を贅沢に飾ろうと意気込んでいた。
しょんぼりしながら冬の街を歩く。両手をコートのポケットに入れたり出したり、せわしなく暖めたり冷やしたりしながら。


スマホの文字で「」を打つ時ずっと(かっこ)って打ってからいちいち表示させていたのに、ある日「や」を横にフリックすると突然「」が出現するライフハックを見つけて即実行。あまりにも便利すぎて、どうして今まで知らなかったのか不思議なくらい面倒くさくない。わたしが知らないだけで一回覚えてしまえばとても楽になることは世の中にきっと、山ほどあるのだろう。それを知るタイミングはこちらから歩いた時と向こうからやってきた時がぶつかり合ったときにのみ起こりうる。


なんてことない日常の中にある小さな不思議や喜び驚きにもっと気づきたい。いちいち心が動くのを気に留めながら生活したい。お皿を洗うときの、流れてゆく水が手にかかる冷たさと心地よさをその時々で新しく面白いとさえ思いたい。
えらそうに、わたしは、ずっと鳴り止まない音楽が変調するときのように生きている途中でいつもと違う五線譜の階段を登り始めたら、それがなんの手段であろうと残しておいたほうがいいよと言った。人は自分のことでさえすぐに忘れてゆくし、何のために頑張ってきたのかを振り返った過去が未来へ進んできた意味が少しでも存在し続けるように。


不快な夢から覚めた気持ちでいる。
何度も繰り返し読んだお気に入りの文章は常に持ち歩いていて紙がボロボロになってしまった。それをもう一度最初からゆっくり読む。