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③漫画やアニメはアートになる

以前から、日本の漫画は世界に誇る文化だ、ということを主張してきた。

これは物語性を基準として世界を評価する私が、外国文化と比較した際に、あまりに日本の物語は複雑であり、それが漫画という大衆文化で広まっているから、という根拠があったからだ。

親はハリウッド映画が好きで、よくTVでダイ・ハードや車が暴走する物語を観ていたのだが、そんなストーリーよりも日本の漫画のような、時に得も言われない感情となるようなストーリーの方が、魂を揺さぶられるのは間違いない。

私の魂のほとんどは、漫画で作られてきたのだ。

この複雑性はどこから来たのかと考えると、やはり日本の自然環境の複雑さ由来による多様性がもたらしたのだろうと思われる。
ではそれがなぜアートと繋がるのか。

村上隆によると、彼もオタクになりたかったがなれなかった人物の一人であり、それがいつの間にか世界の中で日本を代表するアーティストになってしまったと。
そんな彼からしても、日本の漫画は神だと言わしめている。

前回まで語った芸術の文脈というものは、大雑把に歴史としての文脈と、社会性、そして作家としての哲学が描かれているものだとまとめた。

それに基づいたものが西洋絵画であり、そこから派生してきた現代アートへと繋がる。そのため、現代アートは絵画の枠に留まらず、概念そのものを表現する形へと変わってきたのだ。これに関しては改めてまとめたい。

この文脈で語るのであれば、私が常々主張している『漫画は作者の人生を表現したもの』である、という話と同じであり、その中でもよりクオリティ高いものであれば、大衆文化……というか大衆物語として一般に浸透している。

※/何を言っているか分からない方のために軽く説明しておくと、ジャンプ漫画(ワンピースなど)や、ジブリアニメは、彼らの人生を反映した物語設定となっている、ということである

また、村上隆が言っていた話として、かつての葛飾北斎などの浮世絵師たちは、今では芸術品だと言われているが、当時は包装紙にも使われるほどの一般に普及していた『どこにでもあるもの』だったのだという。

これを聞いた時に、「やはり!」と思った。
この部分こそが、まさしく現代の漫画やアニメが芸術の文脈に則ったものであり、さらに後世に間違いなく残される文化だと感じたのである。

要するに、芸術の歴史というものもフラクタルに繰り返しているということなのだ。

今では包み紙レベルにありふれている漫画やアニメであるが、実は過去から文脈に沿って連綿と発展してきた芸術の一つであり、それは今の我々ではありふれすぎていてその価値を認識できていないのである。

村上隆はそのことを理解し、それでいて漫画家やアニメーターにはなれないと感じて、自分の作品にそれらを埋め込む道を選んだ。
その哲学と、芸術としての文脈、そして日本画という伝統的技術の組み合わせが生んだのが彼の作品であり、それが故に希少価値が高いということなのだ、とようやく理解できたのである。

そう、そしてこれが教養なのだな……と改めて思い、このシリーズを書き記そうと考えたのである。

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