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「ボランティア情報2018年7月号、市民文庫書評」『遠山啓~~行動する数楽者の思想と仕事』友兼清治編著 太郎次郎社エディタス 定価本体3000円 + 税

『遠山啓~~行動する数楽者の思想と仕事』友兼清治編著
太郎次郎社エディタス 定価本体3000円 + 税

評者 白崎一裕

遠山啓とはいかなる人物か。「数学者にして戦後の数学教育および市民の教育改革運動のリーダー。丸山真男、久野収、武谷三男、鶴見俊輔らと共に戦後の進歩派知識人を代表するひとり」辞書的に表現するとこうなるだろうか。現在、戦後進歩派知識人という言葉は死語になっているのかもしれない。「戦後」「進歩派」「知識人」このどれもが日常から消え去ろうとしているともいえる。その中にあって、この遠山の仕事を総括的に振り返る本書の意味を噛みしめてみたい。


個人的なことで恐縮だが、評者の人生の最初の方向付けをしてきたのは遠山の言論だった。1970年代の前半、中学の半ばごろから受験勉強に疑問を感じていた評者は、当時、新聞などでテスト中心の受験競争的な教育批判を繰り広げていた遠山の発言に注目するようになった。どこそこの高校や大学に受験して合格するためだけの勉強は、本当の勉強・学問ではない。当時の評者は、遠山の発言からそんなメッセージを受け取り、疲弊する日常の学校生活をサバイバルする糧としていた。
遠山の生涯にわたって貫かれた思索と行動の中心にあったのは、評者が受け取った遠山のメッセージ「本当の学問とは」ということだったと思う。遠山は、真の知性が育む「本当の学問」の力を信じていた。そして、遠山の戦後の思索と行動を支えていた原動力は、1945年8月15日までのアジア・太平洋戦争下での暴力的な反知性主義的な「本当の学問」を抑え込む歴史の濁流で奪われたものを回復するという強い願望であったに違いない。その「本当の学問」を追究する姿勢が、受験体制の中で呻吟する評者にも、強く迫ってきたのだと思う。


戦後進歩派知識人というのは、アジア・太平洋戦争の後遺症、つまりは、アジア・太平洋戦争のPTSD(心的外傷後ストレス障害)をどのように乗り越えるのかということに、ひとつの回答を示そうともがいていた一群の人々というように定義できる。遠山の場合は、常に「本当の学問」という一種の純粋な知性の働きが、人間性、民主的な相互の人格を尊重しあう社会の構築までを果たしうるという立場だった。遠山は、敗戦までの自分自身を「非人間的な数学を研究する精神的隠遁者」であると位置づけ、戦後は「人間に向かって歩きはじめた」と言っている。この思想的構えも、常に「本当の学問」の追究からきていると思われる。本当の学問追及の姿勢が、純粋数学研究から、数学教育の改革へ、そして、教育改革全体へと活動の転換と深まりをもたらしていく。遠山の人生の後半活動の中心であった教育雑誌「ひと」の刊行も、知的障がいのある子どもたちへの算数授業の実践も、すべて「人間の全体性の回復」をめざす知性のはたらきの力を信じてのものだった。
しかし、この遠山の「本当の学問」すなわち、純粋な知的営為というものの力が疑われているのも現代という時代だろう。知的努力や科学的思考の限界が現象してきたのも戦後という時代の一つの特徴であった。それが「戦後進歩派」というものの衰退を招いているともいえる。


私たちは、この現代にあって、遠山の何を受け継ぎ、次世代へバトンを手渡していけばよいのか。実は、評者の現在の人生に決定的に影響を与えている遠山の最晩年の文章にその答えが隠されていると思う。それは、『水源をめざして』(太郎次郎社)というエッセイ集に収められている「アカデミズムの外から」という文章だ。ここで、遠山は、硬直したアカデミズムの外に「独学」で歩む「エキストラ・アカデミズム」(アマチュアの研究者領域)の提案をおこなっている。大学などの研究機関の外で自分の問題意識に沿い「働きながら研究する」人間像を示したものだ。
知的な働きも、制度が確立する中で硬直化していってしまう。グローバル化などといっても、既成制度の単なる拡張にすぎないことが多く、社会の各場面で人間性を奪う結果をもたらしている。一度、その制度の外へ出てすべての制度そのものを問い直すことが求められているのではないか。知的な営為も、人間の暮らしと相互の関係の中から、再度、繊細で柔軟なものに作り替えていくということだ。


遠山から受け取ったバトンは、いま、確かに自分の中にある。

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