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記憶の記録

 小さい頃から物語を頭の中で錬成してはそれを書き足して楽しむ少年だった。頭の中には幾つもの物語の断片的な記憶があって、未だに「こういう設定にしたほうがおもろいだろう」と考えることがある。

 一番最初に物語を生成したのは、僕の記憶が正しければ小学生の頃で、イナズマイレブンを真似た自分なりの空想サッカー物語だった。火を使うから火炎秋人、水を使うから水川瑞樹みたいな安直なネーミングセンスだったのを今でも記憶している。

 中学生になると、PSPでウイイレをプレイするようになった。そのときに、選手のエディットや追加という項目があるのに気付いた。そこで僕は初めて頭の中にあった空想の選手を形にした。自分の考えた選手が現実の選手と対等に戦っている。これが最高に楽しかった。未だにサッカーゲームをプレイするとこれがしたくて堪らなくなる。

 最初は頭の中にあった数人を形にしていて、数値もそれなりに設定していた。しかしいつの間にか空想選手の数は増え、現実の選手とハイブリッドだった日本代表メンバーは空想の選手で埋め尽くされた。

 このメンバーで"ワールドカップを戦って優勝する"というのが当初の目標だったが、数値設定の甘さから簡単に優勝してしまった。そうすると今度は海外の選手を新しく生成することを覚えた。いつの日かレアル・マドリードとバルセロナの選手は全て空想選手に入れ替わった。(2013年頃はラ・リーガ全盛期だった。)その選手たちを代表メンバーにねじ込ませたり、日本の選手を海外チームに移籍させたりしてCLを闘うなど楽しみ方が無限だった。

 高校に入ると今度は物語の方に焦点を当てるようになった。物語というよりかは個人個人に深みをもたせるという設定の方への着目である。ゲームを中心に、この選手はどのユース出身で、どういう人生を歩んできたかというのを記録するようになった。暇さえあれば考えていた。その記録は莫大なものになり、いつの間にか考えるのをやめていた。

 何故こんな話をしようと思ったのかというと、僕は携帯がぶっ壊れて今年の二月にiPhoneからXiaomiに機種変更をした。その際、iPhoneのメモ帳が見られなくなるという不便さを感じて、iPhoneSEをサブ機種として購入したのだ。そうして忘れていた過去のメモ帳にこれらのデータが膨大に入ってるのを見て、懐かしいと思ったからである。たったこれだけの理由だが、そのメモ帳には僕の青春が詰まっていた。

 大学三年生で病院実習に一ヶ月ほど行ってた期間、僕は眠気を覚ますためにこの想像の"存続と再構築"を行なった。実習先にメモを取っていると思わせてその紙には無茶苦茶に新しい選手と数値を書き出していた。これを毎日数時間繰り返すのだから、いつの間にかメモの量は莫大になっていた。

 皆さんも経験したことあるだろうソーシャルゲーム。いわゆるソシャゲでは毎週のようにアップデートされ、強さが上書きされる。1年前の覇権キャラが今はもうお荷物になるというのはよくあることで、僕の想像でも同じことが起きていた。

 小学生の時に考えていたキャラが、その時は全員日本代表になるという設定だった。しかし、新しいキャラが増えに増えまくった結果、今では初期のキャラは誰も日本代表には選ばれていない。U23日本代表にすら1人選ばれているかどうかのレベルだ。こうして積み上げられてきた記憶が、未だに形になっているというのは一生楽しめる遊びだ。

 この想像は今でも続いているが、最近はめっきりサッカーゲームをしなくなった。当然、考える機会は減ったのだが、ふとこれら全てをまとめたくなってSeesaa wiki というツールを使い始めた。その膨大な量に嫌になっている最中で逃げるようにnoteに書き込んだというのが事の顛末だ。


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