見出し画像

月刊ボランティア情報2010年12月号NO177、市民文庫書評『怠ける権利』ポール・ラファルグ著 田淵晋也訳 平凡社ライブラリー 定価1260円

月刊ボランティア情報2010年12月号NO177、市民文庫書評『怠ける権利』ポール・ラファルグ著 田淵晋也訳 平凡社ライブラリー 定価1260円

評者 白崎一裕

「働かざるもの食うべからず」!憲法にも「勤労の義務」!あるいは、菅直人首相の総裁選のときの演説「一に雇用、二に雇用、三に雇用」!そんなのはあたりまえの常識だと思われている方は、このマルクスの娘婿が書いた19世紀後半話題の書を一度読んでみるべきだ。ラファルグは、神聖なる労働という観念はまやかしだと言い、資本主義社会では、「労働が、知的荒廃と、生体の歪みの原因」であり「労働は最悪の奴隷的束縛」と斬って捨てる。そして、彼は、その対抗プランとして「一日三時間しか働かず、残りの昼夜は旨いものを食べ、怠けて暮らすように努めなければならない」という「怠ける権利!!」を宣言するのだ。

この宣言は荒唐無稽なことだろうか?よ~~く考えてみよう。そもそも、現在の勤労者人口は、国勢調査などでも全国民の人口の約半分である。また、働いても働いても給与が生活保護水準を下回る「ワーキングプア」という人々が1200万人ぐらいいるともいわれている。そして、ある社会学者の計算によると、いまの国の生産を維持するための労働者はオートメ化などの進展で、全人口の3分の2で十分で、残りの3分の1の人々は「潜在的失業状態」にあるともいわれている。こうなってくると、現在の経済状況は、過剰な生産状態にあるわけで、そんなに、あくせく「働く」必要なんてないことが分かってくる。環境問題をみても、無駄な生産をするために「働い」て環境を破壊するより「怠けて」労働し
ないほうが地球環境には良い影響を及ぼす。

「怠ける権利」の本質は、私達の働く観念の問い直しなのだ。労働は、いつのまにか、生産し稼ぐことを至上命題としてはいないだろうか?人間の暮らしを豊かにするためには、人々の豊かな交流と自分の暮らしのリズムが一番大切なのであり、そのために「働く」のではないのだろうか?過剰な無駄な生産に何の意味があるのだろうか?という問いかけである。もちろん、「怠ける権利」では不安だという人がいらっしゃるのはよくわかる。怠けるためには、「万人の所得保証」がくっついていないとだめだろう。だが、しかし、一度、
「働き中毒」観念から自由になってみることをおすすめしたい。そこから、「引きこもる」権利、「学校に行かない」権利、「病気になる」権利、「失業の」権利などなどがどんどんでてきて気持ちが楽になるんじゃないだろうか。ちなみに、義父の労働の思想家マルクスは、婿さんの「怠ける権利」を無視したとか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?